その代わりに煩悩即菩提で欲求のヒエラルキーに関わらず
どの欲求でも観照して止揚すると超越欲求=菩提心に転換できる。
上で誰かがチャクラに対応させていたが、機能しているチャクラや
主に働いている欲求領域は人によって違う。
五段階欲求の上に超越欲求があるとすると、限られた人間しか行けない。
仏教だと修行して欲望を昇華した者、クンダリーニヨガなら
サハスラまで上げないといけないということになる。

しかし原始仏教においても「悟り」というのは身近にあった。
その入り口が中道で、この中道というのは主観的中庸性のことだから
その場で感じている世界を「観照」することで両端を切り取って
真ん中に住する、これを三十七道品にあるように
行動心理学的要素すべてに行うことで立体化のための展開図が出来る。
これを一〜四の禅定により立体化していく。

先ず中道で主観的両端に偏らず真ん中にポジションを取る。
主観的中庸=観照的視野の獲得になる。
そして禅定により無意識の領域まで入ると、両端が繋がって
どこも「真ん中」になる、これが釈迦の言う本当の中道。
先ほどの〇+△=円錐による情報処理場の次元上昇の別の表現。
本来、中道というのは今現在のありのまま自分を観照することで
例えば六道輪廻の上の方が中道に近いということはない。

煩悩即菩提心というのはそういうことで、即、菩提心=自己超越欲求
というつもりはないが、こういうことも鑑みて
自己超越欲求は他の五段階欲求を包括する別格とした方が座りが良い。