自己超越の過程は俯瞰した立場から観るとアウフヘーベンだが
自己の視点からは認知論的に言うとゲシュタルト崩壊になる。
「自己観照」でこの両者を同時に体験することにより
生理的レベルで快感原理が「報酬系」から「無報酬系」に転換する。
この時に関与するのが脳の快感物質だと思うが
全体のプロセスの中で機能するから精神的進化に有効なのであって
それだけ取り出して論じても意味がないと思っている。
だから脳内物質各論についてはあまり興味はない
それを外部から取り入れるという発想についても同じ。
「自己観照」から入って行くとき、特にゲシュタルト崩壊している意識に
焦点を向けると強い解放感を感じるので
あの辺に分泌の機序があるのかも知れない。

ちなみに「自己実現欲求」は厳密にいえば無報酬系ではないと思う。
トランスパーソナルの方で自己実現欲求を「自分で自分を褒める状態」
と表現していた。
他者からの報酬を必要としない、という点では無報酬だが
まだ「自我の在り方」を報酬にしている。
本当の無報酬系は「在る」こと自体に喜びを感じる。
これは仏教やスピ系で悟りの一つの状態としてよく言われるが
この「在る」は自己と他が一つになったワンネスのこと。
もちろん自我が他と繋がりたいという「社会的欲求」とは違う。

自己超越欲求は五段階を包括して別次元にある。
日常の中でも自己超越欲求は五段階欲求のどの部分でも顔を出す。
だから「自己観照」を行うことでどの欲求段階からでも
自己超越欲求と繋がることが出来る。
繋がると五段階のヒエラルキーが無くなって、五つの欲求に自在に
「在る」ことが出来る。
これが、「こころの欲するところに従いて法を超えず」の状態で
生理的欲求の末端までが生理的全体子(ホロン)でコントロールされる。