「神の言葉」として考えれば、イエス語録もかなり理解できるようになる

トマス福音書

    イエスは言われた。”わたしは世界に火を投じた。そして、見よ。それがそれ
    を燃えたたすまで、わたしはそれを見守っているのだ”。

私(神)は世界に火を投じた
でキリスト教によって世界は宗教の争いとなった

12  弟子たちがイエスに言った。”あなたがわたしたちから去っていかれることを
    わたしたちは知っています。だれがわたしたちの上に長となるのでしょうか”
    。イエスは彼らに言われた。”あなたがたが行く場所で、義人ヤコブのもとに
    行くがよい。天も地も彼のゆえに造られたのである”。

イエスが去ったあと、エルサレム教会のユダヤ人キリスト教徒は「その者のために天地が作られた人間」
ヤコブ=イスラエルつまりユダヤ教に帰った

15  イエスは言われた。”あなたがたが女から生まれなかった者を見るならば、平
    身低頭し、彼を崇めよ、彼はあなたがたの父である”。

これも預言
女から生まれなかった者ならあがめよ=女から生まれたイエスは神ではない
つまりイエスが神とされることを予見した上で「神ではない」と証している
わかるだろうか?

13  イエスは彼の弟子たちに言われた。”わたしを比べてみよ。そして、わたしが
    だれに似ているかわたしに言いなさい”。シモン・ペテロは彼に言った。”あ
    なたは聖なる御使いのようです”。マタイは彼に言った。”あなたは賢者、哲
    学者のようです”。トマスは彼に言った。”先生、わたしの顔はあなたがだれ
    に似ているかを理解してそれを言い表わすことはまったくできません”。イエ
    スは言った。”わたしはあなたの師ではない。なぜならばあなたはずっと飲ん
    でいるからである。わたしに属し、わたしが広げた湧き出ずる泉であなたは酔
    っているのだ”。それから彼は彼を連れ、わきへ引き寄せ、三つの言葉を彼に
    語られた。トマスが仲間たちのところにもどると、彼らは彼に尋ねた。”イエ
    スはあなたに何を言われたのか”。トマスは答えた。”彼がわたしに語られた
    言葉のひとつをわたしがあなたがたに告げるならば、あなたがたは石を取って
    わたしに投げつけるであろう。そして、その石から火が生じ、あなたがたを焼
    きつくすであろう”。

「私(神)は誰に似ているか?」という問いに対して「御使い」「賢者」
この時は弟子たちはイエスが神の言葉を語っていると気づいていなかった
それを理解したのは聖霊ガブリエルによる開眼ですべてを理解したといわれてから
しかしトマスは神の湧き水(聖霊)から飲んで酔いしれていた
だから「(語っている)あなたは生ける神です」と伝えたが
その言葉を当時の弟子に伝えれば石を投げられる

18  弟子たちはイエスに言った。”わたしたちの終わりがどのようなものであるか
    をわたしたちにおっしゃってください”。イエスは言った。”いったいあなた
    がたは、終わりについて尋ねるために、初めを明らかにしたのか。なぜならば
    、初めがあるところに、終わりがあるであろうから。初めに立っている者は幸
    いである。彼は終わりを知り、死を味わうことがないであろう”。

つまりこの時の弟子たちは「私達ユダヤ人の終わりを教えて下さい」という意味合いでこれを訪ねた
しかしイエスは「キリスト教として初めにいたっていない=つまり始まってすらいない」