五胡十六国南北朝を語るスレ18
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五胡十六国南北朝を語るスレ17
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1649490148/
晋書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E6%99%89%E6%9B%B8
→晋書訳サイト二点。
・晋書簡訳所
ttps://readingnotesofjinshu.com/
・いつか読みたい晋書訳
ttp://3guozhi.net/sy/top.html
魏書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E9%AD%8F%E6%9B%B8
資治通鑑
ttps://zh.m.wikisource.org/wiki/%E8%B3%87%E6%B2%BB%E9%80%9A%E9%91%91
資治通鑑本末訳(渡辺 省氏)
tp://www2.ktarn.or.jp/~habuku/tsukankize.htm
勢力変遷動画
ttps://www.youtube.com/watch?v=ugjAoQJKBWc
ttps://www.youtube.com/watch?v=uFGyv6WhrLE 乙
世界史板に建てたのは故意か凡ミスか
しかしこの時代、北と南、異民族と漢民族を問わず、権力の世襲による移譲がうまくいかないんだよな
皇帝を出す系統を一本化して、しかもそれを継続できたのが拓跋部だけってのが何とも言えん
結局、拓跋部の北魏が一番安定してたのもむべなるかな 東晋はどうかと言えば、元帝はともかく明帝が早死にしたのが祟ってる印象
明帝にせめてあと十年の寿命があれば、後の展開がかなり違っていたように思う
少なくとも蘇駿の乱は起きていなかったはず
王敦の乱のあと、論功行賞を見れば明帝は蘇駿や劉遐を引き立ててるわけで、
北来の士人を重用して均衡を保とうとする意図がはっきりしてる
この方針が継続されてたら、南朝の貴族社会ももうちょっと風通しがよくなってたんじゃなかろうか
…ぶっちゃけ、どっかの三兄弟が明帝を暗殺したんじゃないの、という気もする
少なくとも、次の成帝は実際にそうなった可能性があるよなあ 東晋の某三兄弟について、田中芳樹は「中国武将列伝」の中で北伐を企図した(忠臣寄りの)名臣扱いしてるけど、
個人的には逆のイメージがある
成帝と関係が悪化したのもあって、成帝の死後に皇子を新帝に立てず弟(康帝)を立てた一事だけでも、
三兄弟は忠臣ではないよな、と
しかも康帝の死後は成帝の皇子を無視して、康帝の子(穆帝)を立てたりしてる
この不明瞭な帝位継承が、のちのちまで政情の安定を妨げる一因になってたことを思うと、
東晋衰亡の遠因は三兄弟の行為にあるんじゃないかという気がする 長文考えるの つかれた
他の皆さん 保守 たのみます 忠臣や英雄として記載されている輩より、史書でヒールやってる王敦や桓温のほうがよほど皇帝専制に対して肯定的に振る舞ってるのがね
皇帝位簒奪のことを考えて表面だけ専制支持なんだっていう前提で貶められてる部分がある
王敦の乱は元帝の正統性がお察しだったことを度外視しないと王敦を絶対悪にできない複雑なものだし
(司馬炎どころか司馬倫の天命論でも弾かれる司馬馗の末裔vs司馬炎の娘婿) >>1
乙渾
乙渾は丞相・太原王なので意外と高爵高官 どっかの三兄弟は
庾亮・庾冰・庾翼の事だと思うが
3人とも知天命に届かず若死
どっかの三兄弟が皇帝を暗殺したよりも
三兄弟が誰かに暗殺されてる可能性も 三兄弟が暗殺された可能性は、末弟以外ゼロに近いんじゃないかな…
もしそうなっていたら、残った兄弟に確実に報復されてると思う どっかの三兄弟が東晋衰亡の遠因なら光武帝は後漢衰亡の遠因だよな >>10
光武は新が潰れた理由を儒教の非現実的要素ではなく血筋の正統性に依拠したのがダメだった
おかげさまですぐ儒教の教養以外ダメダメな輩が跋扈したあげく、皇帝がそれすらまともに思えるヘナチョコばかりの王朝になった
でも庾と比べるのは失礼なレベルの立派な指導者でもある 庾亮…340
庾懌…342
庾冰…344
庾條…?(348年以降記述なし)
庾翼…345
340年以降の庾氏兄弟の片付き方がエグい
最後に残った庾條は兄弟の中で最も出来が悪かったと書かれてしまってるし、没年不祥な時点で重要人物ではなかったのはお察し >>12
潁川庾氏は以後の南朝でも見かけるが
三兄弟ほどの権勢持てなかったのをみると
誰かしらあと20年生きていれば潁川庾氏の没落は酷くなかったと思う
成漢は潁川庾氏に関係なく桓温が才覚持って寡兵で攻略してそうだけど >>10のレスのイミフ感は異常w
ドヤ顔しながらッターンッしたんだろうなぁ >>12
庾氏兄弟みたいに外戚が短い期間に次々と死亡は
日本でいえば藤原不比等の子藤原四兄弟みたいな
しかし藤原氏はそれ以後にもっと繁栄したところが
庾氏兄弟と決定的に違うが 東晋は簒奪を狙う者によって領土と国力が拡大していく不思議な国だ
外征、もしくは北からの防御戦を繰り返しても
あまり人民が疲弊するとか国土が荒廃したというイメージがなくて
豊かさを保ってたイメージがある
これって総力戦にならないよう貴族たちがセーブしてたってことなんかな
だから文化的な遺産が多い 東晋は追い詰められたら謎の結束力発揮するイメージ
普段はバラバラなのに >>16
>東晋は簒奪を狙う者によって領土と国力が拡大していく不思議な国だ
最初から簒奪狙っている訳ではなく
領土とか国力を拡大させた者が郡公以上に封建されて
簒奪意識し出す感は有る
王敦、陶侃、桓温、桓玄、劉裕、など
簒奪関係の記事残ってるのは全員郡公以上 この時代の政治工学なら、勢力を均衡させて状況を支配するという発想があるから五胡十六国に対して大国の東晋を配置し、強くならないように随時簒奪が起こるけど滅亡もしないという感じなんだろう。 ウクライナ攻めの軍は東部ロシアから動員した兵が多いらしいが
予備役を動員してでもプーが西部ロシアの正規軍を動かしたくない理由が気になる >>18
王敦:武昌郡公
陶侃:長沙郡公
桓温:臨賀郡公→南郡公
桓玄:南郡公→楚王(僭称)→楚皇帝(僭称)
劉裕:豫章郡公→宋公→宋王→宋皇帝
東晋の支配地域での爵封の模様
ちなみに北魏はもっと大盤振る舞いで
郡公程度ではなく諸侯王に封爵されるの数多 >>17
前秦大軍の南下に対して延べ二十万弱しか動員できなかった国が? 十六国~南北朝時代における華北と華南の人口比ってどのくらいだったんだろう
南朝正統説を信奉するセンセイたちの概説書を読むと、まるで最初から人口が
華南>華北みたいに見えるけど、そんなわけないよなぁ、と思う >>23
約100年前の呉の最大稼働兵数が10万ぐらいであったことを考えると
呉に色々+アルファが加えられた東晋が20万の兵ってのは割と妥当な数じゃないかなって思う >>24
俗説では華北と華南の人口比は
9:1 西漢
7:3 晋〜唐
3.5:6.5 北宋〜 >>26
やっぱり華北7:華南3、もしくは6.5:3.5って感じなのかな
流民が入りこむのと彼らを領民として抱え込むのは別だと思うし、
乱世イコール華南の人口爆贈とはならんよね
個人的に、華南の人口が増加傾向に入ったのは劉宋文帝の
元嘉年間(北魏を攻める前)なのかなと考えてる 人口が多い=戦争に強いとも限らん
圧倒的人口を誇る宋・明でも女真(満州)にあっさり占領されてるからな
人口比でいったら10:1もない
南宋はかなり続いたけど、南明は短気で終わったのはなんでだろ? >>31
南宋は腐っても国家に忠を尽くす者が多く、モンゴルも渡河が苦手だった+滅ぼす利点が少なかった
滅ぼした後の兵士の処分に苦慮するのも無理はない
南明はそういう者がいないどころか積極的に明に牙を剥くような政策続けて、最初から見捨てられてる
しまいにはイエズス会のケツを舐めて、数少ない愛国者すら根絶やしにしたという有り様
アングラで生き残れるにしろ表舞台で輝くことができなくなった 明って日本にも援軍求めてるけど仮に援軍に来たとしてもの国内で食わせられなくなった浪人集団だろうから戦闘力はともかくメンタリティーはマンジュと対して変わらん蛮族集団だったろうに >>31
大陸は今も全土を支配していることになっているけど
実際は現在でさえ支配できていませんだから
まとまった少数勢力でも勝てたりする ベンガーナ王国、リンガイア王国、カール王国、テラン王国があるギルドメイン大陸は本州 香川の高松だかに100億円の所得を申告した人が2人いるらしい >>31
同じ言語のはずのアメリカすら51州の独断専行を阻止できないんだから、言語が北京語と広東語って分かれてしまってる中国で完全支配なんて不能よ
インドすら1億のシク教徒によるその他への間接支配なんだから、管理許容量の問題だと思う
石勒石虎の軍勢が基本的に3万なのも、この管理許容量の限界を怖かった上での編成だろう 「補給戦」って本だと一人の指揮官が完全にコントロール出来る人数は5万が限界って書いてあったな 古代の大陸のど真ん中で大軍が敗北したら殺さずとも餓死しかないな
半日歩いただけで誰かが食糧をくれるわけでもなく、水も飲めるかもわからん
一日で疲れ切ってしまう
淝水、鍾離の敗北したほうとか戦って戦死したのより
野垂れ死にが圧倒的に多いんだろう
東南アジアでの日本軍以上に >>44
淮河よりも南だと祈れば
凍った川から魚が飛び出たり雪林から筍が生えてくるイメージ
淝水や鍾離から帰北だと途中までは何とかなるが最後キツいな その後は、劉備や曹丕がいつ攻めてくるか、あるいはこちらから討って出るかという情勢であるから、孫権としては、もはや軍事的に欠かせない存在となった陸遜と真っ向対立する後継者選びが困難になってしまったのではないだろうか。 孫権が呉王になったころの孫登(まだ少年)は、長子という点では後継者候補と言うべき存在だったはずだが、その割に孫権からも魏からもそういう扱いをされていないように見える。 宇文泰って鮮卑出身ならではの字を子に付けてるけど子世代からは漢風な字になってるのは皇帝になって国の支配力強めるに当たって漢化を意識したんかね
明帝 宇文毓(統万突)
宋献公 宇文震(弥俄突)
孝閔帝 宇文覚(陀羅尼)
武帝 宇文邕(禰羅突)
に対し
明帝の子の宇文賢(乾楊)宇文貞(乾雅)
武帝の子の宣帝宇文贇(乾伯)とか 香港人がジェームズとかエドワードとか名乗るようなもんかと >>2
最初支配された弱小勢力だったのが上手くいったのかな
弱小だからそんなに後継者争いが起きなくて上手くやれたとか
そでで強大化した後も元のシステムを変えられな方っとか >>51
宇文泰宇文護の成果
支配のための漢化ではなく、鮮卑至上主義の定着によって漢が鮮卑の一部って扱いになり、拒絶反応がなくなった
システム自体が漢民族を踏襲していたから官僚も働きやすく、メンツと気質は鮮卑向きで馴染みやすいという絶妙なバランス
まあ最終的に鮮卑内の漢の割合が高くなりすぎて簒奪されるわけだが 鮮卑内の漢の割合が高くなりすぎると
鮮卑が鮮卑から簒奪するのか… 恐妻おじさん「おれは普六茹姓を押し付けられてるが、ホントは四世三公の由緒正しい名門である弘農楊氏なんだ!」
だからなぁ・・・・ 曹操の
酒に向かえば
から始まる詩好きなんだよなあ >>56
Wikipediaで楊堅は弘農楊氏にカテゴリされてないのに
楊玉環が弘農楊氏にカテゴリされてるのは泣ける
どちらも詐称で目糞鼻糞なのに >>56
天可汗「ウチはキングダムの信くんの子孫やで」 韓非子は、現実の暗さに目覚めよと説いて、偶然の幸運に頼る統治を甘美な幻想として退け、一貫して「必然の道」(『韓非子』顕学篇)を追い求めた。だが韓非子の鋭い理論も、実はその根柢に、明主と法術の士の出現といった偶然性に一切を託さんとする、大いなる幻想を宿していた。理想主義者の魂を現実主義者の仮面と衣装で演じ続けようとしたところに、韓非子の思想の、そして韓非子の人生そのものの悲劇が存在したのであり、彼もまた地上のあまりの暗さに耐え切れず、架空の幻夢の中に、己と世界を救済しようとしたのである。 まず、時代と国境を超えた一般的な刑罰の目的は以下の3つ。
犯罪者に応分の罰を与える。応報。
犯罪者ではなく、将来の犯罪を防ぐための予防・抑止。
犯罪者の更生・教育。 そして『韓非子』の刑罰の目的は2番目の予防・抑止が唯一でありそれ以外は存在しない 荀子のもとを去った後、故郷の韓に帰り、韓王にしばしば建言するも容れられず鬱々として過ごさねばならなかったようだ。たびたびの建言は韓が非常な弱小国であったことに起因する。戦国時代末期になると春秋時代の群小の国は淘汰され、七国が生き残る状態となり「戦国七雄」と呼ばれたが、その中でも秦が最も強大であった。とくに紀元前260年の長平の戦い以降その傾向は決定的になっており、中国統一は時間の問題であった。韓非の生国韓はこの秦の隣国であり、かつ「戦国七雄」中、最弱の国であった。「さらに韓は秦に入朝して秦に貢物や労役を献上することは、郡県と全く変わらない(“且夫韓入貢職、与郡県無異也”)」といった状況であった(『韓非子』「存韓」編)。 「性悪説」で大事なことは、「人間は生まれながらに邪悪な心を持っている」という論ではなく、「生まれたての赤子は欲望むき出しの行動をする」という意味。荀子の言う「悪」とは「人の性は、生まれながらにして利を好むこと有り」(『荀子』性悪篇)、つまり欲があることで、これを矯正せずに放置しておけば、他人に危害を加えることとなる、だから教育が必要だ、というのが「性悪説」の考えだ。 越王勾践(こうせん)は、国宝の亀を使った占いを恃(たの)みとして、呉と戦って敗退し、臥薪嘗胆の日々を送ることになる。以後亀などは棄ててしまって、法律を明確にし、人民の支持を得て呉に復讐を遂げた。(『韓非子』飾邪) いい加減に別のスレで書けよ
オメーの自己顕示欲なんざ誰も興味ねーんだよ >>60
張三李四
の李は大帝国皇帝や道教開祖出して文武で頂点極めてるのに
張は李に明らかに劣るのが中国七不思議の一つ >>69
BOTに触れるな
今イギリスがヤバくて配下は暴走始めてる
ノルドストリームの件で一気にケツに火がついた >>44
鍾離の戦いって負けた側の北魏軍は死者十数万と言われるぐらいの大惨敗なのに
淝水で負けた前秦みたいに国が傾くまではいかなかったんだよな >>73
前秦は寄せ集めな上、開戦早々に朱序のせいで士気喪失して雲散霧消したから、単純な犠牲数より被害が大きい
なんせ雲散霧消した兵力が後燕や後秦として牙を剥くんだもの
それに対して北魏は軍事政権化していて、大敗でも崩れないようなシステムが整っていた
まあ最後はそれを蔑ろにし、システムの模範例たる六鎮に解体されたわけだが >>73
苻堅が惨敗するのと元英が惨敗するのとで
意味が全く違う感が 生き残った県の経済状態も酷く、市で黄金1斤(1万銭)で豆5升としか代えられなかった。
現代風に訳すなら、180万円出して、豆を750g強しか買えないということ。
王莽政権末期で、太平時の約36倍に跳ね上がってた物価が 単純計算で今やその1000倍。
通常取引される1斛(15kg)分を買うのに、約3700万円。
当時の1人に必要な穀物量は1ヶ月3斛(1億1100万円)。もう市は崩壊してるに等しい。 >>73
本国が無事だし
スイスイ後の劉邦みたいに生き残った平氏は戻ってくるから 民衆から略奪してる兵士でさえ飢餓に苦しみ、生野菜をそのまま食べ。
ほとんどの城が誰もいない空きだらけ、白骨は野をおおい、
生き残った人々も身分の上下関係なく互いに丸して食べあうのが横行し『人、相食む』と、
後漢書は当時の情景を物語っている。 ____
/ \
/ _,ノ ⌒ \ 私が理由無く庶民を見下しているから、男らしくない?
/ (●) (●) \
| 、 ´ | (( ∩)) 馬援、それは私の一を知って十を知らない
\  ̄ ̄ / ( ⌒)
/ \ 発言です。
公孫述、幼少時 .__;;;:::::::;;;;;;:|
,;;;;;;;;;;:::::......::|
'`l./../ ....._ヽ そうか?
/,,,,,_ ̄,,,,,,_ ヽ
}'e> <'eヽ` ヽ、 俺はお前が悪く言ってる学校とか、
| / ,.、 .ヘ/
| `-' 、'ノ 王莽大臣が奴隷の身分をよくしようとしてるのを
{ 'ニニゝ ,/
ヽ " ノ/、 いいことと思ってるが。
___...... __ヽ..........-ー'ニ'/: :l-、___
/ ̄ ̄ ̄\
/ ノ ヽ \ 困りましたね。
/ (●) (●) \
| __´ _ | あなたも役人の子なら本音と建前を、
\  ̄ / もう身につけておくべきでしょう。
⊂⌒ヽ 〉 く /⌒つ
\ ヽ / \ ヽ / ____
/ \
/ \ /\ これらの政策は一見、慈悲深いように見えますが、
/ (●) (●) \
| ´ | 私たち知識層の意見が
\ ⌒ /
/ ̄ ̄ヽ \ 中途半端な知識の庶民にかき消される
(「 `rノ \ 危険も孕んでます。
ヽ ノ \
| | 「\ \
. /;彡;;;;三ミ;ヽミ
..{彡;;;;彡ミミミ;l彡ミ
ヽ;;;;;;| __ノ_/"""";;;}
(`-" .____`ー_ニ/、
ヽJ, ' '=ュヽ〈ュ-|l/ ?
`l 、. | /
|.| └、.j ./ 考えすぎじゃないか。
/、ヽ_ ^`三' /
: : ヽ\、____/ ____
/ \
/ - - \
/ (●) (一) \ じゃあ聞きますが、この政策を立案した王莽大臣の取り立てた
| __´___ . |
\ `ー'´ / 庶民たち、実際どれほど役立ってるか知ってますか?
/ ∩ノ ⊃ /
( \ / _ノ | |
. \ “ /__| |
\ /___ /
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,;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;三三ミ;;;;;;;;;;,|
/;;;;;;;;;ミ-三三三ミ/ミミ;;|
彡;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノ,,,,ミミ;;;;;.|
:{"`/~_/"~ ");;;;;;;;;|
{,---、 _ __, -- ./;;;;;;;;|
}_____,,_ <-、,,,---、 `-;;;/,| さあなあ……。
`l -ニエ) < 'ニエ> /|
.| ' { ヽニ
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| 、`ニ'_ /| .
ヽ .ニニ ` /人|
ヽ ///
ヽ__,..-=~"~/: : : わっほい
,。、_,。、 わっほい
_ .く/!j´⌒i.ヾゝ _
((( ι ヽ / ハハハハ ヽ ノっ ))))
| .| | ! 0 、0 ! | | .|
| | >人 ▽ 人< .| .|
| i____ _ハ| |ハ_ ___ノ i 取り立てられたよ
ヽ __||_l | | l _||__ ノ
| |.∞| | わっほい
| .| |. | わっほい
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,。、_,。、 //// っ ))))
_ .く/!j´⌒i.ヾゝ / / ミ 国に全然貢献してないけど
((( ι ヽ / ハハハハ ヽ / / /// 私の関係者をえこひいきしたよ!
| .| .| ! 0 、0 ! | / /
| | .>人'''▽'''人</ヽ/
| i____ _ハ| |ハ__ / /
ヽ __||_l | | l \ 彡 カタカタカタ
| |.∞| |\/\ 彡 _______
| .| |. | \ \ // / 月給500万だ わっほい
|__| |__| .\ // VAIO ./ わっほい
/____丶 // /
| | | ( ̄ ̄ ̄ ノ______ ノ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ____
/ \ 私の親と、親の同僚のグチから推し量ると、
/ - - \
/ (一) (一) \ うろたえるだけか、開き直って私腹を肥やし、
| __´___ . | 威張り散らすのみ。
\ `ー'´ /
/ ∩ノ ⊃ /
( \ / _ノ | |
. \ “ /__| |
\ /___ /
_____
/ \
/_ノ \ ヽ 人気取りを優先して、バカを採用した結果です。
i(ー) (ー ) |
ゝ __`____ j 私たち知識層にも「悪人」はいますが、
` _`ー'´ / 少なくとも最低限の仕事はこなしますよ。
/ _ `i
/  ̄`Y´ ヾ;/ |
,| | |´ ハ
| | |-‐'i′l 私腹を肥やすためには
|__ | _| 7'′
( (  ̄ノ `ー-'′ 担当地域を富まさないと実入りが少ないですから。 ____ 私が見下しているのは、身分改革を武器にロクに仕事もせず、
/ \
/ _,ノ ⌒ \ ゴネれば通る、自分は迫害されているとさえずる連中だけです。
/ (●) (●) \
| 、 ´ | (( ∩)) 弱者の恫喝とでも言いましょうか。
\  ̄ ̄ / ( ⌒)
/ \
___
/ ヽ、_ \
/(● ) (● )u\ 朱勃はまあ 普段が抜けてるから、
/::: __´__ :::::: \ なんとなくイラっとするんですが。
| l^l^lnー'´ |
\ヽ L /
ゝ ノ
/ / .__;;;:::::::;;;;;;:|
,;;;;;;;;;;:::::......::|
'`l./../ ....._ヽ へえ……
/,,,,,_ ̄,,,,,,_ ヽ
}'e> <'eヽ` ヽ、 お前にもそんな、信念があったんだな。
| / ,.、 .ヘ/
| `-' 、'ノ
{ 'ニニゝ ,/
ヽ " ノ/、
___...... __ヽ..........-ー'ニ'/: :l-、___
____
/ \
. / ノ ' ヽ\ 「にも」とはあんまりですね。
. / /)(ー) (ー)u\
| / .イ ' | 荒事の苦手な私にだって、譲れない信念のためなら
. /,'才.ミ). ⊂つ /
. | ≧シ' \ 命を賭けたいと思うこともありますよ……。 ニ二三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三二ニ
ニ二三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三二ニ
三三三二ニ=-― ¨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄¨ ―-=ニ二三三三
 ̄ ̄  ̄ ̄
馬援……君だってそうでしょう……。
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三三三二ニ=―- ______ _______ -―=ニ二三三三
ニ二三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三二ニ
ニ二三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三二ニ 元英は鍾離の戦いの大惨敗で名を残したよな
北魏の将軍とか六鎮の乱頃にならないと誰の名も出てこないからな >>73
そりゃあ前秦は無理に兵をかき集めた出兵だしなあ
そのうえ、この頃になってもまだ苻堅を暗殺しようとする動きがあったし
一方の北魏は国力の全てを傾けた出兵ではないからね
孝文帝の改革ばかりが強調されるけど、その前、太武帝~献文帝期に内政の形がととのって、
王朝の基盤は前秦とは比較にならないくらい固まってたりもする
要するに、一代で版図を広げたばかりで脆弱な体制だった前秦と、
太武帝以来の数代をかけて王朝を固めた北魏の差が出たってだけだよね 前秦も東晋に征服戦争するならもう少し体制を固めてからにするべきだったんだろうな 王猛にあれだけ止められてたのにな
まあ前秦は仮に東晋滅亡させれて中国統一できたとしても長期政権なんてできずにあっという間に瓦解しそうな気がする 王猛(享年51)
苻堅(享年48)
濃い人生の割には微妙に早死コンビ >>92
自身を真人とするために過去をペンキで塗り潰した結果、今が崩れた途端に全てを失った苻堅
それに対し、過去を美化して魏を継承するというストーリーを立てて、国自体の結束を高めて盤石になった北魏
歴史がいかに重要かを思い知らせる好例 晋が呉を滅ぼすのも帰命侯が暴虐を行っているような状態で20万の軍でようやく
王猛が言うのは漢民族の東晋を滅ぼさないでほしい気持ちもあっただろうが
南を制圧するのは異常に大変なんだろう
弱小の南宋も金より後に滅んだし >>95
人間は元々40ぐらいで孫が生まれた頃に死ぬようにできているから >>95
本来、人間の寿命は38歳です。
現在は医療の発達や栄養状態が良くなったために寿命が延びるようになったのですが、生物学的に考えると40歳からは「おまけ」の人生といえます。
折角手にした「おまけ」なのだから、自由気ままに楽しく生きるようにした方が良いのです――。
『40歳からは自由に生きる 生物学的に人生を考察する』から紹介します。 人間の自然寿命は38歳
赤色部がメチル化DNA(photo by GettyImages)
とりわけ40代以降という人生の後半において、より善い生き方とはどのようなものなのでしょう。その問いに対するヒントは、生物学の中に見いだすことができます。
自然のままの生物としての寿命を「自然寿命」といい、人間の自然寿命は38歳と推定されます。40歳以降は本来ならとっくに死んでいるはずです。ちなみに、観察されている限り、ほかの生物たちでは、自然寿命と実際の寿命がほぼ一致します。人間だけが自然寿命の倍以上も生きられるのです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています