趙氏)おなじ贏姓なのに秦王室とは扱いが…
宮城谷昌光の孟夏の太陽のように春秋戦国時代の趙氏を描いた漫画作ったら役者が多いから銀河英雄伝説とかアルスラーン戦記みたいにバカ売れする気がするんだが伝わる人いる? 趙氏って晋を分割して自分の国家を作る時、
自分の名字つけたの?
そんなのみんな認めるの? >>5
逆。
そもそも中国での姓は始祖が最初に封じられた国名を称する。
周の穆王に仕えた造父が趙城に封ぜられたのが趙氏の始まり。 宮城谷昌光が士会の活躍を描いた沙中の回廊、特に下巻は
なかなか面白かった。趙盾が自分の利益しか考えず君主の
顔に泥を塗るも本人に悪いことをやってるという自覚がない
無能な政治家として描かれてて可哀想に思えた。そんな父親
の罪を着せられて殺された趙朔がもっと気の毒。
それにしても秦王室は、康公が紀元前654〜前653年にかけ
ての誕生で、康公の18世孫が始皇帝(前259年生まれ)だから、
一世代辺り20歳ぐらいの早いペースで子供を作ってると思える。
お世継ぎができるのが遅かったのは穆公と献公ぐらいか? 左は史書などによる誕生年(私の推測による年には?をつけた)
右は史書による在位期間
共公から霊公まで一世代につき20歳で子供を作っていた計算でいいようだ
襄公(前820頃?)(前778〜前766)
(2世代略)
寧公(前725) (前716〜前704)
徳公(前710)(前677〜前676)
穆公(前690?)(前659〜前621)
康公(前654?) (前620〜前609)
共公(前635?) (前608〜前604)
桓公(前615?)(前603〜前577) 景公(前595?) (前576〜前537)
哀公(前575?) (前536〜前501)
(6世代略)
霊公(前435?)(前424〜前415)
献公(前415以前)(前384〜前362)
孝公(前381)(前361〜前338)
恵文王(前356) (前338〜前311)
昭襄王 (前325) (前306〜前251)
孝文王(前302) (前250)
荘襄王(前281)(前250〜前247)
始皇帝 (前259) (前247〜前210)
二世皇帝 (前230または前221)(前209〜前207) >>5
韓も魏もそうだけど
その氏は上の人が言っているように領地名だからね
ただ、魏なんかは自称で我が晋国と言って
孟子からは梁の恵王と呼ばれていて厳密には魏国とかではなかったのかもしれない >>7
あの作品は主人公というのもあるけどもともと作者が士会大好き・楚の荘王も大好きで
結果として趙盾を悪役に仕立てあげた内容だから…
だから趙盾を好意的に書いてる華栄の丘と読み比べてみるといい
いやもうこの書き込みから2年近く経ってるから読んでるかもしれないけど
そもそも本当に成公が嫌ってたならいくら自分を君主に就けた礼だとしても
娘を趙朔に嫁がせないわ 春秋時代の梁なんか、秦の同族だな
晋の恵公の妻が梁の公女で、懐公を儲けてる
しかし、梁は後に同族の秦の穆公に滅ぼされてる 岩波文庫の史記世家の上と中を少し読んだけど、晋世家と趙世家とでは趙氏についての記録がいろいろと食い違ってるんだな。皆さんは読んで知ってることだと思うけど、
晋世家では趙衰や魏武子は重耳(後の文公)が17歳のときから仕えていた優れた人物と書いていて、一方で趙世家や魏世家では、重耳が37歳になった前661年に父献公が霍、魏、耿を征伐したときに御者を任されたのが趙夙、陪乗者を任されたのが畢万であり、その直後に趙夙の孫の趙衰と畢万の孫の魏武子が重耳に仕えたように読める。晋世家のほうは文公の優れた徳を讃えたいだろうから趙世家のほうが正しく趙衰や魏武子は重耳よりかなり若いのかなと思った。殷末の蜚廉からの趙氏の世代数は特におかしくないと感じる。
文公の公女が趙衰との間に産んだとされる趙同、趙括、趙嬰斉は趙世家では前655年に趙衰が重耳にお供して翟の国へ亡命したときには既に本妻の子として晋で生まれていて(面倒な説明を端折りたいだけ?)、その後で翟が攫ってきた咎如の国の公女2人で年上のほうが趙衰と結婚させられて趙盾を産み、年下のほうが重耳と結婚させられたことになっていて公女2人のどちらが年上かは晋世家と違ってるようだ。
趙盾の子趙朔の妻は景公の姉なのか成公の姉なのか。成公の姉だと趙武を産んだとき高齢になりそうだから景公の姉が自然かな。
趙同、趙括の最期についても前597年に趙盾が十年前に霊公を弑した(実際に霊公を弑したのは趙穿)罪で皆殺しになったのか、前583年まで生きていて殺されたのか。こっちは趙世家はお家再興物語を感動的に記したいようだから前588年に趙括・趙旃が卿に任じられたことを記す晋世家のほうが正しいかなと考えたりしてる。
実際のところはどうなんだろう。
趙簡子は前458年に、趙襄子は前425年に亡くなったというけど、80歳を越えてそうなかなりの長生きのように感じた。