事件の8年前(1976年)からすでに江崎グリコを脅迫していたグループがあった。

平成元年(1989年)9月11日付毎日新聞夕刊
 51年にもグリコ脅迫 「黄巾族」など名乗り 21面相と同グループ 捜査本部断定
「警察庁広域指定114号「グリコ・森永事件」で、江崎勝久・江崎グリコ社長誘拐事件が起きる8年前の昭和51年春、
「黄巾族(こうきんぞく)」や「カルロス軍団」と名乗るグループから数回、同社役員宅に現金1億円を要求する脅
迫状や脅迫電話があったことが11日、わかった。大阪、兵庫両府県警など合同捜査本部は手口が似ているなどから、
このグループが「かい人21面相」と同一グループと断定した。
 調べでは、脅迫状は51年3月ごろ、大阪府豊中市の同社役員宅に届いた。差出人は「黄巾族」で「われわれは現代
の革命家だ。後漢(中国)末期の184年、乱世立て直しのため民衆が黄色の頭巾をかぶって立ち上がった『黄巾の乱』
のグループにちなんで名付けた」とし、現代の世相を憂えたうえで1億円を要求。受け入れない場合は江崎副社長(当
時)を誘拐、チョコレートに青酸を混入してばらまくなどと脅迫する内容。その後1カ月余り、同役員宅に数回「黄巾
族」を名乗った男の声で同様の脅迫電話がかかったが、何も起きなかったという。
 さらに翌4月ごろ、今度は「カルロス軍団」と名乗るグループから同じ役員宅に脅迫状が届いたが、犯人側から接触
はなく、事件も公表されなかった。
 合同捜査本部は@2グループの脅迫内容がほぼ同じで、53年の脅迫テープとも酷似し、江崎社長ら致(59年3月)、
グリコ本社などの放火(同4月)、青酸菓子ばらまき(同10月)と続いた114号事件の流れと一致A脅迫状が114号事件
や53年テープの時と同じ役員宅に届き、同社の人事、経営状態なども熟知――などの点を重視。犯人グループが51年か
ら53年にかけ同社を脅迫したが失敗、計画を練り直したうえで6年後、江崎社長誘拐以降の一連の犯行に及んだと断定
した。」

 脅迫を受けた役員は豊中市在住とあるので、藤沢和巳・監査役(藤沢氏の自宅は豊中市宮山町2丁目)だろう。黄巾
族、カルロス軍団、53年テープの送り主が同一とすると、8年の時間は何を意味するのだろうか。犯行の準備期間にし
ては長すぎるように思える。