国松警察庁長官を撃ったのは結局誰?
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88歳でパーキンソン病を患ってて、あんな手紙を書けるんだな。山に掘りに行くNHKもすげーや はじめに山中で発見した?ような
土の中の結局なんだったの?やらなかったよね? 中村なんで北朝鮮嫌ってるの?
おもいっきり左なのにめずらしいな
オウム批判もそうだけど パヨクはオウム嫌い。
日共はかなり以前から、ソ連・中共・北鮮と仲違いしてる。
そしてその日共、オウム騒動を機に警察に接近! 「週刊文春」2001年11月22日号に新たな情報が掲載されている。新事実として
挙げられているのは、犯人の実名を挙げた手紙が存在する、というものだ。
これは、小菅にある東京拘置所と、別の県の拘置所を行き来していた手紙。
詳細に事件のことが書かれたものがあったらしい。
(中略)
さらに犯人の詳細な情報を明記している。その名前は「小野寺トオル」。
手紙によると、この人物は「元自衛官」であり、現在は「クリーニング店の店員か、
新聞配達員」だという。捜査関係者も「あらゆる可能性から、あらゆる人間を
調べたが唯一何者か分からなかった人物」と打ち明けた「小野寺」を、
手紙ではさらに「清瀬市旭ヶ丘団地で起きた交番の警官襲撃事件の第一発見者」
とまで言及している。
「週刊文春」の調べによると、陸上自衛隊に所属した「オノデラ・トオル」は9人。
だが、年齢や在籍期間などを考慮すると、該当されると思われる人物はいなくなるという。
ただ、清瀬市の警官襲撃事件の第一発見者は、元自衛官で、現在は新聞配達員。
手紙の人物に近い。「ナンペイ事件」の頃は立川の販売所に勤務している。
「文春」の取材で本人は全く関りがないとしつつも、自分の経歴を語る人物として
「前の販売所に突然トンズラしたヤツがいるが、そいつは何かにつけて僕に張り合って
きたから、そいつかも」という証言をしている。 中村説の矛盾点
・目撃証言によると身長175センチの30代男性
・現場の火薬残渣から 犯人は172−176センチ
・しかし中村は161センチの65歳
・中村はシークレットシューズを使わずに犯行に及んだと供述
・また犯行時 立川市内の防犯カメラに中村が映っていた
実際の所「俺が打った」という自白のみだった
物証ゼロの自白だけで裁判は維持できないというのが警察上層部の見解 https://biz-journal.jp/2018/09/post_24703.html
9月2日に放送された『NHKスペシャル 未解決事件シリーズ・警察庁長官狙撃事件』を見て、二度びっくりした。というより、唖然とした。警視庁公安部長として同事件の捜査を指揮し、
オウム犯行説に固執して大失敗した米村敏朗・元警視総監らが、今も「(犯人はオウムという)見方は間違っていなかった」などと、平然と述べているのだ。
NHKの番組そのものは、警視庁のわずか10人の特命捜査班が追った、オウムとは無関係の男に焦点をあて、事件の真相に迫ろうとする一方で、
当時の捜査にかかわった元捜査員や銃の専門家などの証言も多く紹介し、オウム犯行説にこだわった捜査の問題点も浮かび上がらせ、見応えがあっ 9つの嘘の中の1つの真実
供述がすべて嘘で最後のオウムから依頼されたって言うのが真実とか?でも供述が嘘ってことは依頼されたのは自分じゃなくて真犯人 ってことはないか 高沢皓司「『オウムと北朝鮮』の闇を解いた 7」――国松長官狙撃事件と「よど号」犯・田中義三
http://freezzaa.com/archives/3611 オウムがやったのは確か。
でもその事実が暴かれたら
「現職警官が関与してた!」
ということになる。
そこでオウムの仕業とはせずウヤムヤに。 地下鉄サリン直後の福島ミズポの断言
「証拠は無いけど、オウムがやったに決まってます!!」
その論で行けば、証拠は無いけどオウムの仕業ですね >>366
ケネジー暗殺んときと酷似しとるな
犯人を名乗る人物が何人もいたりと 中村じゃ無く?
中村会、中村組、中村一家とか何らかの組織犯罪絡みとか、 >>374
とても興味深い話をありがとうございました
本のタイトルを教えていただけませんか >>378
海野弘『陰謀の世界史』
紹介したウィリアム・ターナーの
『Rearview Mirror : Looking Back at the FBI , the CIA and Other Tails』(2001年刊)
の日本語訳は出ていない。
http://hissi.org/read.php/war/20180927/a2dUV2RaZ3g.html?name=all&thread=all
http://mevius.5ch.net/test/read.cgi/books/1396945689/158 ◇2019新語・流行語大賞、あなたが選ぶなら?
https://news.yahoo.co.jp/polls/life/40024/result
『上級国民』がふつうダントツの1位でしょうよ〜。
なのに飯塚擁護する闇の力が働いて初め3位だったんだよ。
それが鬼畜爺を許せぬ人達が猛烈に追い上げ始めて5800差で現在2位。
◆殺人老人飯塚に対して怒ってる皆さんどうか応援ヨロシク! NHKは中村の証言をもとに山中捜索したんだろ。あれはどうなったんだよ ***名無しさん@*****20**/**/**(**) **:**:**.**ID:******** 山中捜索の結果を開示しろよNHKは。
Nスペの煽り映像で使っといて何もなしはないだろうが。 >>1
オウムに決まってます。
となれば現職警官の犯行になるので、不起訴にしました。 事件は単純
オウム信者の警官が実行して警察はこれを隠蔽しただけ 安倍晋三銃撃事件(あべしんぞうじゅうげきじけん)
2022年(令和4年)7月8日11時31分頃、
奈良県奈良市の近畿日本鉄道大和西大寺駅付近にて、
元内閣総理大臣の安倍晋三が銃撃され、死亡した事件。
原因は、「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と「標的」が強い関係性を持っていたと被疑者が考えたため。 世田谷一家殺害事件(せたがやいっかさつがいじけん)
正式名称「上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件(かみそしがやさんちょうめいっかよにんごうとうさつじんじけん)」
2000年(平成12年)12月30日深夜に東京都世田谷区上祖師谷三丁目23番26号で発生した殺人事件。
一家4人が殺害された未解決殺人事件 警察庁長官狙撃事件(けいさつちょうちょうかんそげきじけん)
1995年(平成7年)3月30日
当時日本の警察庁長官であった國松孝次が何者かに狙撃された事件。
警察庁に出勤途中の國松孝次警察庁長官に対し、
何者かが殺意を持って後方から拳銃4発を発射し、
背部・腹部等への射傷による損傷に伴う出血性ショックにより瀕死の重傷を負わせた(國松はその後回復)。
2010年(平成22年)3月30日に、殺人未遂罪の公訴時効(15年)を迎えた(未解決事件)。
現場からは、朝鮮人民軍のバッジや大韓民国の10ウォン硬貨が見つかったという。 「私が長官を撃ちました」 國松長官狙撃事件の真犯人は誰か
一橋文哉(フリージャーナリスト)
https://shuchi.php.co.jp/voice/detail/5527 1995年に起きた国松孝次・警察庁長官(当時)狙撃事件で、警視庁の特命捜査班が事件の時効約1カ月前の2010年2月から複数回、参考人として事情聴取した元自衛官の男性(49)が毎日新聞の取材に応じ「事件当日、『狙撃犯』を名乗る知人の逃走を手伝ってしまった」と証言した。男性は当時の聴取に事件への関与を否定したが、昨春以降、取材に応じる中で「狙撃犯」の死期が迫っているとして口を開いた。今月で事件発生から28年。多くの謎を残す未解決事件の新証言となる。
長官狙撃事件は、オウム真理教の信者による地下鉄サリン事件から10日後の95年3月30日朝に発生。警視庁は公安部主体の捜査本部を設置し、教団による組織的テロとみて捜査を進めた。これに対し、捜査1課を中心とした刑事部は、01~02年に大阪市と名古屋市で発生した現金輸送車襲撃事件で逮捕され、強盗殺人未遂罪で無期懲役が確定した中村泰(ひろし)受刑者(92)の関与を疑った。しかし、立件には至らず、10年3月30日に当時の殺人未遂罪の公訴時効(15年)を迎えた。
複数の捜査関係者によると、警視庁は長官狙撃事件の時効まで2年を切った08年5月、中村受刑者を本格的に取り調べるため、刑事部と公安部から捜査員を集め10人程度の特命捜査班を発足。受刑者は任意の事情聴取に「国松元長官を銃撃した」と「自白」し、特命班は事件に使われたとみられる拳銃と同型のものを受刑者が87年に米国で購入していたことなどを裏付けた。
一方、中村受刑者は「現場の下見や逃走などで支援役がいた」とも供述したが、支援役が誰かは「同志を売ることはできない」と明かさなかった。受刑者にはオウム真理教との接点はなく、教団によるテロとの見立てを維持する捜査本部からは特命班に「支援役の割り出しができなければ受刑者の逮捕は認められない」との条件が出された。
特命班は受刑者の交友関係を洗い出す中で元自衛官の男性を割り出し、10年2~3月、男性から複数回任意で事情を聴いた。男性は逃走支援を含む一切の関与を否定し、特命班は時効までに支援役を特定できなかった。
毎日新聞は19年9月、記者が別事件の取材で知り合った元自衛官の男性から、かつて長官狙撃事件に関連して警視庁の聴取を受けたことを明かされたことから狙撃事件の取材を開始。男性は22年4月、初めて中村受刑者を「狙撃犯」とした上で「5万円で運転を頼まれた」などと具体的な証言をした。
証言によると、男性は高校中退後に入隊した自衛隊を約10カ月で辞め、93年6月に旅行で米国に渡航。ロサンゼルスで受刑者と知り合って連絡先を交換し、同年8月に帰国した後も日本で親交を続けた。
95年3月、受刑者と連絡を取り合う中で「3月30日に5万円で運転を手伝ってほしい」と頼まれ、当日朝にJR西日暮里駅で合流して5万円を受領。受刑者が準備した軽乗用車で狙撃事件の現場から南西に約700メートルのNTT荒川支店の駐車場に移動した。受刑者は「人と話をしてくる」と言って車を降り、約1時間後に戻ってきたという。その後、車で西日暮里駅まで受刑者を送って同駅近くの駐車場に止め、その日の夜に新宿で再び受刑者と会って車の鍵を返したと話した。
男性は当時、何のための運転なのか知らされず、約1年8カ月後の96年11月ごろ、中村受刑者から「あの時に警察庁長官を撃った」と伝えられたという。受刑者も男性もオウム真理教とは無関係としている。受刑者はかつて56年に警察官を殺害した殺人罪で約18年間、刑務所に服役した経歴がある。受刑者は男性に長官狙撃の動機として「警察に恨みがあった」と語ったという。
受刑者が現金輸送車襲撃事件で逮捕された02年以降、男性は拘置所や刑務所にいる受刑者と手紙のやり取りを続けた。親交の証拠として20年8月に受刑者から届いた「パーキンソン病と白内障が進行し、満足に字が書けない」などと近況を記した手紙の写しを記者に示した。男性は「事件当時、私は21歳。長官を狙撃すると事前に知っていたら、絶対に関わっていない。当時は金に困っていて、運転だけの割の良いアルバイトだと引き受けてしまった」と振り返った。
毎日新聞は昨年4月、受刑者に手紙で新証言に関するコメントを求めたが、現在まで回答はない。一方、警視庁は新証言について「10年に捜査を終結しており、コメントすることはない」としている。
https://mainichi.jp/articles/20230319/k00/00m/040/213000c ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています