――では続いて睦についてですが、第10話で奈落に落ちて睦とモーティスがひとつになる描写がありましたが、あれは何が起きたのでしょうか?
 あれは睦とモーティス、両人格とも消えてしまった、というニュアンスです。じつは睦の内面世界のシーンでは、舞台の上にいる人物だけが「人格」を獲得している、という描写をしています。客席にいた無数の睦たちは、演じる「役」であり、人格というわけではありません。
 もともとモーティスという人格は睦を守るために生まれたわけですが、そこに自我が芽生えて「自分が消える恐怖」のほうが勝った結果、主人格の睦を消してしまいました。でも、モーティスは睦を守るために生まれた人格なので、睦に存在してほしかったんですね。
「Imprisoned XII」が流れる中、「存在意義の消失」や「睦を殺してしまった罪悪感」「睦恋しさ」みたいなものが重なって、モーティスが睦の後追いをしてしまった。奈落の底でもうほぼ消えている「睦」と最後の邂逅だけは果たしたというシーンになります。
だから、その後ギターを弾き始めたのはもう誰だかわかりません。睦もモーティスもいない、第3の人格というわけでもない。いろんな役が入れ替わり状況に対応するだけの状態という感じです。
現在のムツミは、以前、みなみがにゃむに語っていた頃の状態とも若干違っていて、役ごとに人格と呼べるものがない。
モーティスは幼く、自分の言葉を持てなかったので高度なモノマネで対応していたのですが、今はそれぞれの「役」がその状況で必要になったら勝手に出てきているような感じの、つかみどころのない人になっています。
なので、モーティスの演技を見抜けるにゃむは、ムツミがギターを弾き出したシーンですぐ「アレはモーティスじゃない」と気づくのですが、対して海鈴は「指を真似するだけって言ってたのに、音を出してるな」くらいの認識だと思います。

――状況に合わせて行動するようになったことで、逆にギターが弾けるようになったということですか?
 バレエと同様、もともとテクニック自体は体に染み付いているので、「ギターを弾ける役」が出てきた感じです。
最終話冒頭の円陣のシーンでも、初華の「悪いことするみたいだね」のあとに、ムツミが「ふふっ」と笑っているんですけど、それまでの睦では考えられない変な笑い方なんですよね。
「睦はこんなときには笑わない」というタイミングで、あえて笑う芝居を入れているんです。

――最終話のライブが終わったあと、ムツミが手にしていた鏡の中のムツミが笑っていたのはなぜでしょうか?
 あれは、モーティスも数ある「役」のひとつに面影を残すのみになった、というイメージなのですが、もっと言えば『Ave Mujica』という物語最後のカーテンコールに、バンドの一員としてモーティスも出してあげたかったという、僕の親心みたいなものです。
一応表側には「睦」として出ているので、せめて観客には見えない鏡の中で彼女を出したいと思い、あえてお願いしてああいう形にしてもらいました。
なのであの部分だけはメタ構造になっています。考察されている方がいらしたらすみません。