石田三成の挙兵 ★2

1人間七七四年2022/08/04(木) 07:56:40.68ID:e0lTanms
石田三成が上杉討伐で挙兵をしない、もしくは合戦
勃発後に挙兵していたらどうなっていたか。
※前スレ
石田三成の挙兵
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1646589302/

2人間七七四年2022/08/05(金) 09:27:13.71ID:VY/uAgzg
石田三成の巨乳

3人間七七四年2022/08/05(金) 09:35:12.11ID:p+9hTQr5
桃山純情伝 石田三成はFカップ

4人間七七四年2022/08/05(金) 14:38:07.87ID:+/HWj4PC
俺にも檄文送ってくれ

5人間七七四年2022/08/12(金) 15:02:24.60ID:ii6Jw/2O
>>三成が挙兵しなかったら
博士「大いに関係あるぞい。 この事件で敦通・通世は京都から追放され、久我家は通世の弟通前が跡を継ぐ事になる訳じゃが…」
博士「久我家とは、太政大臣にはなれる清華家の一家で、村上源氏の宗家…すなわち『源氏長者』の家系なんじゃ」
ケン太「それで判った! 家康が源氏長者を名乗らなかったのは、いくら官位が一番でもそんなあやふやな出自の人を、『源氏長者』にしたくない人たちがいたからなんだね!?」
ゆう子「具体的に言うと、その代表が久我家だったのね」
博士「この事件の直後から、利家との和議以降、各方面に異心はないという書状を連発していた家康が、強気に他の五大老に対していちゃもんつけて討伐を連呼するようになる」
ゆう子「とりあえず、なんでも良いからきっかけを作って、一家ずつ屠りたかったのね」
ケン太「家康にとっては、降って湧いた征夷大将軍就任という手段が、現実的になってきたからだね」
博士「そうじゃな。 一般に家康は上杉討伐に向った後に、石田三成が挙兵するのを狙ったと言うが、別に三成に挙兵されなくても良かったんじゃと思う」
ゆう子「一家ずつ潰していけば、最後は強引になんでも出来るものね」
https://ameblo.jp/hosoyatakaragi/entry-10800367294.html

6人間七七四年2022/08/12(金) 16:08:44.66ID:0b2ST2cz
お人形遊びに「博士」を登場させるのか。
書き手の境遇や心情が滲み出てるな。

7人間七七四年2022/08/13(土) 11:53:27.99ID:sV6F0E7g
会話形式のほうがわかりやすそうだからという事らしいが
博士が出現したのこれ一回だけ

8人間七七四年2022/08/13(土) 12:27:02.63ID:3JCwG+6o
石田三成の研究をしている人が、光成準治先生って分かりにくい

9人間七七四年2022/08/13(土) 13:03:46.04ID:id9HZIxw
11年前の投稿っていうのがもうね

10人間七七四年2022/08/13(土) 16:35:13.14ID:lUHB7QwP
前田 なんくせ
上杉 こっちはほぼ黒。攻撃を受けて当然の口実を与えた
豊家 鐘問題でボロだして口実を与えた

三成が挙兵しなくても何かしら口実を見つけたりしてほかの家を従わせていってたろうな
北条の有力御家人粛清みたいに

11人間七七四年2022/08/14(日) 07:19:46.01ID:XYOxoDNq
前田は利家時代に喧嘩を売ってきた前科がある以上は難癖ではないだろ
それに利長の謀反を訴えてきたのは奉行連中であって、別に家康が自分で主張したわけではない

12人間七七四年2022/08/14(日) 12:21:25.65ID:P9PLDit8
段取りとか形式なんかに全く頭が回らない知能の奴っているのかw
それで一人前の気で物言ってるんだから勇敢だな
まあそのぐらいのガッツがないとこの知能じゃ社会を生きていけないんだろうけど

13人間七七四年2022/08/14(日) 20:00:31.55ID:tl9RiK6k
ハンセン病でもう後先が無いキチガイに巻き込まれた三成可哀想

14人間七七四年2022/08/15(月) 12:55:17.66ID:5wmTEQBb
主犯は宇喜多秀家
負けたから全部みっくんのせいにされた

15人間七七四年2022/08/15(月) 16:36:48.70ID:7mJDHZh3
大谷吉継は普通に元気だったらしいよ。

16人間七七四年2022/08/16(火) 01:02:15.42ID:yNmZQJhk
1番めんどくさい小西を処理されたのを忘れられてて悲しいな

17人間七七四年2022/08/16(火) 08:13:42.70ID:2M8C6UVq
意味不明
小西なんかみっくんの舎弟の雑魚やろ

18人間七七四年2022/08/17(水) 06:44:27.59ID:RCJC/ex2
権力闘争は綺麗ごとじゃないですし。

実際、丹羽や蒲生が死後に大減封受けたから家康死後は予想しやすい
家康が悪辣な手を使ってもと考えるのも

19人間七七四年2022/08/17(水) 08:42:53.47ID:bM43nRD0
>>15
どこ情報?

20人間七七四年2022/08/17(水) 12:32:14.86ID:5/0kFSoM
>>18
朝鮮行かせて削れば良かったのに
行かせたら現地じゃ親分視されるだろうし目の届かない所で派閥作られるのが嫌だったんかな

21人間七七四年2022/08/17(水) 16:09:27.25ID:nX5CLBS8
>>19
大谷吉継健康説の根拠は二つあって一つは伏見城攻めの時に吉継が大酒を飲んで二日酔いになったという書状(確か島津書状)と大谷吉継が8月18日に北政所と共に豊国社に社参したという舜旧記の記載による。吉継が重い病を患っていて最期の奉公と命を燃やしていたなら酒の飲み過ぎなんかならない。豊国社は代理を出したって説もあるけどハンセン病の様な所謂業病を患ってる人間に供奉を命ずるほど北政所が大らかだったとは思えない。仮に単なる死病だったとしたら苛烈過ぎる。てことで大谷吉継は健康そのものだったと思われる。

22人間七七四年2022/08/17(水) 18:06:53.16ID:MiyYmspX
死に直結するような病は患ってなかっただろうが健康体はないわ
外岡氏も吉継は文禄3年以降病気の重篤化を理由に一線を退いていたことを指摘してる
慶長5年から白頭を名乗り黒印を使用し始めたのも眼病が更に悪化したため花押を書くのが困難になったからだろう

23人間七七四年2022/08/17(水) 18:37:01.82ID:RsePloG3
>>18
太閤遺言でも秀忠、利長は特に遺言されてるんで
一転大減封にさせない方針ではあったよ

次世代構想ができてなかったり
幼少で計算に入れられてなかったりして
無意無冠だった二人とは状況はちとちがう

まあでも政争仕掛けられて負けたりとかは
あり得ちゃう体制なのだけども

24人間七七四年2022/08/17(水) 19:13:12.09ID:y73WUQHr
病状が重かったら大酒飲んで2日酔いなんてまず有り得んから健康体だったんだろ。それとも大谷吉継もアル中だったのか?一世一代の大戦を前に悪い体調を押してでも酒飲まずにはいられない身体だったのか…

25人間七七四年2022/08/17(水) 19:33:34.85ID:58GtN21b

26人間七七四年2022/08/17(水) 20:55:38.93ID:nX5CLBS8
大谷吉継の眼病って慶長には治ってたんじゃなかったかな?
舞を見たとか記録に残ってたはず。それに目の視えない男が最前線に立っていたとも思えないし。

27人間七七四年2022/08/17(水) 21:15:34.58ID:+Crd80d/
そもそも茶会で膿が云々とかは戦後に出来た話で一次史料はおろか江戸時代の本にすら書かれてないって話だしハンセン病の可能性は無い。健康に問題があったとしてもすぐに快復する程度だった事になる。

28人間七七四年2022/08/17(水) 23:37:04.35ID:MiyYmspX
慶長4年10月2日付島津忠恒宛大谷吉継書状
「併近年病中故、何方へも無音之条、非疎意候」
本人が近年はずっと病気で誰にも連絡していないと説明してる

さっきは慶長5年から黒印を使用し始めたと言ったが誤りなので訂正する
白頭を名乗り始たのは慶長5年からで、眼病を患った文禄3年以降の吉継発給書状には黒印が使用されてる
その後死ぬまで黒印が使われてるから眼病が治ることはなかったと思われる
とは言え完全に失明してるわけじゃないし支障をきたすことはあってもそりゃ動けるでしょ

29人間七七四年2022/08/18(木) 10:15:47.61ID:EJticZ1q
病気患ってたにしては大谷吉継はアグレッシブすぎる

30人間七七四年2022/08/18(木) 10:29:35.97ID:DbqS2x4q
目が悪くなる病気で考えられるのはそうは多くない

ハンセン病、梅毒、糖尿病くらいかな。

この時代一型糖尿病になるとインシュリンがないから直ぐ深刻になるだろな。
梅毒も、数年程度で深刻になる例も記録にあるし。

31人間七七四年2022/08/18(木) 12:49:41.43ID:EJticZ1q
大谷吉継は慶長四年から七将襲撃事件・宇喜多騒動と外交問題に働き詰めで到底死病とは思えないし関ヶ原でも積極的に書状を送ってる。真田昌幸に対しては三成より早くコンタクトしてる。少なくとも健康体で死に掛けだった訳では無いんだろう。てかそうでないと舞い観たり酒飲んだり豊国社詣たりしてるのはなんなのかって話に。

32人間七七四年2022/08/18(木) 18:24:45.72ID:Gf0phxB0
>>20
秀吉に入っていた情報だと朝鮮は超豊かな大地で唐まで楽勝って話だったから徳川に手柄を立てられる訳にはいかなかった。で奉行が入って真実に気付いて秀吉を止めようとしたけど止められなかった。
慶長では複数の理由で家康を頼れなかった。まず秀次を殺した事で秀頼を守れるのが太閤秀吉と内大臣家康しか居なかった。また家康を送ると現地諸将は家康と繋がりが強くなるから送りたくない。それにもし徳川が敗れると日本最大勢力が大打撃を被ることになり明・朝鮮軍が勢い付く。

33人間七七四年2022/08/18(木) 18:46:09.62ID:V8LQfa8U
単に東側の大名は渡航してないだけ

34人間七七四年2022/08/18(木) 19:12:37.80ID:Gf0phxB0
伊達政宗ってどこの大名だっけ?

35人間七七四年2022/08/18(木) 21:20:58.84ID:R3fhVPeU
文禄の役では伊達政宗・上杉景勝の東国大名が動員されてるので一概に東西を理由にはできない

36人間七七四年2022/08/18(木) 21:45:36.67ID:Qys2oMdv
上杉も伊達もまともに戦ってないし西国の大名と負担は雲泥の差

37人間七七四年2022/08/18(木) 22:21:46.93ID:EJticZ1q
伊達政宗は晋州城(もくそ城)攻撃に参加している。晋州城主金某は降伏勧告を蹴って徹底抗戦したので大激戦となった。
上杉景勝は熊川城築城を行ってる。こうした普請の殆どは諸将の持ち出しだった。何もしてないとは言えない。特に伊達政宗に至っては現地で戦闘までしてるしな。

38人間七七四年2022/08/18(木) 22:24:34.82ID:Qys2oMdv
西国の大名と負担はどうかというと全然軽い
伊達も2回目はパス

39人間七七四年2022/08/18(木) 22:59:28.78ID:TADf+Ldn
母親宛の書状で政宗は「九州や四国の大名はまだ朝鮮に在陣するが、私はこの城の普請が終われば帰国できそうだ。
これも朝鮮から遠く離れた国を領する我等故で、この時ばかりは東北の大名で本当に良かった」と心情を吐露している

何もしてないとは言えないが、負担で言えば西国大名とは歴然の差がある

40人間七七四年2022/08/18(木) 23:09:17.63ID:/y1+Pk2Q
>>34
山形米沢だよ

41人間七七四年2022/08/19(金) 08:52:49.25ID:eROspdm6
>>34
元々は、出羽米沢が本拠地でした。
しかし、欧州征伐の後に旧領回復の陰謀がばれて陸奥陸前に転封。

上杉と険悪なのは旧本拠の米沢が上杉領なのもある

42人間七七四年2022/08/19(金) 11:08:38.31ID:C1AxxNDr
>>38
戦争地近くの諸将が先陣切るのは兵站の問題があるからだぞ。戦争地から遠ければ輸送コストが高くなる。
まぁそもそも「家康が動員されてないのは東の大名だから」が伊達政宗・上杉景勝らの動員によって否定されてるのでその軍役の軽重は論ずるものでは無いんだけどね。

43人間七七四年2022/08/19(金) 11:57:15.98ID:+Kb0oXFw
動員じゃなくて渡航だろ
渡航した東国の大名もいるが、渡航してない大名は東国がほとんど
そもそも負担の重さが問題なんだから渡航したとしても戦病死者続出の西国の大名に比べて東国の大名の負担が軽いのは自明

44人間七七四年2022/08/19(金) 12:03:53.30ID:nvB8dXU8
唐入りで削るという発想自体が的外れだから
負担がどうこう議論しても意味ないんじゃない

45人間七七四年2022/08/19(金) 15:01:12.34ID:WLgvrsnI
>>24
島津家文書に大谷吉継が伏見城攻めの最中に酒を飲み過ぎて次の日も気分が悪かったと書いてる書状が残ってる。そこまで飲めると言う事は体調はかなり良かったんだろう。吉継は慶長四年から働き詰めだしな。

46人間七七四年2022/08/19(金) 15:09:06.64ID:GR+gwpjE
伊達政宗らが普通に朝鮮に行かされてるし城の普請等の軍役もこなしてるので「家康は東の大名だから朝鮮に行かなかった」説はとうに破綻してる。
なんで伊達政宗らが朝鮮に送られてるかというと明らかにもくそ城攻略のため。秀吉は晋州城落城で明・朝鮮との講和を有利にしようとしてたから予備兵力も投入した。つまり秀吉は意図を持って徳川を使わなかったわけだけど俗説にあるように関東への移動を理由に断られたからかもしれないし家康に手柄を取られたく無かったからかもしれない。

47人間七七四年2022/08/19(金) 15:30:21.30ID:eROspdm6
実の所、口実作ろうと思えば何でも出来るからな。
大坂の陣みたいに、いちゃもん付けしようと思えばさ。

何故徳川を放置したんかね。

48人間七七四年2022/08/19(金) 15:42:59.18ID:TL0UxgHD
妄想太郎は無視として

朝鮮出兵は西国の大名が中心
東国はもともと相対的にずっと負担が軽い
その基本的なルールを変えて徳川だけ難癖つけて先陣任せる?
関東転封したばかりだし、効率面でどうだろうね
勝つための出兵である以上、西国の大名が行くのが効率的

49人間七七四年2022/08/19(金) 19:07:25.69ID:mQV8+gyt
東の大名は渡航してない!→東の大名は負担が少ないから!
とか意味不明なすり替えしても無意味じゃね?東国の大名が渡航してる以上さ。負担が軽くていいなら躊躇う理由が一つ消えるしね。

50人間七七四年2022/08/19(金) 19:24:01.89ID:w01taFtb
妄想バカの揚げ足取り

51人間七七四年2022/08/19(金) 19:52:01.89ID:T0mWjnfd
>>49
ID:C1AxxNDr
ID:WLgvrsnI
ID:GR+gwpjE
ID:mQV8+gyt

これ全部あんたの書き込みだよね?
今日だけでこんだけID変えてるのは何か意図があるの?

52人間七七四年2022/08/19(金) 20:31:10.15ID:mQV8+gyt
家康が東の大名だから外征に呼ばれなかった!ってのは伊達政宗・上杉景勝が文禄の役に呼ばれてるから否定された。当時の大名にも「東だから朝鮮には行かなくて済む」という発想は無かったんじゃないか?南部信直が三月に「(朝鮮に)渡航したくない。朝鮮で病気になると死ぬ」って書状を出しとるらしいし。

53人間七七四年2022/08/19(金) 20:48:32.46ID:QzT+YFNi
スルーに限る

54人間七七四年2022/08/19(金) 21:40:12.64ID:mQV8+gyt
>>50
そりゃこんなにガバガバな知識だと突っ込まれるさ。「東国の大名は朝鮮に渡航してない」なんて言ってる学者居るのか?一体何を読んだんだろうな。
小学生向けの伝記にすら伊達政宗が朝鮮に行きたくなくて金ピカの装備で名護屋に行ったなんて逸話描いてるのに。上杉景勝が渡航してないことはあんま知られてないけど。

55人間七七四年2022/08/19(金) 22:30:54.08ID:GizDVzWX
>>20
文禄2年3月14日付小少将(義姫の侍女)宛伊達政宗書状
「二番ニとしいへ・かもうひた、三番ふねニいへやす、そのほかくハんとう・ゑちこしゆ、
ミなミなのこり不申いたり申候、としいへの一くミハ、今月廿日ころニ候へく候」

という具合に一応前田も蒲生も徳川も皆渡海予定ではあったんだよね
前田・蒲生組はこの一週間後には渡海する予定だったし間違いなく彼らの渡海計画はあったが結局中止になってる

56人間七七四年2022/08/19(金) 22:38:59.79ID:FSpnrKBW
兵糧は基本各自負担だと思ってたが豊臣家からの補助は半分程度はあったの?

57人間七七四年2022/08/19(金) 23:54:33.80ID:r4sjIyOB
蔵米の兵糧支給は有償でしょ
あと水軍が足りなくて徳川とか前田みたいな大軍は運ぶの困難
兵糧もそうだし

58人間七七四年2022/08/20(土) 08:41:13.80ID:717Tz4l+
今川といい、徳川といい、せっかく大軍を擁してるのに
なんで本陣を手薄にすんのさ?
義元は討ち取られたし、家康も真田に馬印を引き倒されるほど追いつめられてたし

59人間七七四年2022/08/20(土) 08:45:41.03ID:717Tz4l+
寡兵で大軍を破った戦いであればやはり桶狭間の戦いだな
駿河・遠江・三河を支配し、海道一の弓取りとまで言われた今川義元の軍2万5千を
尾張一国の領主に過ぎない織田信長が3千で撃破し、義元の首級をあげた
兵力差8倍以上
まさに戦国史上ひいては日本史上最大の番狂わせ

60人間七七四年2022/08/20(土) 08:46:29.45ID:717Tz4l+
頼朝は義経がいなかったら平家を倒せなかった
家康は信長が搗いて、秀吉が捏ねた天下餅をくすねた

征夷大将軍らしいのはやっぱ尊氏
九州大返し、そして湊川の戦いで大勝利とかロマンやん

61人間七七四年2022/08/20(土) 10:01:47.95ID:VYRPZxFf
>>48
「徳川は転封したから出兵せずに済んだ」も事実では無い。
というのもまたも伊達政宗でこいつ天正19年(1591年)に葛西に転封されてる。家康の関東転封が天正18年とかだからかなり近しい。にも関わらず政宗は文禄3年(1593年)に朝鮮に渡航させられてる。家康は本国待機。だから転封があろうがなかろうが秀吉は構わず軍役を課してる。

62人間七七四年2022/08/20(土) 12:18:48.76ID:hwn22+Qy
>>61
家康は大軍を率いて名護屋在陣で秀吉の補佐をしている
本国待機なわけがない

63人間七七四年2022/08/20(土) 12:21:36.19ID:k5lS6hT2
伊達は小田原参陣が遅れて豊臣政権下で手柄がない
立場上忠誠をアピールする必要があるから志願して浅野と渡航したんじゃ?
徳川とは立場が違う

64人間七七四年2022/08/20(土) 13:36:17.60ID:/DJ+DerM
小西が「太閤殿下の要求した7か条を全て飲ませました」など出鱈目報告を繰り返していたからな
降伏したも同然(と思っている)相手に徳川とか前田を渡海させる必要はないだろ
小西の出鱈目報告がばれた後に徳川に渡海をお願いするのも、騙された自分が間抜けに感じてしまうし
慶長は西国大名を中心に尻拭いして来いという態度になるのは当然だろう

65人間七七四年2022/08/20(土) 17:51:09.81ID:717Tz4l+
三成「豊臣家を守ろう」
清正&正則「うるせー馬鹿」

三成「秀頼様の御出陣を!」
淀殿「ダメじゃ」

家康「豊臣の領地は削減ね」
淀殿「ファッ?!」

家康「加藤も福島も改易ね」
忠広&正則「ファッ?!」

三成「だから言ったろお前ら・・・」

66人間七七四年2022/08/20(土) 17:52:44.86ID:717Tz4l+
北条家臣「真田昌幸の城を奪ったお!」

秀吉「惣無事令って知ってる?上洛して直接謝罪に来てね」

氏政「名門北条が百姓出のサル顔に頭下げれるかヴォケ」

秀吉「やるのか?おっおっおっ」

素直に従って上洛していれば毛利や島津や上杉みたいに後北条も残れたかもしれないね

67人間七七四年2022/08/20(土) 21:25:13.96ID:MxSpL8L5
そもそも基本的な知識だと思うのだが
当初の計画はあくまで唐入りで
朝鮮出兵はその前哨に過ぎなかった
んで利家家康どころか
秀吉自身も渡海する予定だった

ところが楽勝のはずの朝鮮で
初戦こそ圧勝で首都を落とすも
政権は降伏せず明の援軍も来て
統治がままならず

万一を懸念して秀吉家康利家の出馬が
引き伸ばされたという展開
(さらに早期講和を目論む小西石田の
 欺瞞交錯による遅延も)

68人間七七四年2022/08/20(土) 21:29:16.29ID:MxSpL8L5
つまり別に徳川が出馬する予定が無かったのではない

敵に近いほど兵役を多く負担されて
先陣を切ることを期待される傾向はあり
それは朝鮮出兵でも基本的にはその通りだが

その話が何故か徳川は出馬予定がなかったと
すり替えられてないかね?
実際は太閤ともども出馬予定が繰り延べられて
出馬に至らなかっただけよね

69人間七七四年2022/08/20(土) 21:29:20.19ID:MxSpL8L5
つまり別に徳川が出馬する予定が無かったのではない

敵に近いほど兵役を多く負担されて
先陣を切ることを期待される傾向はあり
それは朝鮮出兵でも基本的にはその通りだが

その話が何故か徳川は出馬予定がなかったと
すり替えられてないかね?
実際は太閤ともども出馬予定が繰り延べられて
出馬に至らなかっただけよね

70人間七七四年2022/08/20(土) 22:58:03.00ID:/DJ+DerM
>>65
三成「関白が謀反を企てている。豊臣家を守ろう」
清正&正則「うるせー馬鹿」

三成「秀頼様のために秀次を妻子もろとも粛清しましょう」
秀吉「秀次を妻子もろとも殺し、家康を筆頭大老にして豊臣を任せる」
三成「ファッ?!」

清正&正則「だから言ったろ」

71人間七七四年2022/08/20(土) 23:42:17.88ID:717Tz4l+
秀吉も秀吉で家康を妙に信用し過ぎだよな
古い付き合いでも腹の底は見抜けなかったか

72人間七七四年2022/08/21(日) 09:16:59.28ID:utn4apxj
政権がお飾り秀頼、実質トップ家康で
安定してれば問題なかったんよ
あえて家康が危険を犯して秀頼滅ぼす必要なくなる

むしろ秀吉は奉行たちを信用し過ぎた

政権の安定を優先して己の権益失ってでも
新しいトップに従うとは人間ならないが
そこが何故かわかってなかった
あるいは冷静に勝ち目ないと判断できると
思ったのかもしれないが

73人間七七四年2022/08/21(日) 13:49:58.78ID:ACXU1/tn
>>56
基本的には各部隊が負担する。ただし公儀が軍役として行う場合は支度金下賜や公儀が貯蓄した物資の使用が許可されることがある。文禄の役だと事前情報がデタラメだったのと朝鮮水軍の活動で補給が出来なくなった、ってのと諸将が秀吉怖さで現実の戦況を報告しなかった事が被害を拡大させた。

74人間七七四年2022/08/21(日) 14:45:59.37ID:Z+SDZ163
>>73
なんで妄想でシッタカするの?

『豊臣政権の朝鮮出兵における兵糠米調達政策とその実態』って論文読んだ?
ネットで簡単に読めるんだけど
各大名は兵糧自弁、足りなくなったら公儀からの借米
公儀から支給されるのは秀吉直臣団だけです

妄想くんの言っていることの根拠教えてくれる?

75人間七七四年2022/08/22(月) 09:27:24.44ID:L2LRDpHF
>>67
凄い矛盾してると思わない?秀吉の狙いは唐入りなんだがそれが不可能という状況でしかも秀吉自身の渡航すら出来ない程の劣勢だった。だというに「明が降伏した」という明らかに非現実的な報告を何故信じるのか。普通なら「日本を押してる明が降伏なんかしない。何かある」と思うだろう?まぁこの解答として「秀吉は既に論理的思考が出来なくなっていた」ってのがあるしその可能性はかなり高いらしいけど。既に認知症に罹っていたとか。

76人間七七四年2022/08/22(月) 12:11:57.38ID:iUIH4eVX
>>75
妄想の前にシッタカのお詫びは?
なんで都合悪いとシカトするの?

77人間七七四年2022/08/22(月) 12:49:21.74ID:MV4NkFX5
>>75
論理的思考ができないのは君だろw

78人間七七四年2022/08/22(月) 15:20:36.18ID:0LA2uyGn
秀吉は明朝鮮相手に勝ったと思ってたのは明らかだからな。でなければあんな無茶苦茶な講和条件を押し付けたりしない。あれだけ高飛車な講和が結べると思ってたんだから正しい戦況を知らなかったことになる。大体秀吉の渡航が延期になったのは天候が理由だし。

79人間七七四年2022/08/22(月) 17:02:42.59ID:9o7Ms057
五月の漢城落城を知って秀吉は渡航しようとしたけど家康・利家に止められた。ここで二人は「秀吉が渡航する時には共をするから」と言ったという。結構興味深い。少なくとも二人は外征軍の現実を知ってた訳で故に朝鮮には渡りたくなかったろう。こうして秀吉を止めるように振舞いながら実は渡航の順番を最後にしたのだろうか。

80人間七七四年2022/08/22(月) 18:02:33.52ID:gDCaZO8V
人たらしと人を使う能力、家臣の献策を聞く能力に長けてたが
人の言うことを聞かなくなって自身の能力を過信した秀吉自身の軍略の無さは小田原征伐の忍城水攻めから出ていた

秀吉の水攻め指令に現場の三成らは大反対
秀吉の命令だからと渋々実行したら決壊して大損害&沼地化して逆に難攻不落の要塞化
朝鮮出兵も秀吉の当初の目的の唐入りなんか目指さず、秀吉が来ても迷惑だから止められてただけでは?

81人間七七四年2022/08/22(月) 18:23:15.65ID:wehJVtHM
>>79
適当なこと言うな
漢城陥落前の天正20年4月28日付福島正則宛豊臣秀吉朱印状等で既に秀吉渡海の意向は述べられてる
書中で秀吉は自身の渡海準備のため奉行を添えて空き船を名護屋まで運ぶよう命じてる

82人間七七四年2022/08/22(月) 19:19:21.02ID:qGH8uB0D
なお渡航は見送られた模様

83人間七七四年2022/08/22(月) 19:39:57.25ID:UsJr1zpM
渡海して悪戦苦闘し彼の地で客死でもすればまだ言い出しっぺとしての責任とったとも思えるんだがな
本人以外ほぼ誰も望んでいなかった国を賭け物にした外征を
結果的に配下任せのやりっ放しで何の後指示も出さず死んで
残ったのは駆り出された諸侯の疲弊と政権の分裂と衰退
これで家康が座りしままに天下餅食ったなんてよく言えるわ
秀吉が捏ねるの放棄して腐らしそうになった天下餅を危うく家康が救いあげて食品として完成させた
残った豊臣家は天下餅食うには幼すぎもしくは衰え過ぎて無理やり食わせたら喉につかえて死亡確定だった

84人間七七四年2022/08/22(月) 20:05:08.51ID:qGH8uB0D
>>80
朝鮮出兵は最初から失敗して当然の戦だった。指揮官が名護屋にいてそこから指揮を行うからタイムラグがある。一週間前の情報から一週間先の未来を予測しないとならない。正確な情報伝達が不可欠だが諸将は秀吉を怖がって都合の良い情報だけ送ってきた。こんなので勝てる指揮官は居ないわな。石田三成なんて諸将に軍役拒否させて欲しいって言ってるくらいだし。

85人間七七四年2022/08/22(月) 21:29:04.38ID:DAjvjm2N
>>33
伊達政宗は東の大名じゃなかった…?北の大名ってカウントしてるんかな

86人間七七四年2022/08/23(火) 01:17:58.63ID:3gWuqLus
>>84
そういうのいいから
シッタカしたお詫びは?

87人間七七四年2022/08/23(火) 06:45:10.47ID:0mbnBqb8
>>75
基本的な歴史の理解が矛盾してる訳でなく
そういう矛盾した状況だったんだよ

トップに対して失敗してると言えない状況
歴史上というか今の時代の身近な例でも
普通に生活してたらいくらもあると思うけど?

88人間七七四年2022/08/23(火) 07:03:31.39ID:0mbnBqb8
>>79
実際秀吉が出馬していたら泥沼化して
撤退がより困難になった可能性は高いよ
秀吉が出馬してたら勝ってたとかは楽観的過ぎる

当面の戦闘での勝利は得られても政治決着が無理
目的だった明を降伏させる全面勝利は得られず
かと言って目的達成もできないうちに
秀吉が撤退するのは政権の明確な失敗となりかねない

そして家康利家が日本にいなくなれば
秀吉を(うまく)諌められる人はいなくなる
政治的にもふたりの渡海引き伸ばしは必要だった
その点では家康利家奉行の利害は一致してたんよね

89人間七七四年2022/08/23(火) 17:39:33.90ID:YHJz6Dyk
秀吉が朝鮮に渡っていたら現実を認識して朝鮮出兵は即時打ち切りになった可能性が高い。秀吉が認知症になっていて適切な判断が出来なかった可能性もあるが流石に聞いてた朝鮮と現実の朝鮮の違いを知れば唐入りの不可能さを思い知っていたろう。そういう意味では本土で裸の王様だったのが悲喜劇だった。

90人間七七四年2022/08/23(火) 17:44:14.65ID:YHJz6Dyk
>>87
単純に秀吉の認識の問題。秀吉が朝鮮の現実、日本軍大苦戦を知っていたなら明に高飛車な講和条件なんか出さない。史実として秀吉は明・朝鮮に勝ったと思ってるからあんな非現実的な講和条件を突きつけた。これはつまり秀吉は朝鮮の現実を知らなかったということ。皆が朝鮮渡航を止めるのは苦戦してるからではなく気候の問題と思ってた。じゃあその秀吉が家康を朝鮮に送らなかったワケは?伊達政宗や上杉景勝は渡航してるから国の東西は関係ない。答えは家康に手柄を立てられたく無かったから、くらいしかない。

91人間七七四年2022/08/23(火) 19:39:20.09ID:4Jaz/PwM
三成は秀吉の出陣を要請したらしいけどそうでもしないと戦争が終わらないとみたんだろ

92人間七七四年2022/08/23(火) 20:12:06.29ID:iazGauf0
その三成も嘘情報で誤魔化してた訳だが

93人間七七四年2022/08/23(火) 20:55:20.92ID:8RvlUV48
>>89
そういうのいいから
なんでシッタカしたという指摘は無視するの?
論文読んでくれた?
はっきり書いてあるよね、読めば
直臣以外は借米だと
図書館で取り寄せなくてもPDFでさくっと読めるんだから読んでくれたよね?

94人間七七四年2022/08/23(火) 21:09:52.79ID:z1hB0tcO
>>92
一応本土に「聞いてた話と全く違う!このままだと日本は負ける!秀吉さまに話して戦略を変えるよう説得してくれ」と書状は送ってる(名護屋博物館所蔵)ただこれは秀吉には披露されなかったと見られてる。この時点で三成は秀吉を見限った。もしくは秀吉の絶対に叶う事の無い夢が叶ったという、優しい嘘を伝えてやることにしたんだろう。明はおろか朝鮮すら倒せないことを秀吉が認める筈もないから。

95人間七七四年2022/08/23(火) 21:14:30.40ID:8RvlUV48
>>94
で、シッタカした件についての見解は?
君の妄想なんて誰も興味がないんだよ

96人間七七四年2022/08/23(火) 21:21:59.62ID:u11XMc+G
ホント気持ち悪い奴だよなあ

97人間七七四年2022/08/23(火) 21:46:35.55ID:z1hB0tcO
>>95
お前さんが何にそんな興奮してるんだ?朝鮮出兵だと直臣だろうが自弁だぞ。有名なのが加藤清正書状(『今井文書』『本妙寺文書』)で清正は国許に向けて唐入りの物資を集めさせたり、また朝鮮に物資を送るよう命令してる。戦国時代、部隊長が全ての差配をするのは当然なのでそこまで妙じゃない。つまり秀吉は自分の子飼衆にすら物資を与えてなかった事になるがおそらく何らかの支度金位は渡していたろう。

98人間七七四年2022/08/23(火) 21:49:02.42ID:u11XMc+G
>>97
なんで文末のそれ、わざわざサラッとおまえの妄想書いてんの?
そういうところが嫌われるんだよ

99人間七七四年2022/08/23(火) 21:52:21.09ID:8RvlUV48
>>97
「おそらく」という根拠なきものをさも前提に話すからおまえは妄想太郎といって忌み嫌われるんだよ
ちなみに清正は直臣ではない
旗本と呼べるものが直臣だから根本的な認識も間違っている
頼むから書き込まないで
害悪

100人間七七四年2022/08/23(火) 21:54:17.62ID:8RvlUV48
>>98
見事にかぶったがこれが共通認識ではないかと思うね

101人間七七四年2022/08/23(火) 21:57:13.32ID:u11XMc+G
途中でいきなり知識不足丸出しの変な妄想が入るからすぐアイツだと分かる
指摘されてもスルーして再登場
相手にするのも気持ち悪い

102人間七七四年2022/08/23(火) 22:04:03.66ID:z1hB0tcO
>>98
だからお前さん何興奮してるの?どっかで論破されて頭真っ赤とか?
仮に秀吉が何ら支援をしていなかったとすると秀吉はとんでもない暴君になると思って言っとるだけよ。お前さんが「秀吉は部下を死地に裸で送った最低野郎」って言いたいのはよく分かったが…

103人間七七四年2022/08/23(火) 22:08:02.01ID:8RvlUV48
>>102
横だが、支援した根拠史料教えて
あ、君は史料読めないんだったね
撤回撤回
だろうで史学できるなら苦労はないな
おめさんには理解できないだろうけど
頼むからいろんなスレでしゃしゃってこないで
そのスレ必ず過疎るから
邪魔だって思われてるの分からない鈍感さんなの?

104人間七七四年2022/08/23(火) 22:10:16.90ID:8RvlUV48
>>102
あと、紹介した論文読んだ?
簡単に読めるのに読まないとかありえんけど
妄想が楽しいだけで新たな知識はインプットしたくないのかな
ならもう来ないで

105人間七七四年2022/08/23(火) 22:19:12.16ID:s3hUdTuP
>>97
今井文書?
清正が国元から物資補給を命じてる書状でそんな書状あったか?その今井文書とやらの日付は?
本妙寺文書で物資補給に関する書状は文禄2年4月28日付のものが一通だけあるが、関連史料なら下川文書が圧倒的に多いだろ

106人間七七四年2022/08/23(火) 22:22:37.51ID:z1hB0tcO
つまり秀吉は外征という大事業にあたって僅かの支援も行わなかったと?
…ひっどいなぁ。秀吉の株がまた一つ下がったね。

107人間七七四年2022/08/23(火) 22:28:05.10ID:8RvlUV48
>>106
株とか評価とかどうでもいいんだよ
事実としてあったかなかったか
妄想で下駄はかせて何になるの?
寄り付くなキチガイは

108人間七七四年2022/08/23(火) 23:23:07.31ID:3JU1E/bS
>>105
今井文書っていうと天正十九年極月の加藤清正文書では?内容は唐入り始まるから物資集めるぞってもの。その後朝鮮出兵が始まると清正は国許に物資を送らせようとしてるけど書状の感覚からして殆ど送れてない。

109人間七七四年2022/08/23(火) 23:24:21.53ID:3JU1E/bS
>>85
秀吉「家康殿は東の大名だから朝鮮に行かなくて良いぞ」

秀吉「政宗!景勝!お前ら朝鮮に行け!」
そりゃ大坂の陣ですわ

110人間七七四年2022/08/23(火) 23:29:51.32ID:u11XMc+G
ホントズレてんなあ
横から教えてやるけど加藤清正は大大抜擢されて秀吉の御恩に応えないといけない立場
だから他の大名と同様に兵粮も自分で十分に用意することが「忠節」の証
高級取りのサラリーマンが自分で良いスーツを用意したり自己研鑽する必要があるのと同じ

その前提がズレてるから秀吉は最低野郎とか裸で送ったとか変な妄想に繋がってる

111人間七七四年2022/08/24(水) 00:49:37.27ID:ckzd5kaD
>>108
12月17日付清正書状か
翻刻見れてないから確認できてないが、内容的には唐入りのための物資調達命令
ではなく、名護屋城普請に関する物資調達を命じたものじゃなかったか

渡海前なら渋沢栄一が所蔵してた天正19年8月13日付の清正書状の方が唐入りに向けての詳細な指示出してる
朝鮮出兵後はほとんど送れてないは言い過ぎだが、下川文書見ると鉛と塩硝が
常時不足してたようでかなりの頻度で早く送るようせっついてるのは確かだな

あと鬱陶しいから一々ID変えんな

112人間七七四年2022/08/24(水) 06:09:51.34ID:LSRrENAR
>>90
秀吉に報告あげる連中もついてくし
今更白紙撤回できる状況でもないよ

113人間七七四年2022/08/24(水) 06:11:39.81ID:LSRrENAR
あと変な話してるけど加藤清正は大名
「直臣」は豊臣家の禄を食む連中
大名は自弁

114人間七七四年2022/08/24(水) 10:50:53.77ID:bnYn973X
>>111
まず文禄二年四月十四日加藤清正書状(原富太郎氏蔵文)、同月二十八日加藤清正書状(本妙寺文書)に清正が兵糧欠乏に陥っていた事が記されているね(「都辺兵根不相続」「兵糧相越候事専一候」「兵糧之儀、成次第可差越事肝要候」)同じく玉薬に関しても数回催促が行われているから補給がままならない現実が窺える。具体的には文禄二年で「兵糧を送れ」と言っている書状は簡単に数えて三月に一通、四月に二通、六月に一通、八月に一通ある。

115人間七七四年2022/08/24(水) 11:03:16.05ID:3Xk+6s3f
たしかに加藤清正は熊本へ要求した物資不足が半分も届いてないと責めているが、これを公儀に責任転嫁するのは間違いだし清正もそのつもりは全くない

116人間七七四年2022/08/24(水) 13:09:07.37ID:Ee3yLtV9
二人の話の割り込みになり、そんな話はとっくにしてたなら済まないが、朝鮮出兵の書状ずらっと見てきた
朝鮮・明との戦争中は秀吉書状に大名の船は兵糧運送のために、秀吉管轄として全部集められてるから戦争中に各大名が自弁したという話はないな

釜山に兵糧が集められて、それを「手繰り」で漢城に至る城の古い御城米と交換しろという話が多々あったな
古くなった御城米は支給なのか借米なのか分からんが、奉行から加藤清正に兵糧は要るかという返答に、「現地調達(略奪?)したから要らんわ!」と書いてる辺り
船が秀吉に使われてるから釜山経由で奉行から貰うか現地調達するしかないわな

そろが兵糧欠乏による漢城撤退からの敗戦になるわけだけど

117人間七七四年2022/08/24(水) 13:42:19.84ID:3Xk+6s3f
>>116
船は秀吉が用意(各大名から有償で借りた)して各大名が運ぶ兵粮の運賃を免除した
この部分は秀吉の負担
兵粮自体は各大名が用意した(自弁)か、現地調達ありき
秀吉直轄軍の兵粮(御蔵米)は各大名の兵粮と厳密に区分され、原則支給されなかった
されたとしてもそれは借米か何かの褒美として与えられたもの(つまり有償)
御蔵米は秀吉直轄軍だけのものだけではなく、いざという時の籠城戦のためのもの
そもそもの話、直轄地の収入だけで各大名の兵粮賄うのは無理に決まってる(直轄地だって普通に軍役負担があるのだ)
当時は兵粮=現金同等物だから例えば加藤清正が秀吉に兵粮を要求するのは褒賞や減税を要求するに近く、不忠扱いされる

118人間七七四年2022/08/24(水) 18:27:46.55ID:bnYn973X
で話が戻る。秀吉は何故家康を朝鮮に送らなかったのか?
東の大名だから送られなかったというのは否定された。朝鮮出兵が負担になるから嫌がったのか朝鮮で手柄を立てられたく無かったのか?そう考えるとやっぱり秀吉、明や朝鮮を甘く見てたんだろうなぁ。

119人間七七四年2022/08/24(水) 18:42:07.01ID:OzgqSfEx
>>118
話を戻すけど、論文読んでくれた?
支度金の妄想、なにか根拠文書ありますか?

120人間七七四年2022/08/24(水) 19:03:45.50ID:bEDaz6m2
>>117
兵糧を要求しても不忠扱いにはならないんじゃないか。名護屋博物館所蔵の本土宛三成書状に小西行長の言として前線の兵糧不足を記してる。翌年一月に行長が兵糧不足で退却することを報告してる(富田仙助文書)行長と三成は盟友だから行長を嵌める讒言じゃない。じゃあ何故行長は三成に兵糧不足を訴えたのか。兵糧を送ってくれと言いたいんじゃないか?勿論その裏には「それが出来ないなら外征を止めろ」があったんだろうが。つまり仮に清正が兵糧不足を訴えても不忠と切られる事は無かったろう。

121人間七七四年2022/08/24(水) 19:08:34.47ID:YpNDnVGX
>>118
東国の大名だからだよ
文禄の役と慶長の役で分けて考えれば明らか
慶長の役は伊達も上杉も渡航していない
文禄の役は伊達と上杉が渡航したとはいえ、渡ってないのは東国の大名ばかり

122人間七七四年2022/08/24(水) 19:09:30.06ID:YpNDnVGX
>>120

要求したとしてもそれは借米

123人間七七四年2022/08/24(水) 19:20:38.53ID:OzgqSfEx
>>122
醤油うこと
清正を直臣扱いしたり基礎知識がなさすぎるんだよ、あいつ
史料も誤読するから何か挙げていても注意が必要

124人間七七四年2022/08/24(水) 19:40:21.09ID:bEDaz6m2
>>122
天正二十年正月の秀吉書状だと借米の場所は大坂か播磨。仮に借米だとして播磨からの輸送代や手続きは誰が取るんだ?

125人間七七四年2022/08/24(水) 19:42:26.53ID:bnYn973X
>>121
「東国の大名だからだよ」→わかる
「伊達や上杉は渡航してるけど」→いやおかしいだろ
ここまでド派手な自爆芸は見た事無いんだが誰の本に書いてあるん?伊達や上杉が渡航してるなら東国の大名でも渡航させられることになる。

126人間七七四年2022/08/24(水) 19:44:36.90ID:OzgqSfEx
>>124
上記に挙げた論文読めばほぼ答えが書いてあるよ
ほんと学ばないんだな
妄想だけで楽しめるんだから楽な性格してるね
ある意味うらやましい

127人間七七四年2022/08/24(水) 19:44:43.85ID:YpNDnVGX
>>124
だからさ、紹介された論文読めよ
何か不都合あるの?

128人間七七四年2022/08/24(水) 19:48:49.47ID:YpNDnVGX
>>125
朝鮮出兵のwikiでも読んでこいよ
東国の大名の負担は圧倒的に軽い

伊達や上杉が渡航してるのに徳川が渡航してないのはおかしい、なんて変な妄想するのは一かゼロでしかものを考えられない君特有の症状
兵站の問題で北上が難しいのに前田や徳川の大軍渡航させても無駄だろ
ましてや政権の中心なのに

129人間七七四年2022/08/24(水) 19:53:05.57ID:ckzd5kaD
>>114
自分で史料読んでるか?
文禄2年6月(朔日付)の清正書状挙げてるけど兵糧送れなんてどこに書いてるの?
国元の山中にある米・大豆は兵糧として渡す分以外は全て売り払えとしか書いてないが

「国本山中有候八木・大豆之儀、御兵粮ニ相渡、残分悉うり可申候間、無由断可出事肝要候」
この「御兵粮ニ相渡」は兵糧として使用する分って意味で、ここでは送れとは言ってない

130人間七七四年2022/08/24(水) 19:53:58.57ID:OzgqSfEx
都合が悪いことには返事すらしないクズムーブメント
だからどこでも嫌われるんだよ
それでも妄想を垂れ流すからスレが過疎になる
こういうのを老害と言うんです

131人間七七四年2022/08/24(水) 19:56:59.76ID:YpNDnVGX
普通は論文を紹介してもらったら「ありがとう」と言って読むものだが
シカトして妄想垂れ流すとはどういうことか?

132人間七七四年2022/08/24(水) 21:54:38.61ID:bnYn973X
>>127
では申し訳ないが言わせて貰うと、君がその論文を信じているならば正直正気を疑うかな。そもそもこの論文は先行研究による補強が無いがそれを抜きにしても酷い。私も秀吉は嫌いだけどこの論文は秀吉への嫌悪感で満ちていると思う。
論文の内容としては複数の一次史料から組み立ててはいる。まず秀吉は蔵入地から兵糧を集めていてこれは唐入りの為と説明してる。そして兵糧が朝鮮に送られた事を挙げる。
ところが突然、天正二十年正月の秀吉書状から「これらの兵糧は外征組の為ではなく「秀吉が統率する軍隊」の為だとする。そしてそれ以外の大名はこれらを使えず使用する場合「借米」となる。筆者は「秀吉が統率する軍隊」なる存在が誰のことか具体的に指摘していない。

133人間七七四年2022/08/24(水) 22:04:14.53ID:bnYn973X
まず前提として朝鮮出兵は秀吉の指揮下で行われているので加藤清正から毛利輝元、小西行長や伊達政宗まで全員「秀吉の統率する軍隊」に相当する。相当しないという事は秀吉の命令を無視して行動する軍団がいた事になる。
これをかなり限定して「豊臣家の武将」とする事も出来る。しかしだとすると加藤清正が除かれる理由が無い。清正は秀吉子飼衆の最たる例で秀吉から国を任されている。つまり彼はこの兵糧を使う権利がある。にも関わらず清正は国許に兵糧催促をしてる。秀吉は「兵糧が足りなかったら送る」とまで言っているのに何故なのか。

134人間七七四年2022/08/24(水) 22:07:25.83ID:bnYn973X
加藤清正ですら使えないならこの兵糧は何の為にあるのか?
筆者はこれに手を付けると「借米」になるとする。ここはかなり悪意がある。つまり秀吉は大量の物資を集めながらそれを大名には与えず貸し付けていたと言っているのだから。
これは無茶苦茶に悪質で秀吉が嫌いだとしてもここまでは…何しろ自分で諸将を地獄に送り付けておきながら食糧は自弁、山と積まれた物資は使わせずに困窮した大名に貸し付けていた…となる訳で幾らなんでも酷いんじゃないか?

135人間七七四年2022/08/24(水) 22:13:21.60ID:bnYn973X
だから私としては東京大学教授とやらをしてる高木昭作氏の説の方が説得力があると感じる。彼は著作「公儀権力の確立」の中で「最終的には中央権力が兵糧の補給に責任を持つ」としてるがこれが妥当だろう。秀吉は確かに悪党かもしれないが兵糧三十万石を貸付の原資にするほど我利我利亡者じゃ無かったはずだ。

136人間七七四年2022/08/24(水) 22:25:06.06ID:YpNDnVGX
>>132

> >>127
> 私も秀吉は嫌いだけどこの論文は秀吉への嫌悪感で満ちていると思う。

満ちてません
君の妄想です

137人間七七四年2022/08/24(水) 22:40:33.55ID:OzgqSfEx
好き嫌いとかひどい云々で論文書くわけないだろ
史学というか学問に携わったことないだろ
大学すら出てないんじゃないか?

きっちり先行研究に言及した上で批判するところは史料を挙げて批判しているし
難癖つけるなら慶長がほぼなく文ろくに片寄っているとか、言い様はあるのにこのざま
頼むから消えて

138人間七七四年2022/08/24(水) 22:41:33.98ID:YpNDnVGX
>>133

>も関わらず清正は国許に兵糧催促をしてる。秀吉は「兵糧が足りなかったら送る」とまで言っているのに何故なのか。

それが御恩と奉公だから
高級取りのくせに会社にスーツ代と夕飯代くださいと頼むようなものだから
どうしても兵粮が用意できないのなら秀吉が有償で貸す
清正は自分の評価上げるためにも自分で用意しようとする

大前提は各大名が自分で兵粮を用意する

139人間七七四年2022/08/24(水) 22:48:42.80ID:YpNDnVGX
>>134

> 加藤清正ですら使えないならこの兵糧は何の為にあるのか?

戦国時代、城には米を備蓄することが日本全国共通の常識
いざというときの籠城のためであり、通過する軍に食べさせるためのもの(もちろん有償)

> ここはかなり悪意がある。つまり秀吉は大量の物資を集めながらそれを大名には与えず貸し付けていたと言っているのだから。

各大名は所領を貰い、或いは所領安堵されて所領に対し強力な徴税権を有する
各大名が兵粮を自弁するのは当然
公儀の米に手をつけるのは恩賞を受けてるのと同義だから公儀として公平性を保つため、有償でなくてはならない

> 幾らなんでも酷いんじゃないか?

君の妄想

140人間七七四年2022/08/24(水) 23:07:19.65ID:OzgqSfEx
しかしまあ、業界向けの論文で基礎を共有している人間に読まれると思って書いているのだろうけど
悪意がどうのとか理解不能な解釈される筆者に同情する
紹介したことに後悔すら感じる

141人間七七四年2022/08/24(水) 23:14:15.18ID:OzgqSfEx
高木先生の論考は未読だが、こいつが書いているとそのままの内容なのか極めて怪しい
史料も実際に読むと真逆の解釈とか平気でするからな

142人間七七四年2022/08/24(水) 23:20:34.24ID:U5dqtQGi
ま~たスレタイとは全然関係ない話ししてるな
家康マンセーや朝鮮の話ししたけりゃあ当該スレでやってくれや

143人間七七四年2022/08/25(木) 02:31:40.68ID:70ahvpKt
そもそも関ヶ原のIFスレいくつ立てたら気が済むんだ?
スレタイどーのこーのよりも、「ゴミスレ乱立させんなクズ」って話では?

144人間七七四年2022/08/25(木) 05:39:59.80ID:4H9/ODl0
前スレ埋めろ

145人間七七四年2022/08/25(木) 08:08:39.59ID:kgVHJSzf
>>117
116のレスの者だけど、やっぱ借米か
釜山から漢城までの輸送は大変だったようで最終的には海路で輸送しやすい南岸側の倭城に防衛ライン引く有り様はやっぱ秀吉の戦略は最初から失敗してんだな
海路も海路で途中で水夫が大量死して秀吉や奉行から日本軍に自分で兵糧確保しろと言った辺りからもうヤバかったな

146人間七七四年2022/08/25(木) 10:02:38.91ID:Z6QcojqF
>>121
文禄の役に出兵して渡航もしてるのに知られているのが乱取り報告書くらいの佐竹さんも思い出してあげてください…

147人間七七四年2022/08/25(木) 17:11:39.85ID:srAxS9YQ
そういや半島南岸に拠点だけ築いてそれが終わったらそのまま帰国したの結構いたんじゃなかったけ?5万ぐらいだったかな?

148人間七七四年2022/08/25(木) 20:13:14.44ID:WK0Zufv1
御城米については中野等氏や服部英雄氏が既に述べているけど基本的に御城米は城主が受け取って管理するもので借米のように見える。「見える」というのは御城米は政権側が輸送から貯蓄までを担っている点が単なる借米とは違う。だから「御城米が無くなる」ことは政権側の落ち度で城主の落ち度とまでは言えなかった。

149人間七七四年2022/08/25(木) 20:38:53.15ID:YibXrMQl
>>148

> 御城米については中野等氏や服部英雄氏が既に述べているけど基本的に御城米は城主が受け取って管理するもので借米のように見える。

見えない
御蔵米は御蔵米で公儀のもの
原則手をつけてはいけない
各大名は厳密に管理して数量を定期的に報告し、使ったら報告しろと命じられている

150人間七七四年2022/08/25(木) 22:12:58.16ID:iZcuMTex
江戸幕府なんて島原の乱で各大名に兵糧米を配ってるからね。秀吉が江戸幕府以下なのは時系列上仕方ないがそれでも似た様な事はしてるさ。服部氏によればまず各大名の陣中兵粮が大名負担なのは当たり前として城の備蓄米は政権側が責任を持つとしてる。この備蓄米は籠城用の米なので気軽に手を付けてはならないが禁止されてるものじゃない。戦になればこれらの物資は当然に消費されるしその補充は政権が責任を持つ。
天正二十年正月の秀吉書状では「全国の武将に兵粮を渡す」と書いてるけど上記の江戸幕府と同じで物資援助を約束してたんだろう。何故かといえば政権にとって戦争に勝つ事が重要で大名を甚振りたい訳じゃ無い。兵粮援助で勝利が買えるなら安いもんだろう。負けたけど。

151人間七七四年2022/08/25(木) 22:30:34.38ID:YibXrMQl
借米だからとケチで秀吉が意地悪してるように妄想してるようだが、御蔵米に手をつけたら日本でその分返すだけのことだよ
ちゃんと管理してるからこそ勝手に使うなということでもある

152人間七七四年2022/08/26(金) 17:01:16.44ID:JsLqGOhK
ケチで意地悪とかそんな話してたか?

153人間七七四年2022/08/26(金) 18:11:42.43ID:ThuZe3K/
御城米は籠城用の物資なので基本的にその全ては政権が担当する。敵に攻められて使用した場合は直ちに政権が補充しないとならない。それで小西行長も「兵糧が無い」と石田三成に報告してるわけだね(名護屋城博物館所蔵)
「手を付けてはならない」は間違いでだとすると何の為にあるのかわからない。籠城用なので気軽に使う事は許されないが使えない訳では無いよ。政権にとって重要なのは戦争に勝つ事でこれはその一環なんだから。

154人間七七四年2022/08/27(土) 11:45:26.20ID:hQt0dmDJ
三成は挙兵するにあたり、なぜ伏見城を20日近くも攻める愚行をしたのか

もうあれで挙兵失敗が決まったようなもの
なんで伏見城なんか後回しにして、さっさと濃尾から東海道を抑えようとしなかった

155人間七七四年2022/08/27(土) 18:17:52.92ID:P3+QrqZg
>>154
そもそもトットと落とせない体たらくでクーデターなんか起こしたのが間違い

156人間七七四年2022/08/27(土) 19:47:07.18ID:+HcSYRvA
挙兵して味方を集める計画だったけど
結果思うように集まらんかったってだけだわな

157人間七七四年2022/08/27(土) 23:46:38.40ID:Y3rks4mk
関ヶ原で負けたことよりその後陣営を維持できずあっさり崩壊したことのほうが問題
南北朝や応仁のように長期化させればまだ芽があったかも知れないのに

158人間七七四年2022/08/28(日) 12:18:41.85ID:iTWG2pei
南北朝や応仁と違って豊臣の後継者は秀頼で確定しており
元官僚に過ぎない三成が俺を政権に戻せと我儘を言っているだけだからな

159人間七七四年2022/08/28(日) 13:28:11.60ID:pbNBpWsV
東海道を抑えろというけどそもそも
東海筋の大名が靡かないわけで

留守居の城なら簡単に落ちるでわけじゃなく
内応させられなきゃ時間がかかる
落ちない城が増えるだけかと

160人間七七四年2022/08/29(月) 01:42:59.40ID:F1pfX+pc
>>159
清須城だけ落とせれば全然違うぞ。

史実の動きは清須の兵糧あてにして東軍動いてるからね。
西軍が抑える事が出来たら、家康はウルトラマンにしか成らない

161人間七七四年2022/08/29(月) 06:11:59.23ID:Hk8kkP9E
うんまあ落とせりゃな

162人間七七四年2022/08/29(月) 08:19:01.00ID:HDZw9CCY
そもそも石田って奉行席順は4位だろ?秀吉死亡~利家死亡まであんま動いていない。
浅野が主導だしぶっちゃけ七将蟄居後も動いていない。石田の暗躍も基本憶測だしな。
関ケ原は西軍は宇喜多・毛利が主導で中央で都合よく残っていた奉行枠で使われたとかなんじゃね。
後東軍は都合よく首謀者格にできそうな奴だった都合よく切った。

関ケ原の戦いは斜めに見ると大坂の陣より暗闇が深い。

163人間七七四年2022/08/29(月) 12:04:55.10ID:J7Ti7kQ/
>>161
確か関ヶ原で誰かが伊勢路から清州攻撃言ってたよな
美濃方面制圧前だったから無茶だけど、採用してもよかったんじゃないか
家康に勝つこと自体ばくちみたいなものだし

164人間七七四年2022/08/29(月) 13:52:56.69ID:2VfuUfhu
三成は主力部隊を東進させて徳川を上杉と挟み撃ちにする作戦を提案したけど伊勢制圧を訴えた安国寺らの案が採用されて万事休す。三成の単なる短期決戦志向じゃなくて味方になってる真田家が対東軍最前線になっていて兵を送りたいし岐阜城の織田秀信が兵を集められなくて頼りにならんっていう状況から来てる面もあるんだろうけど

165人間七七四年2022/08/29(月) 17:30:46.72ID:OrtLAnGT
家康に勝つこと自体博打って…
その後の悲惨な結末知ってるからそんな事を言えるだけであって
あの時の西軍の戦略って上杉が関東で暴れることを期待した持久戦でしょ

166人間七七四年2022/08/29(月) 18:55:53.46ID:8p5Ie5NT
>>163
博打を打つのにも全軍従えてないと無理だろ

167人間七七四年2022/08/29(月) 18:57:54.78ID:0p0IOasF
>>165
それ自体部の悪い博打以外の何者でもないやんw

168人間七七四年2022/08/29(月) 19:25:06.02ID:mUgNCyZi
>>163
言ってる奴が大谷吉継とかならいいんだけど確か吉川広家と毛利秀元なんだよな…この2人徳川との内通を疑われてたから採用されんかったんだと

169人間七七四年2022/08/29(月) 20:32:20.61ID:GHY/z1WL
>>163
宇喜多らが伊勢路から攻めてたけど時間切れで大垣に集結やん
まさか兵糧運搬の海路のために港掌握しながら順に落として行くのは古来からの常套手段であり常道
未来予知して間に合わないから素通りして行けとかいう話?

170人間七七四年2022/08/29(月) 21:10:36.27ID:Xin88U8x
伊勢掌握しとかんと東海道から上方に抜けられるやん、九鬼の息子は東軍だし

171人間七七四年2022/08/29(月) 21:49:42.84ID:2VfuUfhu
情報戦で西軍は押されてるからねぇ。三成は単に佐和山、大垣の司令官で他の隊に命令出来たかも怪しいのに単体で東軍に立ち向かえって方が

172人間七七四年2022/08/30(火) 06:19:15.71ID:BummtmjE
>>169
普通にそういう主張と思ってた
常識はずれの奇策だから博打と言ってるんだと

173人間七七四年2022/08/30(火) 07:08:28.02ID:YUXjCkj9
西軍の中でだれか家康と刺し違える奴はいなかったのか
要は家康さえいなくなれば、秀忠なら何とかなったのに

174人間七七四年2022/08/30(火) 08:29:11.92ID:R4Hr3QHY
常識外れの奇策って戦術においてはあるが
兵站無視などの戦略段階の常識外れの奇策ってあるんか?

175人間七七四年2022/08/30(火) 17:02:46.61ID:ki4dYcAQ
>>173
刺し違える遥か手前で死ぬから無理。無駄死には誰だって嫌だろう

176人間七七四年2022/08/30(火) 19:19:02.88ID:4IAxABhk
三成って私財を投じて戦争してるからね大坂に捨てられたけど

177人間七七四年2022/08/30(火) 19:23:48.38ID:W4Wz4FIs
兵站無視はよくハンニバルのアルプス山脈越えを挙げられるけど
あれ結局、兵站欠乏によりローマ本拠地を攻撃できず
重要港を制圧&制海権を得ていないことからカルタゴ本国から増援と物資も呼べずジリ貧になって負けたんだよな
天才的な戦術による連戦連勝を重ねても戦略的な劣勢を覆せなかった

178人間七七四年2022/08/30(火) 19:28:14.46ID:H03oMfVg
今川家は稀代の人材をみすみす逃してるよね
秀吉とか山本勘介とか

179人間七七四年2022/08/30(火) 20:59:41.78ID:2NcnrCzM
山本勘助?キツツキ戦法やらをやろうとして謙信に裏をかかれて討ち取られ、信玄の弟の信繁も死なせた無能か?

180人間七七四年2022/08/30(火) 21:17:52.73ID:ki4dYcAQ
三成に出来ることと言ったら自分の軍と大垣にある西軍勢力を使うことくらいで後は大坂の増田長盛か毛利輝元に相談するしかないっていう感じ。そこに東軍の大軍が襲来で勝てるはずが無い

181人間七七四年2022/08/30(火) 21:23:30.48ID:xqHLUzNF
>>176
大名はみんな私財じゃないの?

182人間七七四年2022/08/31(水) 01:19:19.93ID:n8kYsq4G
>>181
三成のいい話ってみんな後世のものなのに
なぜか軍記類でも信頼性ありとされてる疑問

183人間七七四年2022/08/31(水) 08:05:10.94ID:rRuHSOSj
三成は九月十二日増田長盛宛書状で私は大分金使っています早く金を送ってください、と言ってる。どうも分不相応に金を使っていたらしい。織田秀信や織田信雄の逸話から察するに本来大坂が払うべきものすら三成が自腹切ってたんじゃないか。同書状には兵糧の輸送についても重ねて書いてあるから大坂から見捨てられてたんじゃ。

184人間七七四年2022/08/31(水) 10:10:33.97ID:wTsFxELP
豊臣家の金穀って政権の金穀でもあるわけだろ?
政権の中枢にいる奉行が拠出を求めても拒否できるものなんだな
つまりは豊臣家として西軍を公儀軍として認めなかったということにもなるのでは
西軍が公儀になったとする研究者はこの豊臣家の金穀拠出拒否をどう解釈してるんだろう

185人間七七四年2022/08/31(水) 10:34:55.19ID:n8kYsq4G
>>184
主家に金出せって
奉行でも無いのにそんなことできるのか?

186人間七七四年2022/08/31(水) 10:53:14.62ID:wTsFxELP
>>185
三成以外の現役三奉行は拠出を求めてなかったってこと?
家康は会津征伐にあたって豊臣家から黄金2万両と米2万石を下賜されたそうだが
その辺の違いがよくわからん

187人間七七四年2022/08/31(水) 10:58:23.12ID:n8kYsq4G
>>186
三成 奉行でも何でもない一家臣
家康 秀吉の義弟で妹婿、秀頼の外祖父(予定)、秀吉の遺命で政権任されてる

格が違いすぎる

188人間七七四年2022/08/31(水) 11:09:03.57ID:ur24j3TP
基本的に兵糧は各武将が用意する、のだけどそれだと兵糧を用意出来なかった隊が落伍して戦争にならないので最終的にはトップが用意する。それは貸しになったり恩寵米になったりと形は様々だけど要はトップが兵糧を用意する事になる。だから三成が兵糧や資金を要求してもおかしくない。仮に人を調略で引き入れてたなら支払いは豊臣になるし。

189人間七七四年2022/08/31(水) 11:11:43.77ID:wTsFxELP
>>187
それはものすごくわかるんだけど、じゃあ三成の言う金送ってくれは誰の金なんだろうかと
三成自身は身上はたいてるから三奉行や毛利らの私財から送ってくれと言ってるのか
豊臣家から金出すよう働きかけてくれと言ってるのかどっちなんだろう

190人間七七四年2022/08/31(水) 12:26:52.27ID:n8kYsq4G
>>189
そりゃ豊臣の金でしょ
毛利や宇喜多は朝鮮のために財政がそこまで
余裕ないはずだし

191人間七七四年2022/08/31(水) 12:52:10.70ID:wvSpFl9u
9月12日付増田宛三成書状(古今消息集所収文書)って当時は使われてない表現
「遠慮深く」、「ちゝミたる」等があったりして白峰氏は偽書扱いしてるな

高橋氏の主張に白峰氏が検証反論したものだが、5,6年前の話だし今は話がまた進展してるかもしれんが

192人間七七四年2022/08/31(水) 17:13:55.36ID:P60+Klaw
度々申し入れたってあるから大坂の増田長盛は三成からの度重なる要請を黙殺してたって話で三成からすると不気味というか嫌な予感してたろうな

193人間七七四年2022/08/31(水) 18:32:40.03ID:KnNv4G2F
>>183
本来大阪が払うべきものって何?
反乱軍の戦費は払うべきでないと思うけど

194人間七七四年2022/08/31(水) 20:03:04.83ID:ur24j3TP
石田三成は毛利輝元・増田長盛と同調してる仲間なんだから反乱軍でもなんでもないし。秀頼が西軍討伐命令出してればそれを盾に出来たかもしれんけどね。戦況不利を知って三成達を切り捨てる腹算用だったんだろう。

195人間七七四年2022/08/31(水) 20:42:43.89ID:IASQN2Zf
公儀(家康)に反乱を起こしているのだから西軍は反乱軍だよ

196人間七七四年2022/08/31(水) 20:49:28.36ID:NqivNMB1
>>190
家康の会津征伐は秀頼に事前の許可を取って朝廷にも届け出たから
豊臣家も軍資金や兵糧を出したけど
西軍は何の許可もなく勝手に集まって勝手に暴れているだけ
別に淀・秀頼が三成に「家康と戦ってくれ」と頼んだわけでも何でもない
豊臣家が西軍に軍資金や兵糧を出すなどありえない話だった

197人間七七四年2022/08/31(水) 21:42:12.35ID:ur24j3TP
>>195
それは外部から見たらの話で増田長盛は正にその西軍に参加してるんだぜ。長盛は内府違いの条々にサインしてる反乱の首魁、徳川家康が来たら下手すりゃ首が飛ぶ立場にいる。
「このままだと俺は斬首だ。だが石田三成ら大垣衆を差し出せば罪一等は免れるかもしれない」と考えていたのでは?というならその可能性はあるけど長盛の人間性っていうかその本性ってのが…下劣というか

198人間七七四年2022/09/01(木) 00:06:40.60ID:h5EmoU5h
勝ってるんならともかく敗色濃厚なのに公金つぎ込める道理がない

199人間七七四年2022/09/01(木) 06:55:05.41ID:WJAXxdLU
秀頼も淀君も西軍支持してないからな
大阪城押さえられてもそんなんなんだから

200人間七七四年2022/09/01(木) 07:33:38.48ID:uPn4ZlXj
そしてその淀君も秀頼も
西軍と同じ運命を辿る訳か

201人間七七四年2022/09/01(木) 07:53:09.92ID:YChxRhw3
西軍の蜂起のせいで惣無事を掲げた政権の
存在意義が否定されてしまったからな

202人間七七四年2022/09/01(木) 10:08:54.64ID:1p8cJuBX
渡邊大門だったかと思うけど増田長盛は大坂城の蔵を押さえていて金銀兵糧は長盛が一手に担っていたらしい。要は兵站担当なんだがそれが負けそうだからで前線を切り捨てたとなると結構えげつないお話になりそう

203人間七七四年2022/09/01(木) 15:08:53.70ID:vWHyDgqB
>>193
反乱軍てw
基礎知識もないバカが無理に口出すなよw

204人間七七四年2022/09/01(木) 19:37:45.08ID:ZjKGTy03
九月十二日の書状だと三成は刈田による兵糧補給を主張したけど長束・安国寺が反対して近江から運ぶ事に決まったらしいがなんで長束たちは刈田に反対したんだろう

205人間七七四年2022/09/01(木) 21:53:15.48ID:YzI5hvW5
>>203
豊臣公儀の軍隊ではないぞ
秀頼は命を下してもないし支持を表明してない
対する徳川は秀頼のお墨付きもらって出陣した

206人間七七四年2022/09/01(木) 22:04:41.24ID:eq6eV+L8
って訳じゃ無いらしい
秀頼配下の弓鉄砲隊が関ヶ原に参加してるから
毛利輝元が大坂城を乗っ取った時に豊臣の親衛隊も指揮権を奪われていたらしい。対外的には豊臣vs徳川なのも秀頼の軍隊が徳川に戦争してたからなんだと

207人間七七四年2022/09/01(木) 22:07:25.50ID:Gr47RHAT
いや秀頼直属の家臣団で参戦してないのもいて
参戦してる連中も秀頼の下命は確認できない

208人間七七四年2022/09/01(木) 22:07:29.46ID:FQvncvBu
いや秀頼直属の家臣団で参戦してないのもいて
参戦してる連中も秀頼の下命は確認できない

209人間七七四年2022/09/01(木) 22:31:22.73ID:kZBQZA53
コンマ秒で同一文のID違いとかどうやんの

210人間七七四年2022/09/01(木) 22:38:46.21ID:CLHm3ptX
普通に野良Wi-Fi拾っただけだな多分

211人間七七四年2022/09/01(木) 22:44:06.26ID:3Wetnfpb
へー
メール欄で自己主張しているつもりなのかもしんないが、出先だとメール欄確認面倒だからコテにしてくんない?

212人間七七四年2022/09/01(木) 22:59:55.84ID:WJAXxdLU
メール欄に何か入ってること自体今言われて気づいたわw
とりあえずあなたは面倒な人だな

213人間七七四年2022/09/01(木) 23:02:39.05ID:ULFzilOX
毛利公儀説だと輝元が大坂城に入って豊臣が文句言わなかった時点で毛利が公儀になったことになってるし…

214人間七七四年2022/09/01(木) 23:08:52.10ID:k0prPX+v
豊臣公儀は家康にあるんだから秀頼からは奪えないよ

215人間七七四年2022/09/01(木) 23:11:22.65ID:3Wetnfpb
>>212
気付かずageていたなら指摘に感謝くらいはいいんじゃない?めんどくさいってひどいな

216人間七七四年2022/09/02(金) 08:55:41.72ID:Ewf1Lmwf
武力で占拠したら公儀が手に入る
ってなっちゃうとその公儀から
武力以上の正当性を奪ったに等しい

武力で言うこと聞かせるだけじゃなく
より安定で持続的な統治を実現するために
諸大名の上洛謁見やら朝廷巻き込んだ官位制やら
秀吉は豊臣公儀としての手続きを整えてきた

だから家康は秀吉死後、最大の武力を持ちながら
すでに整えられた公儀としての手続きを
踏むことで継承しようとしてたんよね
逆言うと豊臣公儀は天下の統治手段として機能した

でもその政権手続き無視してしまったことで
実は武力でなんとでもなると喧伝したに等しく
豊臣公儀の命脈は断たれてしまった

217人間七七四年2022/09/02(金) 08:58:46.47ID:Ewf1Lmwf
めっちゃ単純な話政権内での序列争いや
秀頼や朝廷への根回しでトップ争いしてたのが

毛利と奉行らは武力で秀頼抑えた方が勝ちという
別のルールで勝ちを狙ってしまった

結局武力で決めるなら
秀頼の身柄の押さえ合いとかじゃなく
強い方がトップでええやんてなっちゃうわな

218人間七七四年2022/09/02(金) 18:56:44.95ID:iXy+rgiV
内府違いの条々を出しても秀頼を人質に取っても家康の公儀をひっくり返すことは出来なかった
そうなればもう自分がトップになってもいいんやと思うよね

219人間七七四年2022/09/03(土) 02:54:13.16ID:ZbQfslzD
どちらかと言えば豊臣の仮想敵国になるのは毛利>徳川じゃないのか
少なくとも秀吉は徳川は親戚として完全に取り込もうとしてたからな

220人間七七四年2022/09/03(土) 09:36:30.53ID:YV+O01kj
もちろんクーデター起こした毛利が悪いんだが、豊臣も豊臣で徳川に西軍討伐指令を送るか毛利に乗っかるかしないとダメだった。中途半端に両建てしたから…

221人間七七四年2022/09/03(土) 16:12:06.66ID:y3Zs3stF
>>206
秀頼麾下の詳細な参戦経緯とか指揮系統についてどこかに資料残ってないのかねえ

222人間七七四年2022/09/04(日) 07:53:55.04ID:GyfPIduy
毛利公儀論者である高橋陽介氏とかの著書によると複数の史料に豊臣公儀が西軍に与した事が残ってるんだとか。
一例だと八月二十九日に保科正光が美濃方面の状況を報告したものに「大柿(大垣)に三成・秀家…そのほか豊臣家馬廻衆」とあったりしてるんだと。最後の南宮山にも豊臣家弓鉄砲隊がいて徳川と戦闘になってたし指揮系統を完全にジャックされてたのかもしれない。ただこの動きだけを捉えた研究は知らない…あるのだろうか。

223人間七七四年2022/09/04(日) 12:10:57.44ID:YgnlfYDb
豊臣公儀なんてものはない、秀吉公儀があっただけ
秀吉の残り香と家康の力で死後も全国統治を継続していたにすぎない
呆けたとはいえ秀吉も戦国の世を生き抜いた人間だからそういう現実は理解していたが
秀吉の威光で威張り散らしていた下っ端連中が理解できず
秀吉の死後も自分たちが公儀だと威張り続けられると勘違いしていた

224人間七七四年2022/09/04(日) 12:47:02.40ID:tIRU4BIp
「西軍が豊臣抗議を名乗った」
「豊臣馬廻で西軍に付いた将もいる」
これは確か

「だから西軍は豊臣公儀」
「だから豊臣公儀は西軍を支持した」
と解釈するかどうかはそれぞれの見解の領域かな

個人的には秀頼が公的に支持を表明してない
(支持を表明する文書さえ出させることができない)
のでそれはどうだろうと思うけど

225人間七七四年2022/09/04(日) 15:09:57.11ID:ZXmd5vmK
北条包囲網(山内・扇谷両上杉、古河公方、今川、里見)→瓦解
信長包囲網(義昭、浅井、朝倉、本願寺、雑賀衆、武田)→瓦解

なんでや・・・

226人間七七四年2022/09/04(日) 15:33:54.17ID:GyfPIduy
惣無事令で私闘は禁止されて公儀が裁定する事が決まったのが豊臣公儀の骨幹。だから本来豊臣は徳川か毛利どっちかを公儀軍と定めないといけない。秀頼馬廻衆が西軍に着いてるって事は見かけ上は西軍が公儀軍となる。それが実は輝元にジャックされてましたってなるとそれは豊臣公儀がブッ壊れた証拠でそりゃあ滅びるよねっていう…

227人間七七四年2022/09/04(日) 16:40:52.09ID:4eoZp85g
毛利が軍勢率いて入城してんだから
うっかり反対なんて出来るわけないんだがね

228人間七七四年2022/09/04(日) 22:01:17.76ID:YD1/6b36
>>225
瓦解以前にグループ形成されてないやろ

229人間七七四年2022/09/05(月) 00:24:24.94ID:Z9NBJZD+
包囲網ってのは後世の作家が
見立てたものじゃないのかな?

まともな歴史家で包囲網
主張してる人いるだろか?

230人間七七四年2022/09/05(月) 09:48:48.46ID:8BnNIzuM
単体で勝てないなら群れて勝てはまぁ兵法だからね。機能したからしなかったかの問題はあるが

231人間七七四年2022/09/05(月) 12:20:32.78ID:9ZK2K6T5
>>227
それじゃ公儀は名乗れんのだ。本拠地を占拠されようが自分の法を守れないとダメなのだ

232人間七七四年2022/09/05(月) 12:57:35.37ID:ItdSiQq4
武力で占拠された時点で詰みなんだな

233人間七七四年2022/09/06(火) 12:43:48.52ID:HgXVEYyK
徳川に救援要請(西軍討伐指令)を送ってればまだ違ったんだろうけどなぁ

234人間七七四年2022/09/07(水) 13:54:59.91ID:uwRDV4ou
石田三成の去就もよく分かってないのよね。
大谷吉継に西軍決起計画を聞かされたのが七月三日、十一日には参加した…とされるけどこの後何処で何してたのか。
中野等によると三十日まで大坂城には来てないっていうがだとすると吉川広家書状(大坂に向かう三成と吉継を目撃)に嘘があることになるし。

235人間七七四年2022/09/07(水) 21:29:25.63ID:SPks26ak
>>234
斬首されてるのに東軍につくということはないでしょ
そもそも中野とか現代の史家が何言おうと無駄

236人間七七四年2022/09/08(木) 07:25:47.94ID:S9wxoZ3L
秀頼か淀殿のどちらかが人質or国替えに応じれば
豊臣が織田にした方に生き残れたかもしれんが
てか三成が負けたら家康が政権を牛耳って豊臣家が乗っ取られることくらい
当時の人間でも分かりそうなものだが淀殿も豊臣武断派も気付いていないのか?

237人間七七四年2022/09/08(木) 08:02:13.27ID:wrEgeth7
>236
三成は単なる元官僚に過ぎず、淀・秀頼の了解もなく勝手に武装蜂起しただけ
散々好き勝手な振る舞いを繰り返して、自分が負けたら豊臣が乗っ取られるから従えとか
主張があまりにも理不尽すぎるだろ
淀や武断派でなくても三成の傲慢な振る舞いに拒否感を持つのは当たり前だった

当時はむしろ、三成たち奉行連中が豊臣を自分の私物かのように思い上がっていることの方が問題だった

238人間七七四年2022/09/08(木) 08:45:02.50ID:RiWriDMa
まず生前の秀吉が政権牛耳ってくださいと言わんばかりの優遇を徳川家に与えてるからな
徳川のみ将来にわたって豊臣一門の座が約束され他は前田も含めて家臣扱い
徳川に頼るしかないくらい家として落ちぶれていたのを秀吉もわかっていて仕方なかったんだろうが
それが三成たちの反発と危機感を煽ることになった
家康も秀吉からの優遇があるとは言えそれを担保する豊臣家は風が吹けば飛ぶような頼りなさなんだから
自家を守るためにも権力基盤を固める行動に出るのは当然でそれが専横と批判されたりもする
作用反作用の悪循環が積み重なった結果が関ヶ原

239人間七七四年2022/09/08(木) 09:21:02.03ID:MiLUlNja
徳川が政権を牛耳るのと
別の政権に取って代わられるのは
またちょっと違うからね

徳川も関ヶ原までは豊臣政権内での
首班として振る舞ってるので
政権とその象徴的トップである豊臣家を
守ると言う意味では成功してた

結果的に関ヶ原で豊臣政権の価値が暴落して
新しい政権を建てられてしまったので
徳川が豊臣政権を牛耳るとそれがそのまま
徳川政権成立、豊臣政権滅亡と
考えてしまいがちだけど

240人間七七四年2022/09/08(木) 09:27:40.64ID:HBjQGPXB
晩年の秀吉が馬鹿やらかしすぎた
少なくとも秀次が生きていたなら、豊臣の家政まで家康が口出しはできなかったはずだし、
政治にしても秀次をある程度は立てざるを得なかったはず

241人間七七四年2022/09/08(木) 11:37:04.04ID:iw8nbYe2
三成がクーデターしたんじゃなくて毛利がクーデター計画したから。五大老の1人が仕組んだんだから勝ち目があると見てたんだろう。引退した元奉行にあれだけ人が動くはずもないから。

242人間七七四年2022/09/08(木) 12:33:04.74ID:s6oTiczF
どちらにしろ結果的に石田が豊臣政権を崩壊させた
石田のやってる事は私利私欲での周りの事も考えずの権力奪取なんだよな

243人間七七四年2022/09/08(木) 16:17:41.58ID:tx762wmy
三成としても難しい局面だしな。大谷吉継の誘いを拒否したら殺されるだろうし。よしんば生きて帰れたとして佐和山には少数の兵しかいないから攻められたら死だろう

244人間七七四年2022/09/08(木) 17:45:11.03ID:0Y/v/iCQ
>>241
毛利輝元が徳川家康に勝てると考えていたとしたら
当時の奴らの嗅覚を疑いたくなるな

人間が余りに違いすぎるだろ
器が

245人間七七四年2022/09/08(木) 17:50:43.02ID:iw8nbYe2
人間の格なんて見て分かるもんじゃないしそれで勝敗が決まるとも思わんだろうし…
単純な戦況だと上杉を背後に抱えてる徳川と背後がそれなりに万全な毛利なら勝負になりそうと思ってたんだろう。まさか九州で黒田がボコボコ前進して上杉は全く前進出来ないとは思わんじゃん…

246人間七七四年2022/09/08(木) 18:09:32.52ID:PTI2tchs
無知ですまんが輝元って戦は強かったんか?
ちらっと調べても激戦を繰り広げたしか見当たらない

247人間七七四年2022/09/08(木) 19:40:07.42ID:k7QXs9g0
頑なに三成巻き込まれ設定を主張してる人がいますねw

248人間七七四年2022/09/08(木) 19:45:10.68ID:iw8nbYe2
光成氏は輝元について「野心的で強い野望を秘め、その為なら家臣を犠牲にする事も厭わない」と断じてる。その上で関ヶ原の趨勢を決めたのは輝元の人間性、つまり死線をくぐり抜けてきた家康と死地に赴かなかった3代目の輝元の差だという。だから内心の野心に反して能力というか経歴が足りんかった。それでも大国の主ではあるからね。

249人間七七四年2022/09/08(木) 19:53:44.94ID:zXKzLHEc
妄想馬鹿の相手したら駄目

250人間七七四年2022/09/08(木) 20:13:26.16ID:D2bulpOL
三成の参戦が義継の働きかけってのは何の小説だっけ?

251人間七七四年2022/09/08(木) 20:21:30.72ID:dOI8NWrr
>>248
もし本当に内面を「断じて」いるなら研究者じゃないんだよ
何があったかなかったか、それだけを論じるのが史学なんでね
史資料から人の内心を慮るのは史学ではなく、よくいったところで文学

きみは簡単な史料を誤読して、指摘されても無視するし
史学に向いてないよ、というか史学に限らず学問全般に対して不敬
小説や大河ドラマに一喜一憂しているのが身の丈にあってますよ

252人間七七四年2022/09/08(木) 23:14:41.66ID:iw8nbYe2
そりゃ輝元って三奉行と綿密な打ち合わせの上大坂城ジャックしてるからな。三奉行の上洛要請文が十二日、それを広島の輝元が受け取ったのが十五日、その日のうちに数万の軍勢連れて十七日に大坂城を占拠させてる。広島・大坂間を二日で移動した例はこの一件だけで事前の入念な準備が無ければ不可能。この件で輝元が西軍決起の首謀者と知れる。他にも輝元祐筆は既に大坂入りしていてたとかね。

253人間七七四年2022/09/08(木) 23:23:16.46ID:iw8nbYe2
ちなみに光成氏は輝元の上洛記録と江戸時代の参勤交代の記録から広島・大坂間の移動にかかる日数を算出してる。それによれば陸路で約10日、海路で6〜8日かかってる。2日で移動したということは潮流天候を把握した上で最も都合の良い日を予想して準備していた事になる。輝元は担がれたのではなくむしろ指導的立場にあった。三奉行が輝元にここまでの準備を命じる立場にあったとは思えん。その後の輝元の動きを見ても成る程輝元が首謀者なのだろう。

254人間七七四年2022/09/08(木) 23:28:37.46ID:dOI8NWrr
>>253
誤読を訂正もしないやつがらが偉そうに
君は誰かの論拠を引用する資格もないんだよ
誤読して反省もしないんだから
きみに実名で引用される人は迷惑なんだよ

255人間七七四年2022/09/08(木) 23:35:32.05ID:dOI8NWrr
どうせ返答はなかろ
都合の悪いことは無視して、自分の勝手な妄想を辺り構わず綴るだけのBotみたいなやつだからな

256人間七七四年2022/09/08(木) 23:48:18.14ID:ugklIQ4h
>>250
三成が佐和山に吉継を呼んで西軍に誘った、ってのがまず小説なのよね。この話が初出なのは落穂集って書物なんだがこいつは1700年代の編纂で面白い話だけど信用出来るかと言われると微妙。
一次史料では三成と吉継どちらが誘ったのかは不明。ただしイエズス会の記録日本諸国記には家康が関東に向かった後、奉行の一人が佐和山で三成と連絡を取りかねて仕組んでいた計略を明らかにしたとある。後世の小説の影響を排除して考えると吉継の方が主犯で三成は誘われて参加した可能性の方が高いんだろう。そもそも隠居同然に謹慎してる三成が大規模軍事計画を立てたってのがまずおかしい。

257人間七七四年2022/09/08(木) 23:54:56.13ID:ugklIQ4h
>>252
輝元って大友義統を九州に送って一揆を誘発させるわ大坂城にいた蜂須賀家政を監禁して阿波を毛利領にして蜂須賀軍も接収するわで領土野心ダダ漏れなんだよな。長宗我部に対しても「旧領は保証」といってそれ以外の領土は毛利の物にしようとした疑惑があるし。ところが負けそうになると大坂城から出て決戦とかはせずに安国寺恵瓊や石田三成、大坂三奉行を生け贄にした。ここら辺が危険を呑んで赤坂まできた徳川家康との格の差かもしれない。

258人間七七四年2022/09/09(金) 00:41:55.08ID:0ZqXZ0JW
>>257
自分にレスしてるけど何がしたいんだ?
あんたの文体は独特だからID変えて別人装ってもすぐ分かるよ

259人間七七四年2022/09/09(金) 06:42:49.13ID:wkvsdZOj
>>245
徳川本隊が真田に足止めされて関ヶ原に間に合わなかったのは家康も誤算だったし
戦は誤算が大きい方が負ける
大坂の陣でも徳川方は圧倒的兵力を有するも大苦戦してるからな
真田が強かったことにしておけばそれに手こずった徳川も仕方ないと民衆に思わせるために
江戸時代を通じて真田人気をおさえようとしなかったわけ

260人間七七四年2022/09/09(金) 08:41:29.47ID:Una+vJkR
>>259
そもそも関ヶ原に遅参してる前提なのがおかしい
期日や待ち合わせの取り決めとか無かっただろ

261人間七七四年2022/09/09(金) 08:48:32.75ID:OxLvzK8A
>>256
ただ毛利と三成の共謀関係は毛利方の史料上
三成失脚前と比定されるものがあり
かつ東軍側でもかなり早い時期に三成吉継による
策動として認識されているよね

そこを考え合わせると三成は巻き込まれただけ
という主張はかなり難しいと思う

262人間七七四年2022/09/09(金) 08:50:11.65ID:OxLvzK8A
大谷吉継こそ石田に説得されて巻き込まれたという
フィクションをもとに語られがちなのはあるが

263人間七七四年2022/09/09(金) 10:45:00.28ID:EcBrfeXx
豊臣政権を家康が仕切るのが、気に食わない。
というのはまだわかるのだが、なぜ西軍は軍事クーデターなんて手にでたんだろうな。
軍事クーデターなんて起きてしまえば、天下を安定させることが出来なかった、豊臣政権自体の弱体化が進み、豊臣家が天下を運営させる正当性も失われるのに。
そんな、大事を起こしておいて「豊臣家の御為に」と言っても白々しいし。
関ヶ原の時点だと追い詰められてるのは、豊臣家ではなく西軍の中心のメンバーだし。
それなりの理由がらあったのだろうけど。

司馬史観だと、家康に挑発されたおバカな三成はそれに乗ってしまったと、三成を酷い扱いにしてるが。

264人間七七四年2022/09/09(金) 11:17:00.67ID:V/SO8x6n
動機面で見ても面白いぞ。
大谷吉継については徳川は「宇喜多騒動に介入して領国を顧みない榊原康政を家康が「そんなに金が欲しいのか」と叱責したところ同じく騒動に介入していた吉継も気分を害して家康を恨んだ」と推測してる。対して三成は「何故か家康を恨んでいたらしい」と理由を把握出来ていない。実際三成は家康に命を救われて嫡男重家も家康に面倒見てもらってると親徳川に転んでおかしくない。吉継が三成を誘った可能性は高い。司馬遼太郎の小説だと石田三成を漢にする為にドラマチックにしてるけど。

265人間七七四年2022/09/09(金) 13:40:36.67ID:7pKlAOlb
巻き込まれたというより宇喜多秀家とかと同じく呼び掛けられて参加しちゃったというのが最近の見解だな

266人間七七四年2022/09/09(金) 20:06:40.47ID:0z6KzrWp
>>261
確かに東軍は最初三成・吉継の謀叛と聞いてたけどこれが輝元・三奉行の偽情報って事も史料上明らかになってる。
七月二十九日に黒田長政に宛てて徳川家康が「大坂奉行衆が裏切ったから」と重ねて談合したい旨を記してる。三成・吉継は既に裏切りを認識してるからこれは増田長盛ら三奉行のこと。つまり以前からあった策略を徳川諜報部が掴んだのではなく、大坂三奉行のウソを徳川が真に受けてただけってのが真相らしい。ここからも石田三成首謀説が疑わしいって話に…

267人間七七四年2022/09/09(金) 20:30:51.53ID:wkvsdZOj
家康ってどのあたりから豊臣家を本気で滅ぼそうと思い始めたの?
二条城会見?自分が死んだ後、秀忠と秀頼がどうなるかとか色々考えちゃった?

268人間七七四年2022/09/09(金) 20:36:09.28ID:FsATVHnp
すまん意味がわからないので
ちょっと補足してくれ

徳川が以前からの策略を掴んでたってのは
まあいい加減な小説以外何物でもないと思う
ただ7月29日なんてとっくには内府違いも出てて
三奉行謀反が明らかになって何もおかしくない時期

それを持って何故嘘情報が流れてたとか言えるのか

269人間七七四年2022/09/09(金) 23:56:15.74ID:0ZqXZ0JW
嘘云々はいつもの妄想くんの戯言だとして7月29日付黒田長政宛家康書状を見ると
「先度御上以後、大坂奉行衆別心之由申来候間、重可令相談与存候處、御上故無其儀候」

黒田家譜によると黒田長政が小山を出発したのは27日
つまりこの書状の内容が本当なら家康が奉行衆謀叛を知ったのは27~29日と言うことになるな

ただ7月24日付中川秀成宛松井康之書状見ると
杵築に居た松井は24日の時点で既に奉行衆謀叛の情報を掴んでるんだよな
「毛利殿御奉行衆被仰合、内府様へ御謀叛之由申候」

270人間七七四年2022/09/10(土) 07:08:03.14ID:wE5h7BG5
>>267
幕府成立時点で、放っておいても害はないと判断してるとしか思えない。
喜連川の足利家と同じ扱いにする予定だと思われる。

片桐勝元追放時点で武力制裁を決意、夏の陣開始時点で滅ぼすと決意。
それ以外では武力でつぶすことを検討した形跡すらない。

271人間七七四年2022/09/10(土) 07:45:29.31ID:Gi9QuWhV
最初期の認識は石田大谷が怪しい書状出してる
その後入った情報で三奉行謀反へ変化
その間に三奉行が内府違い等明確な行動をしてる

赤の他人に罪をなすりつける欺瞞情報のせいだ
とするには状況証拠にはならないでしょ

別にそれらは新史料でなくて
石田大谷の文書が三奉行の行動より先んじて
東軍に認識されてたというのが普通の解釈
欺瞞情報を主張するならそれにあたる
新史料が出てるとかなのか?

272人間七七四年2022/09/10(土) 08:55:08.20ID:86B7f/H8
>>267
家康個人としては
あえて潰そうとすれば反感は買う、カネはかかる、万が一ということもある
それに孫の婿で、太閤との約束もある

豊臣家に天下人としての能力が結果的なかったのに
本人達がいつまでたっても厨ニ病的な反抗姿勢崩さないし
自分の年齢考えてやるしかなくなったんじゃないかね

幕府の意志はまた別で
さっさと地雷踏んでほしいと思ってたかも

273人間七七四年2022/09/10(土) 09:12:55.11ID:c+EQdr6Y
天下統治の体制としてもはや武家関白制が破綻していたんだし
朝廷も見切りをつけて(関白を五摂家に取り返したいとの思惑もあったはず)徳川の公儀を認めた、というか後押しした
家康も例え本人にその気があってもいきががり上立場上愚直に豊臣家を天下様などと奉れなくなったろう

全ては秀吉が豊臣家を他人に寄生しなきゃやってけないスカスカの家にしたことの当然の帰結でしかない

274人間七七四年2022/09/10(土) 11:47:55.79ID:XMQGi04M
>>268
七月二十七日秋田実季宛榊原康政書状で「上方で三成・吉継が家康様を裏切ったので三奉行とおふくろ様(淀君)が上洛を要請…」とあり徳川は当初三成・吉継が謀叛をしたと判断していた。これに対して大坂三奉行は十二日に輝元を大坂に呼び十七日には大坂城を占拠させ同日には内府違いの条々を出した。つまり徳川が大坂から受け取った情報は三奉行による偽装情報だった。毛利軍による大規模クーデターと知られないようにするためのね。

275人間七七四年2022/09/10(土) 11:57:17.29ID:XMQGi04M
なんで三奉行が謀反の中心人物と掴めなかったかと言うと内府違いの条々にある。内府違いの条々には二種類あって、宛名署名が整ったものと無いものとある。宛名があるものは九州の諸領主に宛てられている。だから九州の大名は「毛利と三奉行が謀叛した」と掴んでる。三成の名が出てこないのはソースが条々だからだろう。これには三成の署名が無い。
対して宛名の無い物は署名も無い純然たる怪文書になる。掴まれたところで証拠にはならない。
尤も三奉行の偽情報は毛利軍入城までの時間稼ぎが第一目標だから入城した時点で目的は果たした事になる。後は西軍配置が間に合えばいいので徳川がまんまとハマってくれて助かったというところだろう。

276人間七七四年2022/09/10(土) 15:28:58.24ID:xZi4OXak
>>271
逆にそれで三成首謀説は有り得んって話もあるな。
一次史料には載ってないけど吉継が三成に会ったのは二日から十一日の間で、それだけで徳川に「三成に怪しい動き」って報告がいってる。吉継があってるだけでこの騒ぎなのに大坂と西軍決起計画とか立てられないって話。

277人間七七四年2022/09/10(土) 17:02:14.55ID:Q3cUsZIJ
三成の親戚の熊谷直盛って1599年に改易されているけど、1600年に復活してるよね
あれ誰が復活させたの?
改易は家康が最終決定しただろうけど

278人間七七四年2022/09/10(土) 19:47:29.21ID:XORkWicH
今月大阪行くけど、大阪城は一応見るとして
他に大阪市の北部でおすすめの観光名所があれば教えてちょ

279人間七七四年2022/09/10(土) 20:24:19.60ID:ixLOZAg2
何か新しい情報は出ていないのに
三成は巻き込まれたというバイアスで
情報整理しなおしてるだけに見えるな

7月2-11日 大谷石田会談
7月12日付 三奉行毛利に大阪入城要請
7月13日付 毛利軍東下を中止し大阪へ帰るのを
      毛利家臣が徳川家臣へ注進
7月15日  輝元国元出立
7月17日  内府違い条々
      人質騒動で細川ガラシャ死亡
7月19日  伏見城攻め開始

とまあ西軍が「こと」が起こす前に
大谷石田は結びついているのは確かだ

これら西軍の動きの東軍側からの観測だが
7月27日榊原書状「三奉行からの上洛要請」は
確かだがそれを持って三成を首謀者から
外す理由とするのはわからないな

時期的にも毛利軍が怪しい動きを始めたら
何らかの疑惑は生じるのは避けられない
そこで石田三成謀反のためという口実が使われた
それは良い

がその時点で石田は既に共犯だろう
それを巻き込まれただけとするのは無理がある

280人間七七四年2022/09/10(土) 20:34:52.22ID:Gi9QuWhV
もちろん西軍として最初期から動いてる連中は
史料の残ってない時期から動いてると
考える方がその後の動きから自然

でもそれらのうち誰が先に働きかけたか?
というのは史料上わからないとするしかない
なのに何故三成は違うとなるのか?

281人間七七四年2022/09/10(土) 20:53:07.81ID:Y1TQyYz7
石田正澄による愛知川の関所設置が三奉行の毛利招聘と同日の12日なんだから
決起前の初期段階から関わっていると考えるのが自然で
三成と正澄を別行動と考える根拠も特に存在しないからな

282人間七七四年2022/09/10(土) 21:23:21.89ID:Gi9QuWhV
西軍結成と行動開始の状況証拠は
ある程度史料的に残ってる

それみると案外戦後仕置きは妥当なんじゃね?
という気もするのよね
最大勢力の毛利を追い詰めきれなかったけど
それは力関係的なものであって

283人間七七四年2022/09/11(日) 10:44:31.77ID:ayVd+pdL
>>275
適当なこと言い過ぎだろ
内府ちかひの条々に発給者の署名と宛名の記載があるのは歴代古案所収の内府ちかひの条々のみ

この他に署名・宛名の記載があるものは全くない
ちかひの条々の原文見たら分かるけど文末は「慶長五年七月十七日」の日付の記載のみ

284人間七七四年2022/09/11(日) 10:46:49.21ID:RozdKdxZ
まず一次史料が無い。故に学会では信用されない。
そんで言われてるのは三成はある種の監視下に置かれていて大谷吉継が佐和山にいるだけで徳川に報告されてる。それなのに佐和山と大坂で連絡が出来るわけも無い。またもし三成が西軍決起計画を知っていたなら上杉との連絡は必須で最低でも真田と連絡しておかねばならないが一次史料で否定されてる。
後世の作り話によって信じられてきたが、考えてみれば引退同然に蟄居して何ら実権も持たない三成に西軍決起計画を首謀どころか知り得たかすら怪しいよね?ってことで石田三成の決起ではなく毛利輝元のクーデターというの最新の学説になると。

285人間七七四年2022/09/12(月) 08:53:04.20ID:B3emtLe/
その西軍決起計画とやらはいつどのように
誰と誰の間で話されたんだ?

普通に大谷石田会談で詰められて
大急ぎで進展してるように見えるけどね
少なくとも一次史料上は他にない

先に三奉行と毛利が連絡してる文書は見つからない
ただし毛利方の史料だと前年から失脚前の三成と
毛利は対家康の謀略仲間だった

286人間七七四年2022/09/12(月) 10:24:50.01ID:QPtaTi6w
>>281
石田正澄の話は複数の方向から疑問視されてる。
まずはお馴染みのソース問題でこの話が出てくるのは1700年代に佐賀藩が編纂した『鍋島勝茂公御年譜』らしい。二次史料だからと切り捨てる訳にはいかないが問題はこの年譜、特に関ヶ原のところが潤色激しいんだと。中西豪曰く鍋島家は一貫して西軍として行動してたので幕府の目を考えて史料編纂したという。正澄が関を作っていたのかどうか、はおろかそもそも勝茂が本当に足止めされたのかから怪しいとなるとね…

287人間七七四年2022/09/12(月) 13:22:58.22ID:QPtaTi6w
石田正澄は西軍に与して諸将を足止めした、石田三成は正澄の弟である、だから命令したのは三成だ、というのは論理的に見えて短絡的過ぎる。正澄は足止めしたのが事実と仮定した上で二つめの問題点、正澄が何故足止め出来たのかを考えないといけない。
仮に正澄が三成から足止めを要請されても正澄は拒否するだろう。軍事行動中の軍隊を止めるのは難しい。極端な話謀叛と言われて攻撃されかねない。つまり正澄には「諸将が停まる強制力」が必要。それを出せるのは大坂三奉行しかいない。
豊臣公儀として命令書を出せば諸将は止まるしかない。だから実は正澄は三奉行から直接に命令された可能性がある。三成が大坂に命令書を要求したのでは史料に合わなくなってしまう。

288人間七七四年2022/09/12(月) 17:26:00.60ID:i3r7dub9
秀頼は1600年の時点で数えで8歳。満で7歳。
まだ政治を見るには確かに少し早いけど、織田秀信の3歳よりマシなはず
自分でそのあたり秀頼がやろうとかしなかったのかな?

289人間七七四年2022/09/12(月) 20:24:37.95ID:w0rYrW9L
>>283
内府違いの条々は複数種類がある。その一つが福岡市博物館所蔵の内府違いの条々でこれは全十三条で大坂三奉行の署名もついてる。乃至政彦が「天下分け目の関ヶ原の合戦はなかった」で取り上げてる。これらは九州の諸領主に宛てて出されたもの。俗に内府違いの条々は全国に出されたものだと言われているが実際には九州を対象にしたもの。何故九州を対象にしたものには署名があるのかは考察の余地がある。

290人間七七四年2022/09/12(月) 20:47:02.11ID:b5BpsRUk
>>286
先行した軍勢が関所で足止めされて街道を引き返して来てるのだから
そこで後続との情報交換は当然行われる筈だし
鍋島にしか正澄と遭遇した記録が残ってないのは可能性としてはありうる話
他の史料に奉行からの連絡がきたので引き返しましたとかいう記述でもあれば話は別だけど

291人間七七四年2022/09/12(月) 21:14:26.43ID:t/rd026W
鍋島勝茂公御年譜だと奉行衆からの命令で大坂に行ったことにはなってる。史実だとしても正澄は三奉行からの指示でやったんだろう。三成がそうした指示を出しても強制力が無いのは正澄だって分かってた事だもの。元奉行ではね。ただ年譜は鍋島家が西軍に加担した鍋島勝茂を擁護する為にした潤色があるから史料として認められるかというと…
一次史料では宇都宮から引き返した連中が居たことは確かみたいだが。

292人間七七四年2022/09/12(月) 21:17:39.28ID:ruf1BCJV
>>289
小野寺義道宛や秋田実季宛の7月17日付三奉行連署状がある
これらも西国大名に宛てたものと同様の内容で「内府公御違之条々別帋ニ相見候」とある
西国大名中心に出されたものってのは事実だが、ちかひの条々が九州限定で出されたものってのは間違ってる

福岡市博物館所蔵の内府ちかひの条々(筑紫文書)は原本じゃなくて写しだぞ
写した人がちかひの条々に三奉行連署状を合わせて写しただけ
その証拠に筑紫文書のものは三奉行の花押(前田玄以は黒印)が据えられてない

元々は真田家文書や中川家文書にある三奉行連署状のように別紙になっていたと思われる

293人間七七四年2022/09/12(月) 21:44:19.91ID:ruf1BCJV
>>289
筑紫文書のものは13条に三奉行連署状が付いてるのはあんたが指摘した通り

筑紫文書の三奉行連署状にも「内府公御違之条々別帋ニ相見候」と書かれてる
筑紫文書のちかひの条々は別紙ではないよね
これがもし原本であれば「内府公御違条々如右相見候」と書くはず

294人間七七四年2022/09/12(月) 23:47:12.37ID:b5BpsRUk
>>291
軍勢を引き返させる理由(法的根拠)が奉行の命令であることには異存はないんだけど
それは三成の関与を否定する根拠にはならないし
鍋島の史料を捏造とするなら別視点(鍋島以外)の史料による反証はいるでしょ
鍋島が嘘をついている=鍋島の記録は全て嘘にはならないんだから
そこを放置して論を組み立てるのは勇み足というか
鍋島のやってることと大差ないよね

295人間七七四年2022/09/13(火) 06:11:26.17ID:ly+X8arB
西軍勝利しても、三成って捨てられそうな気がするな

296人間七七四年2022/09/13(火) 08:33:43.85ID:iPLLz3H7
石田正澄は創作物ではなんか
実家で弟の手伝いしてる素朴なにいちゃん
みたいな描き方をされてること多いが
実際には三成とは別個に所領を与えられて
豊臣政権の奉行のひとり

なので石田正澄が動いてるから
三成の命令であるとは必ずしも言えない
が、それをもって三成は関係してないとも言えない

>>294
その通りだよね

いずれにしろ三成は西軍結成の
文書上最初期から合流してて
軍勢差し戻しはその後に起きてる

297人間七七四年2022/09/13(火) 10:56:10.02ID:xzG6TmsW
>>294
まず鍋島家の年譜にしか話が無いってだけで眉唾物と判じられる訳で。しかも鍋島家は意図的に歴史を歪めてる。徳川幕府に対してそして鍋島勝茂の名誉の為に。一次史料では勝茂は一貫して西軍に与してるのに「東軍につきたかったのに止められた」ってそんなムシの良い話があるかな?
それを無理矢理是としてなお問題がある。

298人間七七四年2022/09/13(火) 11:16:15.26ID:jbNu82Br
正澄が関を作って、って話は怪しい。一次史料で言えば佐和山に不審な動きという報告が徳川にはいったのは七月十二日。具体的には吉継が佐和山に立ち寄ってるというもの。
それだけで徳川に報告が入るなら正澄が軍勢集めて関を作ろうとしただけで報告が入るだろうし三奉行も何らかの釈明をしてないとおかしい。
更に言うと正澄が西軍の為に行動したからといってだから三成から命じられたとは言えない。例えば正澄と三成間の書状なんかがあれば証明は出来るが…三成が全く活動してないところからすると正澄は三奉行から命じられたと見るのが自然じゃないか?上杉とも真田とも三奉行とも外交してない三成が正澄に指示が飛ばせる筈がないもの。

299人間七七四年2022/09/13(火) 17:26:26.98ID:QNDxa30a
詳しくないのだが石田正澄の関所の話って
時系列的に三成が大谷と会って
西軍結成する前の話なの?

300人間七七四年2022/09/13(火) 19:17:58.06ID:NODnwXqi
鍋島勝茂公御年譜には七月十二日の事となってる。一次史料では増田長盛が徳川に「大谷吉継が病で垂井で療養、石田三成が代理で出陣予定だけど拒否してる」と報告した日。

301人間七七四年2022/09/13(火) 19:40:45.93ID:n2dQPIZX
サンクス

どんなに遅く見積もっても
三成と大谷の共謀は成立してる時期

輝元家臣が家康家臣へ安国寺恵瓊による
東下中止と大阪へ向かうことを注進する
前日ということになるな

302人間七七四年2022/09/13(火) 23:14:59.42ID:kfwI0Unx
>>298
三成は公的には失職中だから自分の家臣ならともかく
奉行として他家の人間に対して指示を出せる状況にない
従って三成の関与があろうがなかろうが
正澄が軍勢を引き返させるには現役の奉行による裏付けが必要

303人間七七四年2022/09/14(水) 10:15:45.43ID:JoVs3tud
一番の問題は仮に正澄の関所が真実だとしてもそれで三成の関与を証明する事にはならないという点にある。三成は関ヶ原全体を観ても三奉行より下の序列として扱われてる。つまり正澄に関を作らせようとしたらまず三奉行にお伺いを立てて、それから三奉行に正澄へ命令書を発付してもらう事になる。ソースが二次史料のみなので何とでも言える話だが三成が全く動いてない以上三奉行が正澄に命令した可能性の方が高かろう。少なくとも三成・正澄の独断では無い。

304人間七七四年2022/09/14(水) 20:41:13.82ID:mqhjZ33j
正澄って言うほど弟思いって人間じゃない気がする。家康が大坂城行った時石田邸を提供したのは正澄だけどだから三成や正澄が親徳川って話でも無いし。要は正澄は典型的官僚で上から言われた事は善悪理非を問わず実行してただけなんじゃないか。家康に邸を貸せと言われたら貸すし三奉行に西軍決起の呼び掛けをしろと言われたらやってしまう。この手の人間ほど使い易い奴はいない。最期は使い捨てに出来るし。実際使い捨てにされた。

305人間七七四年2022/09/15(木) 01:50:42.81ID:zroZjMuz
人物評価は主観でしかないが石田正澄は義理も筋も通してそうだけどな
そこまでおかしい所があんの?

306人間七七四年2022/09/15(木) 07:55:48.80ID:fE3Jl7mm
三成って真田にすら書状送ってないからね。てか真田に西軍参加を促したのは三奉行と大谷吉継で三成は梨の礫。元々西軍決起計画を知らなかったからなんだろうけど。

307人間七七四年2022/09/16(金) 18:06:33.39ID:hHnWk52+
筋とか道理とか通してるかな?家康に屋敷貸してたのに毛利が決起すると毛利につく。面従腹背を気取っていたのかもしらんけどさ。余りに影が薄いから注目されてないけど。

308人間七七四年2022/09/17(土) 10:20:07.53ID:TjbKBT03
>>285
大坂三奉行が輝元に上洛要請文を送ったのは七月十二日、これが輝元に届いたのが十五日。注目するべきは輝元は十七日には大坂に着くと秀元に大坂城を占拠させてること。僅か2日で広島・大坂間を移動したのは驚異的。俗に「会議を開いたが恵瓊に押し切られた」とか言われてるけど会議なんか開く暇は無い。輝元は最初から三奉行からの書状が届く事を知っていて用意していた事になる。つまりこの四人は完全に共謀関係にあった。対して三成と輝元もしくは三奉行の間で何らかの共謀があった一次史料は無くむしろ共謀が無かった史料の方が多い。

309人間七七四年2022/09/17(土) 11:13:07.08ID:dOrEg6yk
三奉行と輝元が自分の死や自家の滅亡を賭けて大坂占拠に打って出たわけではないことは明らか
大坂を襲撃すれば全て解決というプーチンみたいに甘い見通しと軽い気持ちで始めただけ
三奉行と輝元に家康と直接戦闘するという覚悟は最初からなかった

当然ながら大坂襲撃では事態が解決せず家康が攻めてきたが
政権返り咲きをしたい石田一派だけがやる気満々だったので
石田一派に責任も何もかも擦り付けて逃げ出したに過ぎない

310人間七七四年2022/09/17(土) 12:02:06.37ID:ehM9QUGi
光成氏は毛利輝元は秀吉死後から豊臣公儀が一つにならないよう政治工作していたんだと

311人間七七四年2022/09/17(土) 19:44:04.59ID:6ZPkUTut
>>308
史料ベースでは三奉行と毛利の間にも
共謀の証拠はないし
三成の共謀がなかったという
悪魔の証明をしてる史料もない

単に史料を状況証拠として類推してるだけで
三奉行や毛利の共謀が類推されるからって
三成が共謀してない証拠にはならない

毛利方が以前三成と共謀関係にあった史料や
三成自身の急な出兵の割に積極的な動きはある

312人間七七四年2022/09/17(土) 19:54:41.00ID:1fguocAI
三奉行から書状が来たその日に出発して大坂城を占拠してるのでどうみても共謀です本当にありがとうございました

313人間七七四年2022/09/17(土) 20:28:07.16ID:LFrroaPG
三成って佐和山に蟄居してから交友関係かなり制限しとるじゃん。上杉とも連絡してないし。それで毛利や三奉行とクーデター計画練れるかって話よ

314人間七七四年2022/09/17(土) 20:29:19.81ID:S9+hKVr2
誰か三奉行と毛利の共謀否定してたっけ?

315人間七七四年2022/09/17(土) 20:36:35.85ID:LFrroaPG
三成首謀説なんてもう逆張りしてる人か史料より小説読んでる人くらいしか信じてないだろ。上杉はおろか真田とも連携できてないってか真田含め諸将を誘ってるのは毛利輝元・三奉行・大谷吉継で三成が誘った奴って誰が居たっけレベルなのに。

316人間七七四年2022/09/17(土) 21:31:38.47ID:T9cux+Qk
首謀者どうこうよりも
三成は巻き込まれただけVS巻き込まれただけとは考えにくい
の論争だと思う
毛利や三奉行の共謀なんてだれも疑ってない

317人間七七四年2022/09/17(土) 22:15:22.43ID:SWkNLGgr
>>315
まぁ日本人のほとんどは
フィクションしか知らないから
未だに三成が首謀者だと思ってるだろうけどね

318人間七七四年2022/09/17(土) 22:21:54.51ID:w53/ijC1
>>317
教科書で毛利輝元になってるんじゃなかった?
あれは総大将だっけ?

319人間七七四年2022/09/18(日) 08:23:10.35ID:0U+upk6v
西軍の具体的な行動としては最初期のものは
7月12日の毛利輝元入城要請と
その直後の毛利軍の東進中止
(他の諸将の東進も止めたという説があるが
 江戸時代に成立した史料にしか存在しない)
7月17日の内府違い

ちょうどこの間の7月15日の島津義弘書状では
三成も首謀者の一人として挙げられてる

320人間七七四年2022/09/18(日) 08:26:12.95ID:/Cgx617a
>>307
「新年一発目の挨拶は大老首座の俺だろ?」と言われたら断れないじゃね?
このころの家康は立派なパラハラ上司だよ。

>>316
寺沢広高以上か未満かだな。
あれ東軍についた三成だよ。

321人間七七四年2022/09/18(日) 10:10:41.18ID:7NzlJRp2
巻き込まれたというか誘われたから乗ったというだけの話で総大将って訳じゃない。ただ俗説とは逆に三成は西軍決起計画を知らず、大谷吉継が計画に誘ったのだとすると三成は
「佐和山城を大谷軍に包囲されている」「大坂にいる嫡男重家は人質に等しい」「徳川に救援を乞うても間に合わないしまず救援要請が出来るかすら不明」っていうかなりキツい状況に置かれてる訳でこれで西軍に与せずに済むかと言われると…

322人間七七四年2022/09/18(日) 12:19:23.41ID:fUyfFmZt
淀も三奉行も「石田と大谷が謀反を起こしました」という手紙を家康に差し出している
石田が首謀していないなら最初から責任を擦り付けるための捨て駒扱いということ

323人間七七四年2022/09/18(日) 15:48:00.10ID:D/JNQUYa
毛利軍数万が大坂城を占拠してるのに「石田三成と大谷吉継の謀反」と伝えてるんだから三奉行ともしかしたら淀君も事実を矮小化して誤魔化そうとしたんだろう。

324人間七七四年2022/09/18(日) 16:00:25.22ID:9cgycWxe
俗説でも三成総大将なんてないだろ
総大将は毛利輝元で初めっから疑問もない

325人間七七四年2022/09/18(日) 17:03:02.64ID:kqPZSQkl
俗説 ☓
小説 三成総大将

326人間七七四年2022/09/18(日) 17:06:40.50ID:/Cgx617a
>>322
淀殿と親交があんまないしね。

伏見城のカギ持ってたの長束正家だったりする。パワハラ上司の家康に奪われたけどね
大阪城は増田で毛利に献上した(だから2日で大阪城に入れた)。

三成が首謀者というのが無理あるけどね。

327人間七七四年2022/09/18(日) 19:02:11.53ID:XKy33g+9
そう考えると毛利輝元はよく斬首されなかったよね
三成だけ斬首されて

328人間七七四年2022/09/18(日) 19:42:55.88ID:XRQJMcAg
三成は当時謹慎(あるいは隠居)の身
現代で言ったら執行猶予中の再犯みたいなもんで
クーデターに参加して穏便に済ませてもらえる立場にない

329人間七七四年2022/09/18(日) 19:43:00.16ID:p8tFxslq
>>327
そらま関ケ原合戦前にさっさと和睦したし大阪城も即座に明け渡したからな、輝元

330人間七七四年2022/09/18(日) 20:34:40.66ID:fUyfFmZt
例えばロシアだって、口先でプーチン万歳・ウクライナを倒せと叫ぶ人間は大勢いるけど
そいつらの大多数は自分がウクライナに行って戦うことは拒否しているんだよ
それで刑務所の囚人に金と釈放を餌にして戦わせるなんてこともしている

西軍も同じような内情だと考えればわかりやすい
あくまで自分が家康と戦わない前提で豊臣万歳・家康を倒せと言っているだけ
それで政権返り咲きを餌にして危険な戦いを石田一派に押し付けて、負けたら責任も擦り付けているに過ぎない

331人間七七四年2022/09/18(日) 20:49:27.51ID:ijT0zty9
>>327
斬首されないように、織田がしくじって美濃が落ちた時点から
さっさと終戦工作してるんじゃないか

332人間七七四年2022/09/18(日) 21:26:19.55ID:Iz0nKDy8
輝元は三成と恵瓊、三奉行を見捨てる事で何とか命拾いをした。輝元がこれを決断したのは東軍が僅かな皆無と言って良い犠牲で岐阜城を落とした事と、毛利軍が安濃津城一つ落とすのに大損害を出してしまったことによる。家康は八月八日には和睦工作を始めてたけどこれに乗っかれたのも大きかった。

333人間七七四年2022/09/18(日) 22:22:00.52ID:ijT0zty9
見捨てるっつーか、
「周防と長門だけでいいから、家名存続は認めてくれ。
 さもないと大坂城に立てこもって徹底抗戦すっぞ」
「わかった。悪いのは三成。それでいいね?」

334人間七七四年2022/09/18(日) 22:56:06.96ID:hqSEPL/2
せめて西軍は家康本隊が会津征伐を開始(上杉軍と交戦開始)するまで待てなかったのかと
思う

徳川と上杉が戦端開いたら少しは違ったのに

335人間七七四年2022/09/18(日) 23:40:19.49ID:kqPZSQkl
西軍敗北を知ってるから特にそう思えるけど見方を変えれば上杉がヤバいから決起を急いだとも言える

336人間七七四年2022/09/19(月) 00:41:43.30ID:NIsqTLfM
西軍の思惑通りに家康から会津征伐軍が離反すれば
上杉との戦がなくても家康の西上は困難になる
西軍首脳が重要視したのは上杉との挟撃より
秀頼の擁立と毛利の力を背景にした多数派工作
そこがうまくいってないのでああいう顛末になったわけだから
少し経緯が変わったところで同じ結果になる可能性もある

337人間七七四年2022/09/19(月) 09:19:15.73ID:luumtn/Y
>>336
戦端開いたらさすがに家康でもいきなり兵を引き返すなんて不可能でしょ
上杉には大した武将いないからそこまで苦戦しないとは思うけど

ただ、西軍の戦略は誰が主導してたんだろ
上杉と徳川が戦端開いてる間に漁夫の利を得る
こんな初歩的なこともできないようなのが戦略主導してる時点で詰んでるけど
伏見城攻めて貴重な時間を10日以上も浪費するし

338人間七七四年2022/09/19(月) 12:46:48.32ID:LtE/lCJR
時間をかけると史実で無理やり引き込んだ連中がみんな東軍に合流しちゃうんだな

339人間七七四年2022/09/19(月) 14:38:29.38ID:5LKdq5em
一次史料では大坂三奉行どころか石田三成すら上杉と交信出来ていない。だから「上杉がどれだけ頑張ってくれるか」も分からなかったんだろう。

340人間七七四年2022/09/19(月) 15:10:31.21ID:j07aq8P3
三成の子孫は青森に落ち延びたのね
真田は信繁は討ち死にしたけど徳川方についた信之の系統が残ってる

341人間七七四年2022/09/19(月) 15:59:34.39ID:54kLMWaJ
>>339
上杉が負けるのはわかってること
問題は戦端開いたらさすがにすぐには戻れないだろうということ
史実では引き返すのに1か月弱かかってるし
そもそも、西軍側は江戸城にスパイとかは配置してなかったのか
家康は1600年7月頃に病気に倒れてるのだが、そのあたりの情報は入手してなかったのか?
だけど西軍は戦端開くのを待たずに挙兵している
話にならない

342人間七七四年2022/09/19(月) 16:21:41.51ID:tM2mpAZc
上杉はろくな開戦準備をしていなかったので「東軍が会津国境に来た瞬間戦わず降伏」
の予定だったんじゃないかという説もあるぞ

343人間七七四年2022/09/19(月) 16:25:41.80ID:9x5mYVGa
よく言うスマホも無い時代なんで連絡一つ出すのは苦労する
基本は各々の自己判断で動く時代

344人間七七四年2022/09/19(月) 16:35:36.34ID:54kLMWaJ
>>343
信長は足利義昭の挙兵を待って周到に用意していた
こういう戦略家が西軍にはいなかったのか

345人間七七四年2022/09/19(月) 20:11:17.91ID:EajWLi50
>>337
戦端開くってことは西軍ついた諸将も
毛利軍でさえその戦線に投入されてるってことだぞ

346人間七七四年2022/09/19(月) 20:25:28.70ID:edFZjopt
戦端すら開かれない危険性もあるんじゃないか。徳川と上杉間でどの様な交渉されてるか三奉行は探知出来ないもの。
先陣が着くか着かないかで降伏されたらクーデターは失敗になる。出来れば戦争して欲しいけど戦争にすらならなかったら元の木阿弥…

347人間七七四年2022/09/19(月) 20:58:15.49ID:sh9LizFl
関ケ原の逆で
会津が瞬殺されるパターンも有り得るよね
徳川、福島、黒田、真田ほかの下野口本隊の他に
堀、伊達、最上も戦意旺盛だし

348人間七七四年2022/09/19(月) 21:31:55.93ID:tM2mpAZc
西軍には畿内を押さえられればなんとかなるという見通ししか無かった感が強い

349人間七七四年2022/09/19(月) 22:04:10.27ID:/5pBFbdk
>>333
本丸制圧できてないのにそんなことしたら笑い者だよ

350人間七七四年2022/09/20(火) 12:53:47.99ID:xHIG/tVp
輝元の狙いからするとまず大坂城を制圧して公儀を得る。
その上で四国・九州を毛利派勢力で掌握する。そしてゆくゆくは徳川と戦争する。ところが家康の軍才の方が高かった。

351人間七七四年2022/09/20(火) 21:14:48.03ID:VZw0tjfP
家康は会津征伐からたびたび病気に倒れたらしいし、その際に死んでくれたらあるいは、が
あったのかもねえ

352人間七七四年2022/09/20(火) 21:56:26.44ID:ySTui2di
>>350
家康の軍才より輝元の先見の明の無さだろう
戦国の再来を求めた地方大名が毛利上杉真田ぐらいでほとんどいなかった
家康はサラリーマン並に順序だてて動いただけな感じ

353人間七七四年2022/09/20(火) 22:02:18.32ID:UH5eS4UH
もし家康が負けていたら毛利幕府の大名として生き残ることが出来ただろうか
そこが輝元の凄さなんだよね

354人間七七四年2022/09/20(火) 22:12:31.50ID:a+0LoHfT
>>350
徳川と戦争する、まで考えてなかったんじゃない?
豊臣政権で徳川をナンバー2以下に落として、自分がナンバーワンになる。
そのうち徳川も復権するだろうけど、それまでに自分の勢力をもっと強めておく。
室町政権下の守護大名なら当然と言える思考。

355人間七七四年2022/09/21(水) 01:57:37.63ID:lDDU8XpX
たとえ分が悪いとしても政変からの権力取りチャレンジした毛利は評価出来るけどね
細い事を言えばきりがないが形にはなってるのは評価に値すると思う

356人間七七四年2022/09/21(水) 07:09:01.09ID:b/OWAr0J
後世から情報が俯瞰的に見えても当時はそうではない

357人間七七四年2022/09/21(水) 10:01:09.24ID:oae63D5F
やたら輝元を評価してる奴がいるが、輝元は「盲蛇に怖じず」の典型だろう。
大局的に言えば「内府違いの条々」が不発に終わった7月末の段階で戦いの大勢は決しちゃってるんで、
戦略自体に無理があったとしか言えんし。

358人間七七四年2022/09/21(水) 10:10:00.81ID:cuRmtSIg
>>341
それこそが西軍と上杉が繋がってなかった証なのかもね。仰る通り本当なら東軍と上杉軍が戦闘に入ってからクーデターした方が遥かに優位に立てる。それをしない理由は今のところ思い付かないからしなかったのではなく出来なかった。
でもどうして出来なかったのだろう。承兌書状によると家康と話をしているのは増田長盛・大谷吉継。話をするチャンスはありそうだが…景勝は中央と関わりが薄かったからつながれなかったのかもしれんが。

359人間七七四年2022/09/21(水) 12:53:12.92ID:1FncuuMf
言経卿記に家康は戦のあと秀頼と和睦したと書かれてるから
主君である秀頼に家康が弓を引いた形になったのは確定してる

360人間七七四年2022/09/21(水) 13:42:35.09ID:Yh65NSIZ
上杉との交通は沼田で止められていたらしいがこれも三成が事前になんとかできなかったのだろうか

361人間七七四年2022/09/21(水) 14:07:09.06ID:hqVRN8Lh
矛先を逸らしたい上杉に情報を売られる可能性だってあるんだから
事前に連絡すりゃいいってもんじゃない

362人間七七四年2022/09/21(水) 15:00:07.88ID:AE65GpHw
8月下旬の徳川家臣の榊原康政書状では天下仕置ついて述べる記述があって
徳川サイドの認識として石田が政権運営してると認めてる
という主張を見たんだがあり得るのか?

363人間七七四年2022/09/21(水) 18:03:49.01ID:y5HZXDy2
その書状の中身次第じゃなかろうか

364人間七七四年2022/09/21(水) 18:18:10.48ID:JBltU7wi
関ヶ原当日に、石田から再三督促したのに島津が動かなかったのは真実なのか、真実なら、墨俣合戦の時に島津軍を見棄てたことにヘソを曲げたという話は合っているのか

365人間七七四年2022/09/21(水) 19:39:29.13ID:r2tGxqEp
>>362
それは白峰氏の論考だな
『慶長5年6月~同年9月における徳川家康の軍事行動について(その3)』のP5に載ってるよ

その主張の根拠となる書状は8月24日付遠藤慶隆宛榊原康政書状
当該書状に「この度別心の衆は始終天下の仕置をすることができるだろうか」という記述があるらしい

白峰氏はこれを以て榊原康政は西軍が天下の仕置をしていることを認め、
家康がこの時点で公儀から排除されていたことを自ら認めていたことにもなると述べてる
個人的にはちょっと強引な主張かなと思うが、自分も原文見たことないんで何とも言えない

366人間七七四年2022/09/21(水) 19:51:34.24ID:cuRmtSIg
関ヶ原の戦いは松尾山の小早川を排除しようとした石田三成らの背後を東軍が強襲してきたもの。だから三成には島津への救援を頼む暇すらも無かったんじゃなかろうか。東軍を待ち受けていたなら暇もあるけど…三成らからすると南宮山の毛利隊が東軍進軍を静観するとは思えないから思考的には完全な奇襲が成立した。島津からしても予想外だし戦うどころじゃなかったろう。

367人間七七四年2022/09/21(水) 20:21:01.90ID:RWiCdF7z
>>365
読んだけど、じゃあ別心之衆ってなにかってならんかね?
他の文書にもあるように京都の仕置ともある
畿内、もっといえば京都と大坂の治安維持なり支配ができるのかどうかくらいの意味じゃないのかな

じゃないと誰への別心なのか意味が取れない

368人間七七四年2022/09/21(水) 21:02:53.24ID:k/RoshjQ
>>358
上杉との戦端が開くのは天下の大名ほとんどの
軍が徳川の指揮下に入った後だぞ
毛利軍自体引き返さなきゃその指揮下で
上杉攻めに参加するはずだった

>>367
もっと単純に「今後仕置きができるのか?」
というのを「今仕置きしてると認めた!」
ってかなり無理あるよな

369人間七七四年2022/09/21(水) 21:27:37.48ID:RWiCdF7z
>>368
九月二十七日条の言経卿記も読んでみたけど、「内府大坂へ御出也云、秀頼卿和睦也」と確かにあるにはあるが

「和睦」って表現が気になる
いまの感覚でいう和睦は当時、「調」とか「扱」(仲介のニュアンスだが)使うのが普通で、単純に親しく仲良くしたくらいの意味ではないだろうか
なんせ二ヶ月前には自分で金銭や兵糧を与えて公儀の軍事行動だと認定してる立場だし

370人間七七四年2022/09/21(水) 21:52:40.22ID:2NLLbQmz
親睦みたいな意味なのか

371人間七七四年2022/09/21(水) 22:55:55.40ID:r2tGxqEp
>>369
ちょっと調べてみたが、当時の和睦の用例見ても現代の意味とそう大差ない感じだな
あと当時は「御無事」もよく使われてて、こちらの方が多く使われてる

・(天正10年)2月26日付上杉景勝宛蘆名盛隆書状
「随而新發田因幡守被抛御不足、御和睦念願候」

・(天正10年)7月18日付蜂須賀正勝宛毛利輝元書状
「今度和睦之儀、秀吉申談本望候」

・(天正11年)9月9日付吉川広家宛毛利輝元書状
「今度京藝和睦之儀、以御方御上洛之旨、弥令入眼候」

372人間七七四年2022/09/21(水) 23:36:06.10ID:RWiCdF7z
>>371
なんか忘れてると思ってたら「無事」だった
しかし私が無学なだけで「和睦」の用例も多いんだね
だとすると言経の中では秀頼と家康は交戦状態だったという認識なのか

373人間七七四年2022/09/22(木) 07:34:34.08ID:qjTkn1tz
関ヶ原は関東では当初石田三成・大谷吉継の謀反(7/29に三奉行・毛利輝元の乱と判明)、上方では豊臣と徳川の戦争、九州では毛利輝元と三奉行の謀反と認識されてる。上方での認識はおそらく豊臣が西軍に加担していたからじゃなかろうか。側から見ると豊臣による攻撃だったんだろう。

374人間七七四年2022/09/22(木) 08:08:39.90ID:0rasn1vc
豊臣家が西軍に加担していたのならその西軍に勝った家康はどういう存在になるんだろ
もはや秀吉の遺言も豊臣政権の枠組みも超えてしまったんではないか

375人間七七四年2022/09/22(木) 08:21:19.21ID:TcWMEE87
単純に西軍のプロパガンダが秀頼の支持受けてます
って言ってたから公家はそう見てたってことでは?
豊臣が西軍加担と言うけど具体的に何を指すか?

秀頼から西軍に対して家康追討を命じたり
馬廻動員のための命令を発したり
支持表明になり得る軍資金や物品の下賜があったり

そういう事実があれば格好のプロパガンダなのに
全く記録に残っていないのではないかと

>>369
アンカミスかな?

376人間七七四年2022/09/22(木) 10:40:47.77ID:/yJTgHxm
西軍は秀頼の命令で土地の収奪を行ってる。一例だと蜂須賀家政は「秀頼が家政が徳川家康と親しかったのはけしからんと言った」として改易処分を受けてる。そして秀頼馬廻衆は西軍に配属されてたとか。関ヶ原の南宮山に居たんだと。それに石田三成は大坂の増田長盛に兵糧・資金の援助を申し出てるけど長盛が自腹切るとも思えないから大坂城の豊臣資産は西軍に使われていた可能性がある。

377人間七七四年2022/09/22(木) 10:42:14.38ID:/yJTgHxm
つまり対外的には豊臣は西軍だったワケだけどこれは秀頼や淀君の意思じゃない、これが豊臣の寿命を絶ったのかもしれない。実力で脅せば言う事を聞く、こんな連中を公儀と認める程戦国大名甘くは無いし。

378人間七七四年2022/09/22(木) 11:19:13.52ID:Kp97ZZz0
奉行衆の謀反であって豊臣秀頼や淀君の指示ではない
というところがポイントよね

少なくとも家康自身が豊臣vs徳川の図式が
あからさまになるのを嫌って公的にはそうした
淀君と秀頼もそう取られてる物的証拠になる
文書は残さなかった

379人間七七四年2022/09/22(木) 11:31:47.84ID:heDq7VKa
そういうことなら家康が豊臣を上に戴くことをやめたとしても非難される謂れは無いな
本心はどうあれ敵対行為とられて豊臣政権の枠組みから放り出されたわけだから

西軍公儀説ってかえって家康が独自の政権つくる動機の根拠にしかならんのじゃないか

380人間七七四年2022/09/22(木) 14:07:02.24ID:AjTrbzY1
まず豊臣家が西軍に加担する理由が無くないか?
西軍は大義名分が無いから豊臣家の名前を利用しただけだろ
なぜ秀頼サイドが徳川を排除する必要があんの?

381人間七七四年2022/09/22(木) 15:57:54.51ID:qjTkn1tz
豊臣家奉行が大名に書状を送って軍勢を大坂城にいれた。これで秀頼の意思では無いというのは難しい。もし三奉行の行いが豊臣の意思と違うなら豊臣は奉行謀反として討伐しないとならん。がそうした動きが無い。それで豊臣は徳川を敵に回したと判じられた。豊臣の意思決定機構が不完全な隙を毛利輝元に突かれた、最悪のタイミングでクーデターが起きたのかも。

382人間七七四年2022/09/22(木) 17:23:25.38ID:sQlovmeS
大坂城の方から来ました

383人間七七四年2022/09/22(木) 19:12:32.60ID:82uV1oW8
安倍のほうからきたセールスマンから、消火器と布団と印鑑を購入しました。36万9000円しましたが、月賦で払っていますし、快眠できて本当に良かったです

384人間七七四年2022/09/22(木) 20:29:42.75ID:7TwZdSX0
淀が家康に謀反を通報してるからセーフ
ただその後の行動は豊臣家の存続を第一にしたと思われ天下人としての権威を地に落とすには十分だった

385人間七七四年2022/09/22(木) 20:37:46.00ID:LcjdL3x/
>>381
そもそも同じ城に軍勢居座られてるんだから
討伐とかどうやっても無理だろ
主君の城を武力制圧しておいて討伐されなかったから
主君の意を受けてる証拠って・・・

386人間七七四年2022/09/22(木) 21:22:03.58ID:qjTkn1tz
そこら辺が事を複雑にしてるわな。公家から見るともし西軍が豊臣の意思に反してるなら豊臣は徹底抗戦してないとおかしい。仮に豊臣が西軍に同意しないで大坂城に籠城したら西軍には打つ手が無い。大坂城を攻めれば謀反になって諸将からの信奉は喪われる。それをしないのは豊臣が西軍を容認してるからだろう。ていうか豊臣が徳川討伐の為に毛利を呼んだと見てたんじゃないか。ただそれとは別に家臣一同に反乱されたら主君はどうすりゃいいの?って話があるわけなんだけどやっぱり命より名誉を取っとけってことに

387人間七七四年2022/09/23(金) 08:27:43.49ID:hR91vdrC
奉行が反乱→豊臣政権のトップである家康が討伐
何も問題ない

388人間七七四年2022/09/23(金) 09:22:52.18ID:hJlrprvt
問題は担がれた豊臣秀頼が全く動けなかったこと。豊臣家の存続の代わりに公儀の位から落とされたに等しい。つまり大坂の陣に至る遥か前に秀頼は天下人たる資格を喪っていたっていう。

389人間七七四年2022/09/23(金) 12:27:28.94ID:WbUJkW5z
>>376
百歩譲って秀吉時代ならともかく、秀頼になっても
トップがけしからんと言った(と言い張れば)大名を改易できると考えているあたり
奉行の脳味噌には蛆が沸いていたとしか思えない

三成たちは秀吉時代の強権政治が秀吉死後も続けられるという妄想に侵されていた
精神異常者たちがいかれた妄想を現実にしようとして起こしたのが関ヶ原だと言える

390人間七七四年2022/09/23(金) 13:19:11.01ID:hRaMPr65
戦国時代ってそんなもんだし。実力があれば何しても良い。大義名分はその後ろからくるもんだもの。秀吉が作り上げた惣無事令は毛利らに否定されてぶっ壊れた。

391人間七七四年2022/09/23(金) 14:46:50.29ID:iAFiwzCq
総大将 毛利中納言
現場監督気取り 石田治部少輔

392人間七七四年2022/09/23(金) 18:04:22.25ID:cZtaDTYi
>>388
西軍の挙兵で豊臣公儀は単なるお題目となった

393人間七七四年2022/09/23(金) 20:49:52.85ID:WbUJkW5z
>>390
実力がないけど幼児の威光を振りかざせば何でもできると信じていたのは
さすがに三成たちだけだろ

394人間七七四年2022/09/23(金) 21:14:01.02ID:ReeIpMuj
まあ、秀頼の威光と毛利の武力が合わされば無敵!くらいの気持ちだったんだろう

395人間七七四年2022/09/23(金) 22:50:45.22ID:xBZnccrb
毛利に大坂城制圧されたとき戦闘はなかったんだろうか七手組は何してたんだ

396人間七七四年2022/09/24(土) 09:22:26.73ID:+nbszWhQ
>>395
味方だと思ったのかな
「あ、毛利様こんにちは」みたいな

397人間七七四年2022/09/24(土) 10:01:17.51ID:aAogFCye
これまで味方、それも重役みたいな連中が旧に敵になるってどんな感じかね

398人間七七四年2022/09/24(土) 11:14:17.08ID:D8ru8mJL
守備隊からすると組織上自分達の上司が引きこんでるから防ぐのはかなり難しかったのでは。

399人間七七四年2022/09/24(土) 17:59:10.71ID:GGqSuENX
>>395
関ヶ原時の七手組って戦闘経験あるの?
秀吉の天下取りの時は主に配下大名が戦ってるし
代替わりも進んでて無力だったんじゃないの?

400人間七七四年2022/09/24(土) 21:00:00.62ID:dSlKrHGv
>>399
青木一重とか速水守久とかそれなりに

むしろ政治センスのあるやつがいなすぎてなー

401人間七七四年2022/09/24(土) 21:27:16.76ID:XGXVhaXN
政治センスのあるやつは旗本に置いといちゃだめよ

402人間七七四年2022/09/25(日) 03:21:23.83ID:qpEmTC0g
ゲームじゃないから政治センスとかあんまり必要じゃない

403人間七七四年2022/09/25(日) 10:11:06.86ID:MPSy4GIO
実践経験のない軍勢なんて役に立たない
歴戦の猛者が来たら虐殺されて逃げ散るしかない

みたいな世界観が既にマンガ

404人間七七四年2022/09/25(日) 11:17:46.55ID:N9/DQvWA
>>398
ちなみにおんなじことがチョイ前に伏見城でも起きてる。
伏見城を占拠して金銀がなぜか家康が使いまくったし。

それ考えると大阪城占拠より伏見城占拠の方が大きいけどスルーされがちである。
大阪の玉(秀頼)握ったほうがあとあと有利だと当時だれも思っていたけど
関ケ原でそんな忠誠心当てにならないとわかって意味が薄くかったという流れだからしょうがないけど。

405人間七七四年2022/09/25(日) 11:25:47.74ID:MPSy4GIO
何故なら伏見城入城は太閤の遺言だから

406人間七七四年2022/09/25(日) 11:38:14.45ID:qpEmTC0g
遺言を守っても散々と言われる家康がかわいそうやな

407人間七七四年2022/09/25(日) 12:39:30.31ID:htH0+m86
関ヶ原で秀頼無意味とわかったというか
西軍の挙兵が秀頼と豊臣公儀から
意味を奪ったんよ

西軍挙兵まで皆んな秀頼立てて
遺言と政権の枠組みの中で
実権奪い合うゲームをしてた

そこを逸脱したら一斉に叩かれる恐れ
その恐れがあるから家康だって例外ではなく
秀頼の最大の家臣として
政権の法度を破るものを討つという建前で動いてた

ところが毛利も奉行も武力で
秀頼の身柄抑えりゃ勝ち
って戦いを始めてしまった

結果秀頼は武力持つ者がなんとでもできる
トロフィーに過ぎなくなってしまい
西軍もより大きな武力に潰された

408人間七七四年2022/09/25(日) 18:43:34.66ID:Ej+eL+8k
輝元からすりゃ大坂城さえ押さえればいけると思ったんだろうけどそこまで甘くはなかった

409人間七七四年2022/09/25(日) 19:32:42.38ID:rWQNkMWa
多分輝元が思ってたほど、「豊臣公儀」には権威も権力も無かった。
それを秀吉なり家康なりが個人の権威でカバーしていただけ

410人間七七四年2022/09/26(月) 12:13:07.13ID:m7JpA0VQ
三成さえいなければ
福島も黒田も金吾も西軍だっただろう

411人間七七四年2022/09/26(月) 12:53:05.30ID:cV95n8Fi
福島正則→秀頼から清洲を明け渡せと命令来たけど断固拒否
黒田長政→毛利輝元がクーデターの主犯と睨んでいて九州勢で連携を進めていた。大友義統がやってくると聞いて確信すると徹底抗戦する。
小早川秀秋→そもそも三成と面識無い可能性まである。伏見城攻めに少し参加した後行方をくらませて出てきた時には松尾山を占拠してた。
正直三成がどこに居ようがさほど違いは無かった可能性が高い。三成が東軍についてたら徳川はほぼフリーパスで大坂まで来れるから鎮圧が早かったかもくらい?

412人間七七四年2022/09/26(月) 13:29:40.89ID:cV95n8Fi
多分だがその理由はまず福島正則は三成と吉継の乱なら参加する理由というか勝算が無いし、輝元と豊臣の乱となっても自分が最前線になるから参加する気にならない。毛利領から遠いから援軍が間に合わないだろう。
九州勢はまたちょっと違うベクトルの話になる。九州は基本的に西軍勢力が強い。逆言すると西軍に与しても利益が出る見込みが無い。確かに毛利が出てくる可能性があるが徳川が攻める限り毛利主力は東に向かう。その間九州は切り取り放題やりたい放題。腕に自信があるなら獲れるだけ獲っちまえのボーナスタイムだったろう。

413人間七七四年2022/09/26(月) 19:58:24.42ID:NHQF0iP2
家康でさえ畿内の動静を全て把握できず、西軍首脳部は上杉討伐軍が崩壊すると思ってるお花畑
地方の連中なんて出たとこ勝負が関の山

そしてあっというまに崩壊する西軍本隊の脆弱さ

414人間七七四年2022/09/26(月) 20:36:55.11ID:cV95n8Fi
石田三成は美濃方面の拡充を要請したけど西軍は大局観に立って伊勢から西国の支配を優先したからね。そしたら百戦錬磨の東軍諸将に速攻で岐阜城落とされて大垣城は孤立させられて謂わば詰まされてた。まだそれでも輝元が滅亡覚悟で戦争すりゃ何か起きたかもしれないけど。

415人間七七四年2022/09/26(月) 23:04:49.23ID:1SbYnMkU
三成はまだわかる
幼君奉戴して家康を遠ざけて、あるいは徳川家取り潰して秀吉型政権の家老に座ろうとしてるんだろ

輝元がわかんないんだよな
挙兵したはいいけど
家康に勝てたとしてその後何がやりたかったんだろ
秀頼の忠臣として豊臣政権の柱石に座ろうとしたのか
毛利幕府みたいなものを志向したのか
さっぱり見えない

416人間七七四年2022/09/26(月) 23:07:13.21ID:U6Yd2dPu
テルのスレでやってね

417人間七七四年2022/09/27(火) 06:29:15.23ID:upyjpQZx
輝元とすりゃ四国と九州を支配下に置けりゃそれで良かったんだろ

418人間七七四年2022/09/27(火) 08:29:49.88ID:4lZlBs6Y
>>416
グレイのテルか?

419人間七七四年2022/09/27(火) 09:46:37.05ID:AB06ijEX
輝元って確か所領に関する秀吉の裁定を反故にしてるから豊臣に忠誠心があったとは思えない
三成は自前の勢力なく豊臣の看板なきゃやれないから豊臣を立てようとするだろうが
もともと独立勢力の毛利も上杉も島津でもしかたなく豊臣に臣従してたんで忠誠心などあるはずがない
せいぜい自家の利益に繋がるなら豊臣家を利用しようとする程度で以前のように切り取り勝手の好き放題したいはず
西軍が勝っても三成(豊臣家)の権益と毛利らの権益が衝突して戦国に戻り豊臣が滅ぶ確率のほうが高い
当たり前だけどどこの大名も名家でもなく何の実力もなくなった豊臣なんぞより自家の利益最優先なんで
西軍が勝ってたら豊臣政権安泰なんて考えるのは全くのお花畑妄想でしかない

420人間七七四年2022/09/27(火) 10:26:32.59ID:L493ulgq
毛利輝元って毛利家が本来有してた瀬戸内海の権益を秀吉に取られていて秀吉をというか豊臣を恨んでいた可能性はかなら高い。三奉行決起の後輝元は素早く四国・九州を掌中に収めようとしてるけどこれもかつての毛利家の権益を確保しようとしていたのかもしれん。
だとすると恨みは深い訳で前々から豊臣政権崩壊のネタを仕込んで回ってた可能性も高いんじゃなかろうか。

421人間七七四年2022/09/27(火) 21:46:45.92ID:hTmUaqML
結局の所、根本的に器が地方大大名程度だったとしか思えない、輝元は
勿論天下取れたらいいな程度の思いはあっただろうけど、逆に言えばその程度
ただ、だからこそ奉行が輝元に接近したってのはありそうだがね
輝元が大局観を持つという事は、要は天下というものを強く意識するのと同義だから
必然的に家康と思考回路が近くなる、というよりならざるを得ない
そしてそうなる事が三成をはじめとする奉行たちにとって本当に喜ぶべき事なのか、
というのは関ヶ原を考える上では必要だとは思う

422人間七七四年2022/09/27(火) 22:22:30.25ID:+sibOpTj
政争で負けて追い詰められて決起しただけの集団が
家康倒した後の政権運営なんか考えても仕方ない
元が反家康だけが共通項の同床異夢状態なんだから

423人間七七四年2022/09/27(火) 22:57:35.80ID:ojCXhRS5
つーか奉行にとっちゃデリヘルのチェンジよろしく
好き勝手許してくれない嫌な上司を
チェンジしたかった訳でしょ

いくらなんでも三成なり三奉行の誰かが
秀吉や家康に取って代わるって
そこまでは思い切って(思い上がって)ない

総大将引き受けた以上輝元もその気だろう

424人間七七四年2022/09/28(水) 10:50:27.34ID:O0xivj/H
毛利が生き残り
安倍の国葬が実施された

425人間七七四年2022/09/28(水) 16:39:40.02ID:JwYZAkRI
>>421
秀吉で勝てなかった家康に、輝元で勝てるとか
どういう神経してるんだ奉行は。豊臣家をさらに
追い詰めて窮地に追いやるだけじゃねーか

426人間七七四年2022/09/28(水) 16:59:05.12ID:ieGU3XsI
有名な「秀頼の為でなくても」の起請文(慶長三年八月二十八日起請文)だけど起請文で他にあんな風に添削されてるものってあるのかな?

427人間七七四年2022/09/28(水) 18:07:44.59ID:YnMBEI9S
>>425
奉行視点だと『絶対的存在である豊臣政権から徳川を排除し、これを討伐する』だもの
要は豊臣対徳川だから敗北することはあり得ないんだよ
そもそも関ヶ原前の時点では豊臣の権威はまだ絶対的なものだ、家康だってこれは否定できん
だから奉行は大坂城を抑えることで(本丸制圧は出来なかったが)諸大名に
『豊臣に従うか?逆らうか?』って形に持ち込もうとしたんだよ
実際は奉行のやり方に反感を持った諸侯が『本当に豊臣恩為を名乗れるのはどちらか?』
という形、つまり豊臣の看板争奪戦という形にしたことで失敗に終わったが

428人間七七四年2022/09/28(水) 18:46:12.23ID:TRfck96B
>>426
そんな文言、8月28日の案文にはないと思うんだが
疑問の向きは「見せ消ち」で検索するのをお勧めします

429人間七七四年2022/09/28(水) 19:51:18.90ID:8CuwYLGi
「もしこの度(秀吉が)決められた五大老の内、秀頼様へ逆心を企てるということでなくとも、
増田・石田・徳善院・長束と心を異にする輩があれば、私(輝元)はこの四人の衆と相談して秀頼様へ御奉公する」

「秀頼の為でなくても」ではなく「秀頼へ謀叛を企むわけじゃなくても」だな

430人間七七四年2022/09/28(水) 19:54:35.91ID:OtKIDsQ2
起請文で添削とかあんま聞かないってかそれは起請文と呼んでいいのか

431人間七七四年2022/09/28(水) 20:57:48.53ID:TRfck96B
>>430
起請文には三種の形態がある
まず誓約する内容を記した前書(まえがき)
次いで神罰を受けると神仏の名前を列挙し、署名や花押、判を捺す起請文本文
それから誓約をあとから再確認する請状

この文書は、実質的に内容を規定する前書で、しかも案文(草稿、下書き)だからなんの不思議もない
細かい文言の調整からいろいろ読み解くことができるのでは、って価値はあれども

432人間七七四年2022/09/28(水) 21:12:42.45ID:ieGU3XsI
仮にこの添削が三成によるものだとしたら、実は輝元が奉行派の発起人だったことになるのか

433人間七七四年2022/09/28(水) 22:43:31.45ID:TRfck96B
>>432
どういう意味で言ってるのか解釈に苦しむが
下記で検索すると研究者の見解を読めるぞ
それが学界の定説なのかどうかは把握してませんので悪しからず

考察・関ヶ原の合戦 其の三十六  秀吉死去前後に作成された起請文について

434人間七七四年2022/09/29(木) 06:15:39.15ID:UR5oGStY
もう西軍が勝てるのって運しかなくない?
もし家康が清州か小山で病気で急死したらとか

435人間七七四年2022/09/29(木) 10:31:59.84ID:p+jW6BMF
>>431
言いたい事はわかるし理論的には納得できるんだけど、
見せ消ちされてる起請文って他に何があるんだい?

436人間七七四年2022/09/29(木) 17:57:34.72ID:hKbS9KiR
毛利が徳川を甘く見てたのがそもそも間違い

437人間七七四年2022/09/29(木) 18:33:23.81ID:qKkvlgH5
>>436
そうかな?逆に家康が輝元を甘く見てた部分もあったんじゃないかな
まさかここまでの事はしないだろうと
少なくとも大坂を抑えた(ように見えただけで実際は違うが)時点では、
西軍は政治的に徳川を政権から排除しうる可能性自体は一応あったわけだから
家康視点ではしてやられた!という状況ではあっただろう
実際家康が上杉征伐に向かったタイミングは毛利は完全フリーだったとは言えるしね
とはいえあの時点の家康に対毛利の対策なんか取りようがなかっただろうが

438人間七七四年2022/09/29(木) 21:21:44.18ID:QIbZes7G
三成が輝元を奉行派に引き込んだように見られがちだが
もしかしたら本当は輝元が三成らを操って奉行派を作ったのかもしれない。家康・利家体制を破壊する利益は実は輝元に多くある。三成ら奉行衆には自分達の政治的地位が上がるくらいしか無いけど輝元には遺領問題や毛利の既得権益を取り戻すというかなり具体的な利益がある。輝元は単純に担がれていた訳じゃ無いのではないか。

439人間七七四年2022/09/29(木) 23:01:05.69ID:DxJWRHDT
操って・・・

440人間七七四年2022/09/30(金) 07:08:01.98ID:6QYHEcsL
・淀殿をなんとか説得して秀頼を出陣させる
・小早川を寝返らせない

三成が勝つには他に何をすればよかったんやろ?

441人間七七四年2022/09/30(金) 08:38:08.53ID:Nk0A5JEk
>>440
毛利が大阪に来る前に
清須を落とす

442人間七七四年2022/09/30(金) 09:24:16.80ID:kYxkZ95w
三成の場合関ヶ原で勝ったらそれでハッピーエンドじゃないからなあ
その後の方が茨の道修羅の道かも知れない

443人間七七四年2022/09/30(金) 09:52:01.10ID:VkcESdHn
>>429
秀頼への逆心がなくても4奉行と意見が違うなら討つ

というのはほぼ奉行による寡頭制だな
輝元と奉行の間に交わされた文書で
豊臣政権としてのものではないとは言え
奉行はそれを狙ってたようにみえる

いくら家康への警戒からのものだと言っても
ここまで行ったらもう
御掟の禁じた徒党でないと言うのも苦しい

444人間七七四年2022/09/30(金) 10:15:22.67ID:nnGKjbuv
関ヶ原自体が予想外の展開だから防ぎようもない無理ゲー。
裏切った小早川を討伐する為に松尾山攻撃に行ったら東軍が何の妨害も受けず関ヶ原に突入とか奇襲もいいとこ。

445人間七七四年2022/09/30(金) 12:27:24.73ID:/F3Mf9ix
もし三成が関ヶ原で勝ってたら、自分に大加増したのだろうか?

446人間七七四年2022/09/30(金) 17:49:10.08ID:1mkk05xj
それについては昔、学研()がシミュレーションしていた。三成は近江一国78万石、上杉は越後回復で175万石、毛利は豊前一国加増、大谷は越前一国、秀信は約束通り美濃尾張、秀秋は筑前にくわえ、播磨一国加増、、宇喜多はなぜか関八州250万石。

447人間七七四年2022/09/30(金) 18:46:50.13ID:/cLmwunG
>>446
ガバガバで草

448人間七七四年2022/09/30(金) 20:38:53.67ID:16u/Vgwc
白峰氏は増田長盛宛書状を偽書とする理由に文調が三成らしくないって主張していたけど
当時の三成って前々から指摘していた危険性が顕在化していてその上毛利の動きがおかしいときてるから弱気になってもおかしくない

449人間七七四年2022/09/30(金) 22:26:24.75ID:8AJtYdiS
9月12日付三成書状は心情的な表現の問題もあるが「遠慮深く候」の用例が気になる
「加遠慮」とか「致遠慮」は当時よく使われる表現だが、遠慮深いは見たことない

白峰氏は他にも「はいくん」をわざわざ平仮名で表記せず漢字で「敗軍」と
書いたはずと、疑義を呈し偽書である根拠の一つとして挙げてる
しかし天正9年7月29日付家族宛吉川経家書状に「はいくん」が使われている
子供宛の書状だからという見方もできるがこちらは根拠としては少し弱いか

450人間七七四年2022/10/01(土) 00:27:08.49ID:7KhnLu4L
>>449
「遠慮」については現代的な意味より、深い思慮というような使われ方が多いという感想
「加遠慮」「致遠慮」は後者の用例で多いのではないか
あと気になるのは「体」の乱用が過ぎること
「躰」の方が用例が多いんじゃないかとも思うし

しかし、大日本史料は関ヶ原軍記集成による本書状の東軍による奪取を肯定してるようだ
稿本段階だけど

451人間七七四年2022/10/01(土) 13:54:56.25ID:X8zDgZlV
今日は三成の命日

452人間七七四年2022/10/01(土) 14:21:14.30ID:lepEoxn/
>>450
仰る通り当時の遠慮は深謀遠慮の意味で使われることが多いね
「致遠慮」については辞退するという意味で使われてるが

・「加遠慮」の用例
(天正14年)9月25日付上杉景勝宛石田三成・増田長盛連署状
「真田事、是又㝡前如被仰出候、表裏者候ニ付而、
御成敗之儀雖被仰付候、先今度之儀、被加御遠慮候事」

・「致遠慮」の用例
(天正10年)5月27日付森乱丸宛織田信忠書状
「中国表近々可被出御馬由候条、我々堺見物之儀、先致遠慮候」

白峰氏によると「遠慮深い」は国木田独歩の『二老人』(1908年)
で登場する近代になってから使われ出した用語らしいので、これは偽書説の根拠の一つになり得るかと

体の乱用か
確かに見返してみるとかなり多いな
「~のようだ」と断定できないところを見ると、
当該書状が偽書でないとすれば三成の自信の無さの表れになるのかね

「躰」は「体」の異体字だし「処と處」や「万と萬」、「珍と珎」と同様に翻刻する際は
「処」や「万」と表記する場合もあるし、またその逆もあるからこれはあまり問題ではないかな
原文に忠実に翻刻するなら「躰」で間違いないんだけど、それは翻刻する人の裁量に任されるな

453人間七七四年2022/10/01(土) 22:19:53.40ID:cVDtpHlM
>>444
ああだから2時間で終わったんだな

454人間七七四年2022/10/03(月) 15:01:45.85ID:ZpW2H5Ft
所詮三成と家康、ゴミ同士の戦いだからロマンが無いんだよな
信長が天下統一してたら鎖国なんかしなかったくらいのロマンがあったらなぁ

455人間七七四年2022/10/03(月) 16:01:34.74ID:Gd/bxY4i
>>453
石田三成的には小早川秀秋の裏切りよりも毛利輝元の裏切りの方が遥かにダメージデカかったというね。本来壁になる筈の南宮山が動かないで東軍を素通りさせるとは思ってなかったろうし。

456人間七七四年2022/10/03(月) 18:25:14.99ID:d80c5sRY
>>454
家康は鎖国なんてしてないし信長よりも優秀だよ

457人間七七四年2022/10/03(月) 18:55:00.14ID:g1WZqQLR
現代で例えるなら
石田三成←地位を失った財務省事務次官矢野
大谷吉継←矢野に媚びへつらう腰巾着

だからなぁ、こんな小物糞役人どもが一世一代のライバルなんだから
家康が信長秀吉よりショボく見えちゃうのは仕方がない

458人間七七四年2022/10/03(月) 20:32:57.81ID:oPNUMBzJ
西軍の主は毛利輝元だしなんなら豊臣すら敵なんだよなぁ

459人間七七四年2022/10/04(火) 13:26:21.40ID:BqaVQb13
三成の武功って忍城だけ?
だれがついて行くねん

460人間七七四年2022/10/04(火) 13:53:37.35ID:tf8ugZDJ
ギレン…ワシはただ、三成の死を…

461人間七七四年2022/10/04(火) 22:25:00.98ID:jZu/DLuf
忍の前に館林城とか落としてるんだよな、いちおう

462人間七七四年2022/10/05(水) 09:08:30.50ID:RGONz9uJ
ウンコ漏らす程の死線をくぐり抜けてた猛者に立ち向かう実績ではないな

463人間七七四年2022/10/05(水) 13:17:25.19ID:1DTU8NAC
伏見城落とすのに何日掛けておるのだ!まったく!私の手際を見せてやる。よおく見ておくのだな。

464人間七七四年2022/10/05(水) 13:30:27.41ID:yWmq20Px
伏見城攻めてるのは毛利や宇喜多、三奉行で三成はまず伏見を攻めてることを知っていたのかから怪しいっていう

465人間七七四年2022/10/05(水) 13:31:54.13ID:41XDl2Mf
秀吉が築いた城をよく攻撃したものだ

466人間七七四年2022/10/05(水) 17:58:12.19ID:6bZgOcgW
秀吉なんておっ死んだ時点で過去の人やぞ。
尤も伏見を攻撃した事で毛利に豊臣を立てるつもりが無かった事が露見したのも事実。伏見を焼いてどうやって朝廷と協議する気だったのか。

467人間七七四年2022/10/05(水) 20:46:41.82ID:RCHEAEkb
大阪城で第二戦やった方が面白かったのに

468人間七七四年2022/10/05(水) 21:01:00.71ID:w9+O99fw
毛利輝元が降伏した時点で西軍に勝ち目が無いんだから仕方ない。輝元が大坂で死んでも良いと腹括ってたら話は別だったけど。

469人間七七四年2022/10/06(木) 03:58:01.20ID:joDmvMNP
キエフのちんぽ事件見てからおもうよな。

普通に覚悟決めて大阪籠城してたらな。
瀬戸内の水軍は西軍だけだし、落とせないだろ

470人間七七四年2022/10/06(木) 09:21:41.54ID:rdGTCvm4
大阪が一丸なら落ちないと思う
でも秀頼と淀の協力が怪しいなら
相当厳しい賭けだね

んでやらんかったってことは
つまりそう言うことでは?と思う

471人間七七四年2022/10/06(木) 10:07:32.01ID:jJArJ+QI
大阪城〜京都あたりで第二戦やるにしても、両軍の戦力はどの程度だ?
双方とも分散してた戦力を集めたり、中立や慎重派も動くだろうし、
関ケ原での東軍勝利や、西軍による秀頼の擁立で裏切りも発生するだろ

東北〜北関東、信州、九州あたりは膠着状態だろうけど

472人間七七四年2022/10/06(木) 10:32:55.22ID:IEAFzhOJ
西軍が勝ったところでそれは決して豊臣家の勝利ではないのが虚しいな
結局奉行なり毛利なり上杉なりの権勢が強大になるだけで秀頼は傀儡になる未来しか見えない
まあよくて傀儡悪くすれば殺される運命だろう

473人間七七四年2022/10/06(木) 10:33:17.41ID:LcvU53nN
輝元が降伏したのは関ヶ原の前だからつまり大坂決戦をするという事は南宮山の毛利隊も打撃を受けてる事になる。まず大垣城から佐和山城が落城してるのも確定でその残存兵力を大坂に掻き集めることになる。
後は秀頼を担ぎ上げるしか無いけど西軍は一貫して秀頼の意向として動いているのに東軍に影響を与えられなかった。て事は恐らく余り効果は無いだろうから…凄いことにはなると思う。大坂は灰燼に帰したんじゃないかな。

474人間七七四年2022/10/06(木) 11:39:31.45ID:bMiDCc29
無敵の立花宗成さんがいるだろw

475人間七七四年2022/10/06(木) 11:55:44.73ID:LcvU53nN
立花さんは早々に徳川に降伏してるから物の役に立たない説がなぁ…

476人間七七四年2022/10/06(木) 18:17:34.43ID:8GxGaP5W
>>472
毛利や上杉に秀頼傀儡にして操るような政治テクニックあるのか?
傀儡って結構難しいんだぞ
上杉憲政を殺すような景勝、足利義昭を持て余すような輝元にはそんなの無理だと思う

477人間七七四年2022/10/06(木) 18:30:21.43ID:LcvU53nN
秀頼を傀儡にってならもう成功してるし問題無かったんじゃないかな。西軍は「秀頼が蜂須賀が家康と親しいのはけしからぬといった」として毛利軍が蜂須賀領を占拠したり秀頼馬廻衆を南宮山に置いたりしてる。これを傀儡と言わずしてなんと言おう。しかもこの戦に勝つということは徳川の戦力はかなり減衰してるハズで尚の事豊臣が口出す余地は無い。何なら秀頼なんて大坂城で病死させても良いくらいよ。

478人間七七四年2022/10/06(木) 18:58:41.20ID:gUY7Ivey
>>471
元々大垣城は東軍勢力に囲まれていて絶体絶命、既に西軍は浮き足立っていたらしい。この状況で西軍が負けたとなると…

479人間七七四年2022/10/06(木) 19:38:43.66ID:sHYxe7zd
東軍がほぼ離脱者が出ずに西上してきた時点で西軍の戦略は崩壊してる

480人間七七四年2022/10/07(金) 06:13:04.16ID:4Gk3j4bI
そもそも西軍に戦慣れした奴がいないのが問題
唯一いた島津義弘は無視されるし、これで勝てるわけない

481人間七七四年2022/10/07(金) 07:58:46.95ID:bPpmzmNa
猛将扱いされてる島左近だって
家康から見たらシロウト童貞みたいな奴だからな

482人間七七四年2022/10/07(金) 08:14:32.57ID:fzenYMDW
そりゃ実戦経験なら毛利だって豊富だし。それがまさか全く通用しないとは思わんでしょう。
島津にしろ鍋島にしろ立花にしろ国力や動員数で毛利の遥か下だから発言権が無い事はそこまでおかしくはない。

483人間七七四年2022/10/07(金) 09:42:13.34ID:PS3b5mrJ
毛利が覇権握ったら、秀包を小早川の後継者に
復帰させるつもりだったのかねえ

484人間七七四年2022/10/07(金) 18:52:56.36ID:ejw5ZjMe
島津が提案した夜襲ってのも圧倒的な戦力差考えるとなぁ

485人間七七四年2022/10/07(金) 19:14:37.59ID:FIROgfd8
成田に勝てなかった三成

486人間七七四年2022/10/07(金) 19:21:19.30ID:+ei8RCVX
島津による夜襲の提案は『落穂集』(1727年成立)が出典

487人間七七四年2022/10/07(金) 21:44:32.90ID:ocPZ16pM
政治的に支持者獲得で負けてんのだから
それひっくり返すのに戦慣れやら実戦経験やらが
頼りというのは特攻精神と変わらん

それに当時で言ったら徳川の兵たちは
天正19年(1592)の東北再仕置以来戦場から遠ざかり
しかもその前年の関東入府で大量の新規雇用が
あったのだから実戦経験などろくにない

488人間七七四年2022/10/07(金) 22:26:26.29ID:Z6kdf5BW
>>479
大坂に籠城したら離脱者出るんでは?

彼らは名目上未だ秀頼の家来なんだぞ。
大坂攻めに成ったら士気はどん底に落ちると思いますよ
更に家康の性格だと、自分の子飼い温存して攻めさせようとするでしょうし

489人間七七四年2022/10/07(金) 22:28:45.85ID:fzenYMDW
東軍は既に豊臣が西軍に与してる事を知ってる。それでも彼らは徳川を選んでるワケで大坂城だって「秀頼さまを助ける」為に攻めていたと思う。その過程で秀頼が死んでも輝元のせいになるし。

490人間七七四年2022/10/07(金) 22:34:37.04ID:wJtbOS6t
関ヶ原の後、加増してくれたのは家康だもんな

新着レスの表示
レスを投稿する