関ヶ原を起こしたのは三成、家康は何も悪くない
>>1
そのまえに、まずは家康の性格に問題があったのでは?
いかにも信用ならない雰囲気で >>2
タヌキ親父と称される家康だが、タヌキを演じたのは
秀吉没後になってからで、それまではめちゃ義理堅い人物だったのでは?
死の直前の秀吉が家康に豊臣家の行く末を頼んだというが、
本当に頼りになると思ってたんじゃなかろうか。 正確には秀頼が長ずるまでを、だな
その観点で言えば権勢の足固めと切り崩しをやってた家康も良くないし足速に戦に乗り出した奉行も良くない
ただ自分たちが生き残るための政治闘争とするなら必然的な行為とも見て取れる 今の丸島氏や平山、黒田氏などが支持して定説となってる大坂の陣研究的には
秀頼長じるまで年貢の面倒まで見て
長じてからも取次の無断追放とかいう宣戦布告やられても和睦という形で一旦許して、さらに和睦の条件守らないまままた暴発した秀頼に対して常光院派遣して和睦の条件今からでも守ってくれたらなんとかするからとまで言われたのを秀頼が全部守れず滅んだっていう経緯を知らなきゃ狸だろうけど、経緯把握したら間違いなく秀頼長じてからも当時の人間としちゃかなり義理堅いよ、度を越すレベルで豊臣方がやらかしまくっただけで 家康がやった切り崩しとは
具体的になんでしょうか
豊臣恩顧スレでは家康は
豊臣政権のトップとして当然のことしか
やってないと言われてました >>9
それだけじゃよくわからないですね
人望がないから関が原を起こしたのでしょうか 家康が煽って仕向けた
5chで言うと家康が荒らし三成は荒らしに構って自爆した その荒らし行為は何を指すのでしょうか
豊臣恩顧スレでも豊臣政権トップとして
問題のある行為はないと言われてます 言葉を一面的にしか受け取らない屁理屈合戦をやりたいだけか
資料考察を勘違いしたごっこ遊びにしかならないよ 豊臣にとっては悪いことでも天下にとっては良いこともあるよ >>12
そのスレは見てないけど
大名同士の婚姻とか、秀吉の遺命にそむいてなかったっけ??
そういうのをズラッとならべて「〜の条々」みたいな批判の文書が
だされてたでしょ。関ヶ原の時に。 やってることは秀吉と変わらん
秀吉が天下の簒奪なら家康も天下の簒奪 家康は豊臣政権を運営していた家康から天下を奪ったとは言えるね 秀吉も織田政権を運営してた秀吉から奪ったと言える
清須会議の宿老合議制なんて極僅かで会議直後から秀吉は細川や蒲生なんかに佐久間や明智の領地を分け与えてるから >>19
なるほど
政権の簒奪ではなく天下の簒奪ですか >>20-21
本人からの簒奪ということですか
比喩ですね 1 慶長3年に起請文を交わして五大老五奉行で結束を誓ったにも関わらず徳川家康がその誓いを破って五奉行の石田三成、浅野長政を追い落とした
2 謀叛の嫌疑をかけられた大老の前田利長が起請文を提出したのになおも追い詰め、芳春院を人質に取った
3 会津征伐の不当性
4 豊臣秀頼成人までは大名への知行加増は行わない取り決めに背き、勝手に諸大名に知行を与えた
5 豊臣秀吉が定めた伏見城の留守居を追い出し自分の家臣を入れた
6 慶長3年9月に五大老五奉行はその他の大名と起請文を交わして派閥形成を行わないと誓ったのにそれを破った
7 北政所を大坂城西の丸から追い出して自分が入った
8 西の丸に本丸と同じように天守閣を建てた
9 諸大名の妻子は大坂に人質として居住することになっているのに、家康が自分と親しい大名の妻子を独断で帰国させた
10 家康私婚問題
11 家康が若い大名を唆して徒党を組ませた
12 五大老全員の連名で命令を出すべきなのに家康が1人で命令を下している
13 源氏の氏神である石清水八幡宮の検地を免除した 西軍はクーデター軍な訳で、この不法組織が出した弾劾状が正当性を帯びる事はない。
もちろん、朝廷なり豊臣家のお墨付きを得れば別だが。
古今東西、クーデター軍は正当性を獲得するために、権力者からそれを得ている。 >>25
五大老同士の争いだからクーデーターとまでは
いえないのでは?? いや、クーデターだよ
定義を調べればすぐわかる
司馬懿のクーデターは、曹爽を追放したが皇帝曹芳を追放したわけではない
お墨付きは伏皇后
タイ軍事政権は、タクシン首相を追放したが、プミポン国王を追放したわけではない
お墨付きはプミポン国王 クーデターの定義は
「既存の支配勢力の一部が非合法的な武力行使によって政権を奪うこと」とある。
西軍の総大将は五大老の毛利輝元で政権当事者の一人だから
クーデターではないよな。 支配階級内部の権力移動を行おうとしているから該当
秀吉死後の体制において、その遺言からも政権運営の主体は家康 >>28
司馬懿の謀反は、皇后の命令が養子である曹芳の命令よりも優先されるって理屈ですね。
この理屈だから、曹芳が仮に戦闘に巻き込まれ戦死したとしても無問題
皇后が、新たに皇族の誰かを養子にして皇帝にすればよい事になる
つまり理屈が皇后>>>超えられない壁>>>曹芳ですね
勿論この理屈押し通すには武力がいりますが
家康は、明らかに秀頼が巻き込まれて死んでも問題ないと言う理屈なので
司馬懿ポジション 伏皇后ではなく、郭太后だな
家康はクーデターを起こしてないからポジションが違うな 五大老3人と五奉行4人からなる秀頼擁した勢力な訳だからなぁ
それだけの勢力が秀頼公儀を手中に収めてる以上クーデターというよりも弾劾に近い 西軍が大阪城本丸に入ったら秀頼を手中に収めたともいえるが西の丸どまり
七手組にも手を回せばよかったのに 政権トップである秀頼が標的ならそれはクーデターだろうが、その秀頼公認で家康が狙いなんだから弾劾だよな 家康から権力移動が起これば、政権を牛耳れるからクーデターだな 公認してないな
むしろ、豊臣家は西軍の謀反を認定しているな 791 名前:日曜8時の名無しさん[sage] 投稿日:2022/05/24(火) 18:28:09.24 ID:P//WFj4c [8/9]
>>786
最近では関ヶ原の後で家康が大名の領地決めた時点で徳川幕府成立とする考えが有力
その時点で家康と領地の給付受けた大名との間で主従関係できたから妥当な見解だな
信長の場合は右大将になって上様と呼ばれるようになってから織田政権発足と言われてる。家康との間もこの期を境に書状が主君と家臣のものに変わったのでそんなもんだろう
室町幕府の場合は建武式目制定時と言われてる
武家政権は実態先行だから開始時期の判定は様々だな そもそもクーデターという概念がない当時の日本の政争を
西軍のクーデターだから家康悪くないとか言ってるのが理解不能なんですけど。 悪い悪くないで言うなら秀吉が一番悪いでFAだろう
東西どちらも秀吉の無責任なやらかしの後始末と尻拭いをしたに過ぎない
全員秀吉の被害者よ、秀頼も含めて そもそも秀頼が産まれなきゃあんなことにはなっていない
産まれるなと言うのは酷だが、秀頼が密通で出来た子なら密通した淀が一番悪い クーデターという概念てないの?平治の乱とかクーデターじゃね? クーデターという言葉が現代用語なだけで、本質的な概念は当時でも当然ある 石田が勝ったら奉行衆が力を持って改易しまくりだろうな
今の物価高て単純に誰か発端がいて、そいつに釣られてみんな上げただけだよな?最初上げた企業どこだっけ?
greta.5ch.net/ /poverty/1653946955/
31 番組の途中です sage 2022/05/31(火) 06:58:49.38 ID:TjXHwZPU0
こんだけ物価上がって生活が直接的に厳しくなってるのに
岸田の支持率が高いのって日本七不思議の一つだと思う
151 番組の途中ですが 2022/05/31(火) 13:47
>> 31
岸田が宰相に就く前の政治に悪性インフレの重大な元凶があると感づいてるからだろ
下手な岸田叩き手法だとそいつらが焼け太りするのがオチだと。
本丸を潰さないとポスト岸田でまた息吹き返す
関白が謀反を企てたから粛清して秀吉が三顧の礼で家康を迎え入れた
家康が来たことで豊臣政権は守られて安泰となった
にもかかわらず舌の根も乾かないうちに三成は同じ主張を繰り返し始めた
つまり関白の時から遡って三成は嘘をついていたということになる
嘘をついて関白を殺したら三成は処刑されなければならない
全ては三成が悪いとしか言いようがない 家康の政権入りが関白謀反後ってのは
明らかな間違いだな
秀次の失脚前から関白に次ぐNo.3で
他の大老と連署という形が打ち出された
失脚後の方が立場が微妙になったさえある >>57
秀次始末した時点で、豊臣一門ナンバー1って家康だよ
秀吉の義弟で秀頼の外祖父予定だし
家康が豊臣家の家政にまで介入できたのは秀次を始末した秀吉のおかげでしかない >>58
秀次始末前でも秀吉の義弟で補佐役、東国取次にして秀次の指南役で秀長死去後は名実ともに政権ナンバー3
秀次が死んで位が一つ上がっただけ >>58
元々太閤に意見できる政権No.2で
次世代でも関白の指南役、補佐役で
その地位は揺らがないはずだった
それを関白粛清後に迎えられた
などと明らかな間違いが書かれてたから指摘した >>61
そうなんですか?
西軍が関ヶ原で待ち構えていたからでは? 家康だけ石高突出させ過ぎた
対北条の後、転封とはいえ、132万石から250万石ちょっとはなあ
朝鮮出兵の後で、豊臣家の支配地(福島ら譜代除く)や直接現地へ行った大名に加増して
バランス取るつもりだったのだろうか? というか政権の屋台骨背負ってもらうつもりだったのが
それだとうまく操れないと思う奉行が覆した 北条征伐って秀頼がまだ生まれてもない時期なので
その時に自分の死後の勢力バランスまで踏まえて考えるのはいくら秀吉でも無理 秀吉からすれば他の大名と一線を画す親戚筋に家康を据えて豊臣政権の安定をはかってたと思う
三成ら奉行の造反で適度な距離が出来たからこそ家康は豊臣を殴れる事が出来た 本来、晩年の秀吉にとって豊臣の脅威は家康ではなく西国大名だった
朝鮮での酷使に不満を覚えて謀反を起こす可能性が高かったからだ
むしろ西国で謀反が起きた場合、鎮圧するには家康の力が必要なので
秀吉にとって家康は脅威どころか重要な抑止力だった
秀吉の誤算は、奉行が権力闘争を起こして西国大名と結託してしまったことだろう
奉行の協力を得れば、西国大名は大規模な謀反を簡単に起こすことができる
謀反を起こせば家康に鎮圧されるぞ、という秀吉が用意した抑止力が機能せず
本当に大規模な謀反が決行される事態になってしまった >>67
これあるかもな
どうも秀吉は毛利を恐れていたのではと
本能寺で追撃主張派抑えてしなかった
天王山で旗貸してくれて秀吉軍には毛利も参加してると明智に誤解させ混乱させる
賤ヶ岳で背後襲わなかった
小牧・長久手でも背後襲わなかった
四国九州征伐に大軍派遣してくれた
朝鮮でこき使われ疲弊させられる
毛利本家に養子送られ乗っ取られそうになる
小早川が乗っ取られた
散々尽くしてくれたのにとくに加増もなくこき使われて養子戦略しかけられる
上杉が転封にしても40万石から120万石に加増
上杉徳川とも毛利ほどの活躍してないのに倍増以上
毛利怖くてしょうがなかったのでは 逆だろ
九州征伐以前は毛利を立てて重要扱いしてたが九州征伐以降は家来扱い その変化は別に毛利だけではなく
全国的に起きてるものだしなぁ まー時期的なのもあるが毛利の場合は九州征伐に取り掛かる段取りからゴタゴタあって九州攻めも期待してたのとは程遠い結果だったしな
結局は豊臣本体の派兵から毛利は使えない子扱いで格下げされたんだよ 関ヶ原の戦いが始まる前に三成を家康が匿うんだが実はこの時に三成が殺されていて影武者三成が家康の言う通り動いて関ヶ原の戦いを起こさせ天下を取る作戦を実行した
初めから仕込まれていたとか 三成は忠義の人
俺が小学校のときの漫画日本の歴史(旧版)ではイケメンやった 映画『関ケ原』は酷すぎた
「文化の進んだ韓国」というセリフで
あまりにも酷すぎるチョンゴリ押しで
とても観ていられなくなって
席を立って映画館を出ていったよ
こんなクダラン映画観るんじゃなかった >>75
逆やで
三成が乱を起こしたんやで
石田三成の挙兵ていうスレを見てみて