【オーロラ】アイスランド Part3.1【温泉】 [無断転載禁止]©2ch.net
中世キリスト教時代を経験することによって、意識は普遍的なものを求める「普遍意志」へとたどり着く。
はじめは自然の中に自己を見出そうとして、ただ観察するだけであったが、やがて自己の信ずる理性的秩序を見出すために積極的に行為し始める。
それは個と普遍を統合する試みであり、理性は自分の納得だけではなく、万人の納得を求めようとする意識へと成長する。 あらゆる対象は意識の場面において経験されるので、その外側を考える必要はなく、意識に現れる対象を自分が「どう了解するか」のみを問題とすればよいのだ。 真理を求める学ではなく、普遍性を求める学であり、他者と共通了解しうる本質を探究する。 最初に直観された不確かな意味を、誰もが納得できる本質へと練り直す。 自分を見つめる他者の眼を通して第三者を意識すれば、他の多くの人々との関係をも考慮した、対面している他者のみを特別視しない公正な判断が必要だと感じられる。 行動を選べる以上、そこには自由が存在する。ただ人間はある状況にあらかじめ投げ込まれているため、その状況を否定し、超え出ようとすることこそ自由にほかならない。 ある意味でコミュニタリアンの主張は半分当たっている。彼らは、人間がアイデンティティを獲得する上で共同体の承認を必要としていることに気づいているからだ。 多様な他者を想定し、彼らが納得するのか否か考えてみること。それは中立的な立場に身を置いてみること。 人々はお互いの論拠を示しあい、理性的な合意に向かおうとするときには、平等な発言機会と自由が保証された「理想的な発話状況」を想定しながらふるまうものだ 私たちは自分の意志で、他者の承認を介して価値の普遍性を求めていく。それはとりもなおさず、自己の存在価値に普遍性を求めるということでもある。
だからこそ私たちは社会という共同体を必要とするのであり、それは単に自由を守るためというだけではなく、社会の中でこそ自由への欲望が自己の存在価値の確信へとつながり得るのである。 中世キリスト教時代を経験することによって、普遍的なものを求める普遍意志へとたどり着く。
はじめは自然の中に自己を見い出そうとしてただ観察するだけであった。やがて私的な欲望と社会制度を結び付ける考え方を求めて積極席に行為し始める。
それは個と普遍を統合する試み。理性は自分だけの納得ではなく万人の納得を求めようとする意識へと成長する。 自分を見つめる他者の眼を通して第三者を意識すれば、他の多くの人々との関係をも考慮した、対面している他者だけを特別視しない公正な考え方が必要だと感じられる。 真理を求める学ではなく、普遍性を求める学であり、他者と共通了解しうる普遍性を探究する。 最初に直観された不確かな意味を、誰もが納得しうる本質へと練り直す。 行動を選べる以上、そこには自由が存在する。ただ人間はある状況にあらかじめ投げ込まれているので、その状況を否定し、超え出ようとすることこそ自由にほかならない。 多様な他者を想定し、彼らが納得するか否か考えてみること。それは中立的な立場に身を置いてみること。 人々はお互いの論拠を示しあい、理性的な合意に向かおうとするときには、自由と平等な発言機会が保障された「理想的な発話状況」を想定しながらふるまうものだ。 ある意味でコミュニタリアンの主張は半分当たっている。彼らは個人がアイデンティティを獲得する上で、共同体の承認を必要としていることに気づいているからだ。 あらゆる対象は意識の場面において認識されるので、その外側を考える必要はなく、意識に現れる対象を「自分がどう了解するか」のみを問題とすればよいのだ。 あの位置だと影響は少ないけれど空港は心配。10年前はEU圏内結構くらったでしょ? https://www.afpbb.com/articles/-/3367004
アイスランドの噴火、6か月目に突入 ここ50年で最長
2021年9月19日 18:43 発信地:ファグラダールスフィヤットル/アイスランド [ アイスランド ヨーロッパ ]
https://www.afpbb.com/articles/-/3367020
動画:アイスランドの噴火、6か月目に突入 ここ50年で最長
2021年9月19日 21:09 発信地:ファグラダールスフィヤットル/アイスランド [ アイスランド ヨーロッパ ] 毎日と言っていいほどウォッチしてるけど8月中旬ころから噴出量減ったね。 そろそろオーロラも見えるんだよな。
溶岩流とオーロラ。行きてー。早くコロナ収まれ。 私たちは自分の意思で、他者の承認を介して価値の普遍性を求めていく。それはとりもなおさず、自己の存在価値に普遍性を求めるということでもある。
だからこそ私たちは社会という共同体を必要とするのであり、それは単に自由を守るためというだけではなく、社会の中でこそ自由への欲望が自己の存在価値の確信へとつながりうるのである。 中世キリスト教時代を経験することによって、意識は普遍的なものを求める「普遍意思」へとたどり着く。
はじめは自然の中に自己を見出そうとして、ただ観察するだけであった。やがて自己の信ずる理性的秩序を見出すために、私的な欲望と社会的制度を結びつける考え方を求めて積極的に行為し始める。
それは個と普遍を統合する試み。理性は自分だけの納得ではなく、誰もが納得できる普遍性を求める意識へと成長する。 あらゆる対象は意識の場面において経験されるので、その外側を考える必要はなく、意識に現れる対象を「自分がどう了解するか」のみを問題とすればよいのだ。 哲学は真理を求める学ではなく、普遍性を求める学であり、他者と共通了解しうる本質を探求する 最初に直観された不確かな意味を、誰もが納得しうる本質へと練り直す 自分を見つめる他者の目を通して第三者を意識すれば、他の多くの人々との関係をも考慮した、対面している他者のみを特別視しないような公正な判断が必要だと感じられる 多様な他者を想定し、彼らが納得するか否か考えてみること。それは中立的な立場に身を置いてみること 人々はお互いの論拠を示しあい、理性的な合意に向かおうとするときには、自由と平等な発言機会が保証された「理想的な発話状況」を想定しながらふるまうものだ 行動を選べる以上、そこには自由が存在する。ただ人間はある状況にあらかじめ投げ込まれているため、その状況を否定し、越え出ようとすることこそ自由にほかならない ある意味で、コミュニタリアンの主張は半分当たっている。彼らは、個人がアイデンティティを獲得する上で共同体の承認を必要としていることに気づいているからだ アイスランド大学のキャンパスを散策すると、結構な確率で日本語話せる学生に出会うので驚く こんなとこ住むから変にコミュニティ前提になるんだよ 東南アジアや東欧から出稼ぎに来てる人が多いね。夏季は学生なのかな
地元民よりポーランド(ハンガリーだったかも)人のほうが多く住んでる漁村なんかもあった 何年か前に一輪車で島を一周した日本人がいたらしくて、レイキャヴィクやアクレイリで
しばしばその噂話を聞かされた 日本に関するステレオタイプは嘘だった!アイスランド人が日本に来て驚いたこと【カルチャーショック】
https://www.youtube.com/watch?v=sgCgSihkx4g アイスランド往復航空券予約した。
来年の夏だけど。まだ火山噴火し
てるかな? レイキャビクの南の噴火なら数ヶ月前に収まったんじゃない?でもなんで夏?オーロラとか興味なし? オーロラ目的で晩秋と初春で2回行ったから、次
は内陸ハイランド回ってくる。それとパフィンに
会いたいんよ パフィン
俺は、北西部しか行けず、そこで見たけど、内陸部じゃなく海岸にしかいないでしょ。 ホテルで出されたから食った。ルンディとかいうんだったかな?スーパーでも肉のコーナーで売ってたよ