こんばんは、ヘロドトスです
「世界史序説」のイブン=ハルドゥーンと
「集史」のラシード=ウッディーンか 中華だと
司馬遷:「史記」
司馬光:「資治通鑑」
あたりがメジャーなのかな。清代だと趙翼とか?
ツキジデスの生真面目な性格に対して
このオッサンは相当なヤマ師だな。
おそらく講釈師みたいな人物だったんだろう。 >>9
エドワード・ギボンは徳川家斉の治世まで生きたから、
ちょっと最近すぎない?
人間の運命は車輪のようなもので、くるくると廻りつつ、
同じ者がいつまでも幸運であることを許さぬものです。
ヘロドトス「歴史」第一巻 207
というかヘロドトス=司馬遷。
理由は書き出しの文章がほとんど同じ。 そろそろ現代日本も明治、大正、昭和の前代の記録を編纂、以後も元号が変わるたびに前代の記録を編纂して正史として残す作業をするべきじゃないかなあ。 >>24
歴史家は大概偏狭で怨念持ちが多いよな。
その中でも突き抜けた奴が後世まで語られるような著書を書くわけだが。 >>25
元号みたいな天皇一個人の都合よりは、
天皇・皇室全体のあり方によって正史を残した方がよい。
明治以前から、昭和20年まで、
昭和20年から、それ以降。
天皇の地位・権限が全然違うから、
明治から昭和20年までを一区切りとして、
正史を作ればよろしい。
女系を認めたり、
旧伏見宮系統の天皇を認めるとすれば、
一種の王朝交代であるから、
昭和20年からそのときまでの正史を作るのもいいな。
>>26
悟りきった人は、書物にしないな。 「ちょっと0が多くてもいいよねー。そのほうが楽しいしー。」 中世ヨーロッパでは「年代記」が多いからね。
それを取捨選択する「歴史学」が成立したのは比較的最近。
ヘロドトスはかなり広範囲を見て歩いた形跡があるし、与太話だと自分でも思いながら記した逸話が後世に事実らしいと認定された事例もある。
フェニキア人のアフリカ周航は、西に向かってるのに太陽が右手に見えたって報告を信用ならないと言いながら収録。後に南半球ではそういう現象が起こることからアフリカ周航も事実と考えられるようになった。
アテナイオスやアイリアノスみたいに適当なこと書いてるように見える著述家も舐めてはいけない。 ■ニーダーザクセン政変(1200年7月7日)■
バルザック家を追放しニーダーザクセン公爵をついだランドルフ家であったが、旧バルザック派
および財閥の取り込みに失敗し領内を十分に掌握できなかった。
旧バルザック派筆頭であるヘンリー・ローレンスはランドルフ家を追放しウェストファーレンの騎士で
あったヤークト・バルザックを公主に迎え、実権を掌握しよう企てた。 ■ニーダーザクセン政変(1200年7月7日)■
バルザック家を追放しニーダーザクセン公爵をついだクラウス・ランドルフであったが、旧バルザック派
および財閥の取り込みに失敗し領内を十分に掌握できなかった。
クラウス・ランドルフが他界し子のペイトン・ランドルフが兄弟との争いの末後を継ぐとランドルフ家は
大幅に弱体化した。
旧バルザック派筆頭であるヘンリー・ローレンスはランドルフ家を追放しウェストファーレンの騎士で
あったヤークト・バルザックを公主に迎え、実権を掌握しよう企てた。
ヘンリーは同志を集め議会の制圧を計画すると共に、ヤークトに密使を送り、ザクセン入りを承諾させた。
一方、ヤークトはヘンリーのクーデター計画の成否にかかわらずランドルフ派と一戦交えることが
できるだけの戦力を整えザクセン入りに備えた。
7月5日にヤークトの嫡子ヨハンおよび寵臣ルーシー・ウェールズの先発隊がザクセンの国境を越えた。
国境警備兵は一切の抵抗をせずこれを通した。 ■■ニーダーザクセン政変(1200年7月7日)■■
オノレ・ド・バルザック公の崩御によって公主家は断絶した。名門クラウス家の出て
ニーダーザクセン公爵をついだクラウス・ランドルフであったが、旧バルザック派
および財閥の取り込みに失敗し領内を十分に掌握できなかった。
クラウス・ランドルフが他界し子のペイトン・ランドルフが兄弟との争いの末後を継ぐとランドルフ家は
大幅に弱体化した。
旧バルザック派筆頭であるヘンリー・ローレンスはランドルフ家を追放しオノレ・ド・バルザックの従兄でウェストファーレンの騎士で
あったヤークト・バルザックを公主に迎え、議会を掌握しよう企てた。
ヘンリーは同志を集め議会の制圧を計画すると共に、ヤークトに密使を送り、ザクセン入りを承諾させた。
■■ニーダーザクセン政変(1200年7月7日)■■
オノレ・ド・バルザック公の崩御によって公主家は断絶した。名門クラウス家の
出でニーダーザクセン公爵を継いだクラウス・ランドルフであったが、議会の
旧バルザック派および政治的影響力を持つ大資産家の取り込みに失敗し領内を
十分に掌握することができなかった。
クラウス・ランドルフが他界し子のペイトン・ランドルフが兄弟との泥沼の争い
の末に強引に後継者となるとランドルフ家の名声は地に堕ちに大幅に弱体化した。
旧バルザック派の有力者であるヘンリー・ローレンスはランドルフ家を追放し
オノレ・ド・バルザックの従兄でありウェルトファーレン国、ハイデ太守である
ヤークト・バルザックを公主に迎え、議会を掌握しよう企てた。
ヘンリーは同志を集め政変によって議会を掌握することを計画し、ヤークトに
密使を送りザクセン入りを要請した。
■■ニーダーザクセン政変(1200年7月7日)■■
オノレ・ド・バルザック公の崩御によって公主家は断絶した。名門クラウス家の
出でニーダーザクセン公爵を継いだクラウス・ランドルフであったが、議会の
旧バルザック派および政治的影響力を持つ大資産家の取り込みに失敗し領内を
十分に掌握することができなかった。
クラウス・ランドルフが他界し子のペイトン・ランドルフが兄弟との泥沼の争い
の末に強引に後継者となるとランドルフ家の名声は地に堕ちに大幅に弱体化した。
旧バルザック派の有力者であるヘンリー・ローレンスはランドルフ家を追放し
オノレ・ド・バルザックの従兄でありヴェストファーレン国、ハイデ太守である
ヤークト・バルザックを公主に迎え、議会を掌握しよう企てた。
ヘンリーは同志を集め政変によって議会を掌握することを計画し、ヤークトに
密使を送りザクセン入りを要請した。
ヤークトはこの要請を承諾。ヘンリーのクーデター計画の成否にかかわらず
ランドルフ派と一戦交えることができる戦力を整えザクセン入りに備えた。
7月5日にヤークトの嫡子ヨハンおよび寵臣ルーシー・ウェールズの先発隊が
ザクセン国境に迫った。すでにバルザック派に買収されていた国境警備隊は
これを阻止するどころか部隊に加わるありさまであった。
この事実を知ったペイトンはバルザック派に譲歩を示したがすでに手遅れだった。
さらにハイデ軍を迎え撃つべく軍に召集をかけたがザクセン軍内部対する不服従が
広がり、彼らはハイデ軍と戦おうとはしなかった。
ペイトンは忠誠を誓う直轄軍のみをつれてランドルフ家の基盤である南部アルスター
へ向かい軍の編成を急いだ。 一方、首府ハノーファでは権限をめぐってルーシーとヘンリーの確執が始まる。
特にルーシーによるヘンリー派の支持基盤である資産家の切り崩し、懐柔が始まると対立は決定的となる。
占領軍と議会ヘンリー派との不和を知ったペイトン軍は直ちにハノーファへ向かう。 ペイトン軍とハイデ軍はドニエプル側で激突するが、兵員数、装備、経験に勝るハイデ軍が一蹴する。
ただし追撃も行なわなかったためペイトン軍の損失はわずかであった。
ルーシーは極めて寛大な条件でペイトン派を懐柔。
7月27日。土地、財産はほぼすべて保障されることを知るとペイトンはあっさり和睦した。
1200年8月3日。ヤークトの戴冠式が行なわれると共にヘンリーは宰相に任ぜられる。
しかしたった2ヵ月後には地位をルーシーに奪われることとなった。 一方、首府ハノーファでは権限をめぐってルーシーとヘンリーの確執が始まる。
特にルーシーによるヘンリー派の支持基盤である地主、資産家の切り崩しおよび
懐柔が始まると対立は決定的となった。
占領軍と議会ヘンリー派との不和を知ったペイトン軍は直ちにハノーファへ向かう。
ペイトン軍とハイデ軍はドニエプル側で激突するが、兵員数、装備、経験に勝るハイデ軍が一蹴する。
ただし追撃も行なわなかったためペイトン軍の損失はわずかであった。
ルーシーは極めて寛大な条件でペイトン派を懐柔。
7月27日。土地、財産はほぼすべて保障されることを知るとペイトンはあっさり和睦した。
1200年8月3日。ヤークトの戴冠式が行なわれると共にヘンリーは宰相に任ぜられる。
しかしたった2ヵ月後には地位をルーシーに奪われることとなった。
ルーシーは軍と治安部隊の分離、法治主義の徹底、私有財産の保護などを行い体制の安定化に努めたが、
子飼いの者を治安部隊、諜報機関に集中的に配属したため対立者からは監視社会の専制者として嫌われた。
ヘンリー派は保守党、ルーシー・ペイトン派は中央党の基盤となった。また左派は独自に人民党を興して議会を三分していくこと
となるが、その後も長らくルーシー専権時代は続くこととなった。 ルーシー・ヴェールズ
ニコシア・アークライン
アウル・モーデル
ヤークト・バルザック
ヨハン・バルザック
バロン・パプリカ
グランド
ド・ジッター
トレンド
ルメートル
ヘンリー・ローレンス
ペイトン・ランドルフ
オノレ・ド・バルザック
クラウス・ランドルフ
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/9/0282990.html
ヘロドトス 『歴史』 ―― 世界の均衡を描く ――
中務 哲郎
■体裁=四六判・上製・カバー・198頁
■定価 2,205円(本体 2,100円 + 税5%)
■2010年8月25日
■ISBN978-4-00-028299-4 C0310
人間のなした出来事が忘れ去られてしまわないように──
ヘロドトスを世界旅行へと駆りたてたのは,人間の営みの総体を探究(ヒストリエー)したいという渇望であった.
「歴史の父」を創りあげた知的風土,トゥキュディデスら後世の歴史家との比較,
世界の伝説・昔話との関連もふまえながら,
この最古の歴史書の独自の構想力と豊饒な物語世界を読み解く.
ヘロドトスー「歴史」
読んでたら面白い。
・東方の砂漠に住む印度人は男性が病気になると
知人数人で殺して食べる。
・エジプトで、高貴な美しい女性が死ぬとをミイラ業者に
処理をいらいするが、その業者が死体を犯す。
・エジプトの王は自身の墓つくりの費用捻出するために
娘(王女)に売春させた。
などなど面白い話がたくさんあるぞ。
・黒人の精液は黒いなんて書いている。
これはウソだろ、人種差別的なニオイ少々。 ・ある国ではSEXを人目をはばかることなくへいぜんと
白昼堂々と行う。 Хр?стoсъ воскрeсе! Воистину воскресе! 256名無しさん@恐縮です2022/04/18(月) 22:01:24.78ID:Vcg7QQv50
武井壮“千羽鶴批判”ひろゆき氏の発言は「あくまで一意見。受け取って嬉しい人もいる」
https://news.yahoo.co.jp/articles/98050c09057f4cf6db3072f5951aab211ed7fc31
【芸能】武井壮「ウクライナ大使館への千羽鶴」を巡りひろゆき氏に反論 [フォーエバー★]
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1650681009/-100
1フォーエバー ★2022/04/23(土) 11:30:09.46ID:CAP_USER9