【第三の眼】松果体を鍛えてみる 9【チャクラ】
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トーラスは球と違って中心に穴が通っている。
この穴が何に由来するのかというと、それは重心線。
エネルギー場が重心線に完全同調すると球からトーラスに進化していく。
ヨガで言うとクンダリーニの上昇、仙道だと真通の段階。
ただ、エネルギーの上昇はトーラス構造の形成に伴う現象の一つに過ぎない。
重力の受容構造の中心である重心線は、重力作用と抗重力作用の止揚で形成される。
これを上から見てトポロジー的に簡略図示化すると太極図になる。
それを相転移で三次元化するとヨガのピンガラ、イダー、スシュムナー或いは
仙道の任脈督脈図に対応していく。
さらに四次元化するとトーラスになる、可視的な表現では三次元立体になるが
あの曲線はエネルギーの流れと同化した空間の曲がりを表しているので四次元から
の俯瞰図になる。
だから気の進化のためのワークのプロセスは、表層の意識を消して体性感覚で
重力線の持つ太極構造に同調する、すると外部の気とつながり太極の気が
内部で循環し始める=クンダリーニ、真気発動。
これはエネルギーではなく、エネルギーと空間の融合した上位構造。
体内を循環しながらまず重心線に沿って柱を作る。
これがドーナツの中心で、空間でありエネルギーの柱でもある。
最初に太極の気の引き込みと同調に成功したら、後は自動的にトーラス
の形成まで行く、トーラス場が完成してその場に完全に意識が同調したときに
出現するのが丹光、この時には気の場もそれを受け止める感性も相互変容
している、光はトーラス構造の反映でエネルギーであり空間であり情報でもある。
受容する方の感性も変容していて既存の五感を超えた感覚と意識と無意識が
融合した変性意識で光を受け止めている、それが本当の内的光、丹光体験。
これらのプロセスはある肉体的特徴の変化を伴うのでそれで判断できる。 ■ 物理空間と情報空間(科学的説明)
【目を瞑り酸っぱい青林檎をイメージしてください】
脳内は確実に青林檎が在り舌奥で唾液が出たと思います
しかしその青林檎は食べる事も触れるも出来ません
「存在するが3次元では実在しないモノ」
その時間と空間の概念がない4次元が「情報空間」です
私たちはドーナツの内部の情報の海に浸されて泳ぐ魚です
回転するブラックホールへ落ちる情報を観測するロボットです
【さぁ 次は回転するドーナツをイメージしてください】
脳内は確実に外部で泳ぐ魚の視点です。
これが4次元を捉える「実在」の正体なんです。
5次元が想念世界と気がつきます。
3次元の俺「ああ、今日も猿として目が覚めたわw 会社メンドクサ」
↑(もっと耐えてみろよw) ↓(キツいよ)
4次元の俺「なんかこの文明を変えらんと 生きづれぇなぁ」
↑(どういうメインクエが) ↓(バランス変えてよ)
5次元の俺「ハードモードでゲームしてぇ」
この誤差が意識なんです。
つまり「意識」とは(3次元+4次元+5次元)/ 3 の誤差なんだ
本体は4次元と5次元に存在していたよ。
皆がその誤差に気がつき4次元に近づけば歴史は終わる。戦争も飢餓もなくなる。
少なくても俺は4次元と5次元にいる俺とアクセスができている。
いいか能力者のお前ら 大事な話だよく聞け!
「選択」を司って人間の行動を理解・予測する為の直感プログラム。
未来が確定しているから預言は可能になる。しかしだ!
俺は確定している未来=運命を信じるなと敢えて言おう。
お前らが体感しているものの逆はなんなのだ?
「恐れない」
平穏を装った外見のすぐ下に完全に抑制を失った我々がいるのだ。
コントロール不能。それが真実だ。因果律だよ。
そこから逃れる術はない。我々は永遠にその奴隷なのだよ。
我々の唯一の望み、そして唯一の攻略はその恐れない理解、理由の解だ。
宇宙(無)が欲しているもの真の自由とは 「恐れのない委ね」
その先に能力を開花させる道が在る!と言おう! 皆様の投稿をテンプレにさせて頂きました。
これからも投稿して頂けますこと願っております。 参考にしてくれてありがとう。
お礼に簡単な実践方法を書いて置く。
朝起きた時に寝床で仰向けのまま行うと良い。
簡単だが驚くほど心身が変化して太極の気の感覚がつかめる。
「丹田呼吸」がその入り口なのだが、丹田呼吸というのは腹部呼吸ではなく
横隔膜の完全稼働呼吸、いずれ人類はこの呼吸法にたどり着くだろうが
前倒しで身に付けるとその時に起きるであろう生理的進化を
引き寄せることが出来る。
仰向けになって両方の鼠径部に意識を置きながら息を吐く。
この時、両側腹部が緊張しながら下腹に力を伝える。
腹部の中心部は力を抜いて動かさない。
側腹部が伝える力が恥骨付近に集まる。
息を吸うときはその力を骨盤の後ろに逃がす感じ。
吸気とともに「反動で」腰背部にヘソ下まで吸気を入れる。
呼気をきちんとやると吸気は自然に起きる。
これが「丹田呼吸」で、腹部の筋肉でなく横隔膜周縁を活性化させる呼吸。
服式呼吸から入って気の感覚が判りより多くの気を集めようとすると
自然にこの呼吸法に辿り着く。
呼吸法が出来るようになったらこれに数息観を乗せる。
吐くときに「イー」で吸うときに数の後半「チー」以下同じ。
するとヘソ下周天+数息観のような形になる。
数息を同時に行うのは数に意識を乗せることで言語とイメージの想起を
少なくして気の感覚の入り口である体性感覚に集中するため。
最初はこれを10から30回やる。
このワークは意識的に無から有を作り上げるモノではなくもともとある仕組みを
引き出す、思い出すものなので回数より感覚の出現を優先する。
丹田呼吸の数息観を終えたら、自然呼吸にして観察するように腹部に意識を向ける
すると腹部はあまり動かずに肋骨下部周辺が活性化しているのが判る。
最初は部分的あちこちだがそのうちにつながって暖かな温感を伴った緩めの
スライムのような感触になる、これが鳩尾から気を引き込んだ状態。
やがてこの気感はゆっくりと会陰まで降りていく。
会陰まで降りたらここで留める、会陰の弛緩を維持すると
やがて弛緩性だが強い快感が下半身を包み込む。
この快感が陰陽が循環する太極の気の気感、陽気だけだと熱感になる。
陽気だと周天して太極の気に変えなければいけないがこちらはそのまま使える。
会陰を緩めながら快感に浸っているとやがて肛門が自動的に伸縮し始める。
これがクンダリーニの覚醒、簡単すぎる?
クンダリーニ=先天の気=個を超えたすべての気は幅があって
受容者の性質に応じてその姿を現す。
陽気(エネルギー)強化に特化した行で引き込めば陽気が暴れる姿を見せるし
陰陽融合した太極の気として引き込めば穏やかな姿を見せる。
もともとは陰陽融合した太極が本来の姿、陰陽というのはエネルギー原理と
空間原理のこと、なのに一部の行はそれからエネルギー形態だけを
引き出そうとする、だから成功者が少なく危険とされているんだね。
太極の気として引き込む方が簡単で扱いやすい
穏やかなままで強化すればよいだけ。
肛門が自動的に締まるようになったら同時に振動が生じて温感、振動、快感が
融合した気感に変化しながらヘソと仙骨を結んだ線の後ろ三分の一の所に落ち着く
この気の感覚が「腹脳」この覚醒によって気と五感、意識と無意識
個と全体、が結びつき、トーラス場へ進化する準備ができる。
朝起きた時にここまでやっておけばあとはそれなりに進化していく。 >1さん スレ立てありがとうございます
前スレから読ませてもらってます
とても興味深く、ありがたいです
時間あるときは前スレ以前までさかのぼって読んでます
難しいですが、勉強になります
スレ住民の皆さん、本当にありがとう 超越的神秘行で一番強力なのは「性の原理」を利用したもの。
これは皆体験的に何となく判るから、普通の呼吸法や瞑想法を試して
さらに先を求める連中の一部はそちらへ行く。
ある意味正解なんだが、より深く求めると直接的な性行為とは
関係ないところへ着地する、皆、ここが判っていない。
性行為を抽象化すると陰陽合一の理に辿り着く。
ただ陰陽合一の理まで原理化してしまうと性的エクスタシーの方は忘れて
取り澄ました議論を始めてしまう、これもまた誤り。
性行為を体感的に抽象化していくと緊張弛緩の感覚の合一によるエクスタシー
になる、これが超越的神秘行の真の実践原理。
元々この原理は「性行為」などという小さな枠に収まるモノではないのだが
肉体的感覚の強さがその解放の邪魔をしている。
だから真に才能のある人間が真剣にその方向に真理を求めると
結局「性行為」そのものからは離れるようになっている。
高藤総一郎氏は自身の房中術の本でそういうことに触れている。
>6の方法は、究極の独り房中術であり、タントラの原理
そしてゼロポイントパワーを引き出す方法でもある。
タントラの元々の意味は「拡げる」という言葉から派生したらしいが
ゼロポイントからパワーを引き出すアプローチは気を緩める、広げる
ことから入っていく。
この緊張弛緩同時からのゼロパワーの引き出しは、実生活の中で体感しやすく
実社会の中で特出した能力を示す人達の中にはこれを無自覚、限定的に
使っている人たちがいる。 伝統の、何千年も続いてる
独習と違うらしいよ
本気なら大乗の壮大な救済プロジェクトに参加し直接任命され活動したほうがいいかも 肛門括約筋の緩み、50歳を超えつい実が出てしまう
ゼロポイントから吐き出したWHたる丕事象
パンツを洗う修行こそ 魂を磨く清らかな行為
トーラス中心部の不順は老齢と共に起こる因果なのだ! 瞑想しない、座らない、祈らない
朝、起きぬけに、仰向けのまま布団の中でゴソゴソして気持ちが良くて
その気持ちの良さに従って生きるだけで次元上昇
これならおじいちゃんでも出来るよ。
意識脳がドーパミン系の快感原理(五感で認知される世界に縛られる=閉鎖系
=球状生体場の力学)に従うのに対して
腹脳が感じ取る太極の気感はセロトニン型快感原理(エネルギー共感型)
従いトーラス場の解放系である。
人類が次元上昇しているらしいが、どうすんべ、というとき
一番簡単なのは、快感原理を閉鎖系(自我執着)から解放系(他者共感)に
転換してそれに従う こと。
苦労して修行したい人には抵抗があるかもしれないが
種の進化を導くのは新しい快感原理。
仏教では進化系快感のプロセスを喜、楽、悦、というが
頭の理解による精神的安定でなく、脳内快感物質によるエクスタシーだったら
誰もが喜んで従う。
緊張させるのは有限だが、緩めるのは無限。
1から0へ向かうとして、0.1→0.01→0.001と無限に0に寄せて緩めていける。
限界まで緩めて意識の枠を外した時に全方位からバランスよく緊張=円が
戻ってくるが、円周率が無限であることが示しているように
真円へ至る過程もまた無限である。
量的な無限は横拡がりだが、有限の微細の中にある無限は次元の壁を超える。
突き詰めると物理学の最微小→素粒子の世界に入り込むから。
緩めることには限りがないからゼロポイントパワーにつながる。
それは強いエクスタシーを伴って人類という種を導く
後に「全人類ゆるゆるクンダリーニ発動」と呼ばれる現象である、かも知れない。 こちらの方が従来の集中型の行より超簡単なのだけど
皆あまりやらない、というか出来ない。
それはなぜかというと「意識の壁」があるから。
経験の積み重ねによる「これが自分」という意識が無意識に自分を取り囲む
球状場を形成して意識が無限に拡がるのを妨げる。
釈迦が最初にやったのは苦行を通じて球状場の電圧というかエネルギーを
高めるものだった。
今でも多くの人がやっている行はヘソ下の下腹に起を溜めてそれを拡大
球状のオーラ場を強化、それにより低電圧では得られない様々な能力を
得るというもの、仏陀もそこは極めたが彼の目標とする解脱は得られなかった。
本当に自在になるためには意識をトーラス場に移行する必要があった。
それで出てきたのが、中道とか四念処八正道などの現意識から離れる方法。
これで球状場の壁を薄くして四禅定でトーラス場に移行するそこが「空」=全て
=自在な世界、方法論は後からまとめられたようだが
このプロセスを経ていると思う。
ただ小乗と大乗に分離したその後の仏教を見ると
釈迦が示した俯瞰図は誤解されているようだね。
ただこういうのは超越的神秘行の方法論的一瞥現象。
全ての条件のそろった人間が一度頂点を示す。
人類が進化して多くの人間の生理的、意識的レベルで条件が揃ったとき
一斉に種の進化現象として花開く かも、だったら良いな。 いつも参考にさせて頂いてます
伝統的行法とは違う新しいアプローチなのでしょうか(^^)
詳しくないですが
これならどこにも所属せずその場にいながらに誰もが繋がれますね カルマが浄化されると幸運なことが起こる
例えば体の一部を失う不幸があると運命に伴侶に出会う
とかね
だからカルマを浄化させて奇跡を起こしたい
奇跡級の幸運には菩提心が有効
この現象は長文氏の詳細な分析の中で語られてますかね
菩提心の持つ浄化力 奇跡
例えば失われた内臓の機能が復活する
病気が治る
など
神様が病気を治すケースもある 私は今のところ従来の集中型しかやってない
それ以外のカルマ浄化の方法を教えておくんなましm(__)m
カルマが浄化されれば奇跡が起きます...
それとも奇跡は起きずとも執着がとれ幸せになるのでしょうか 人類は文明に司られ進化・次元上昇する
文明なく進化・次元上昇するのは人類ではなく、なんという種族なのじゃ?
生まれ持った縁が違う
人類は文明に司られているから宇宙人由来の縁 こういう場所で議論するのは難しいよね。
それぞれが使う概念の拡がりが違うからね。
文明、と言うとき、それは何を指すのだろうか
たぶん多くの人が、概念化して共有できる形式知で体系化されたパラダイムの総称を
指しているのではないかな。
だが知の継承の仕方はそれだけではない、暗黙知と言って意識化されない
領域があって文明というのは成熟するとこの部分が強固になる。
文明が形式知の伝達だけでは発達しないのはこの辺だね。
この暗黙知というのは人間の生理的機能やそれと関連する無意識的領域
それらを生み出す環境と密接に結びついたモノ。
長くなりそうなので結論だけ言うと、もし人類に宇宙人由来の高度な文明が
用意されていたとしてもそれを受け入れるにはもう少し「生理的に賢く」
なる必要がある、今ココ、という感じかな。
形式知で宇宙文明はこんなに素晴らしいだから従え、と言っても
まだアレルギ反応を示すだろうね。
縁があっても積み重ねた豪=錯誤、無知が薄まらないと果に結びつかない。
この部分は自力でやらないとダメで、そのための知恵と方法は
自分たちで模索しないとたぶんダメ というか、その辺を試されている 的な? そらそやろ
それこそ単語を知っただけの小中学生から、
ガチの専門家や、素人ながらに数十年だらだらと考えている連中も、
知識0から100まで全てをひっくるめての殴り合いやし。
そやから便所の落書きなんやで。
自分なりに使えると思うものは拾って、自分でまとめて納得して、
「それが正解かどうか」や「大多数の意見はどうか」なんてのは何の意味もない。
だから匿名やねん。
真面目に話したかったり、議題を前に進めるための議論なら少なくとも半匿名以上でやる。 暗黙知の領域にそういう認識があって、必要さえあれば
言葉として自然に出てくる、そういう人達と話をしたいね、匿名で。 えっと独言で・・・。
地の時代がそうだった、とか言う気はないが今までのスピリチュアルは
人間は肉体的存在に限定されたものではなくエネルギー的な拡がりを持っていて
その側面を利用して肉体を超えて自由になったり超能力を発揮したりするといったもの。
イラスト表現にしても肉体を中心に球状のエネルギー場が囲んでいて
そこから拡がるように色違い、あるいは薄く円が重なる。
中心の円が幽体で外側の円が霊体とかそれ以上という解釈。
だんだん薄くしてあるのが自由度の表現か。
最近になって球状場とトーラス場を重ねるイラスト表現が増えてきた。
このトーラス場の追加は、非ユークリッド幾何学や近代物理学の認識を
無自覚に空間表現の可能性として取り入れられているように思う。
実際には、球状場だけで表現された「場」の構造とトーラスを使用した
「場」ではコペルニクス的転換に匹敵するぐらいスピリチュアル的パラダイムが
異なってくる。
球状場はエネルギー形態だけで論じることが可能。
しかしトーラスになるとあの構造自体にエネルギと空間、そして情報が
三位一体になっている、最初から切り離すことができない。
そしてその関係性が仏教でいうところの空になる。
長くなるので端折る、そして私見だがこのトーラス場の
構造理論と体験、実践法をキチンと表現したのが唯一原始仏教だけ、と思っている。
これからのスピリチュアルはエネルギーと空間、情報の統合的パラダイムが
中心になる、エネルギー論的スピリチュアルから「空」=三位一体ゼロポイント
に転換する。
なんか難しそうだと思うかもしれないが、現代の一般人の方が
昔の知的な人間より普段扱う情報量が桁違いに多い、そして日常の情報の中に
最先端の物理学のパラダイムが暗黙知として刷り込まれている。
知的な理解力という意味では現代人は下地が出来ているかも。
もしかしたら一部で言われているようにインターネットを中心に
本当のスピリチュアルへの転換が始まる かも。 文明は、マズローの欲求5段階の充足を果たしてくれるもの 進まれている方の法話は意識への影響力がありますm(__)m >もしかしたら一部で言われているようにインターネットを中心に
本当のスピリチュアルへの転換が始まる かも。
人々の奥深い認識されていない領域での大いなる動きなんでしょうかね
意識されている部分でいえば多くの人は欲と良心を中心に動かれていると思われます
その良心は菩提心まで到達しない...また菩提心に出会っても一時的な感銘しかない...これまで積んだカルマがありその解消任務があり、またそれまでの習性があるゆえ...
どうして人々は菩提心が芽生えないか不思議だったけど、仏教界的にはそこに種子が関係していたようです
ですので縁ある人、無い人が存在するのだと思います 人類進化を司る高度な宇宙文明?と同じで仏教界・宗教界でも長い長い年月をかけ人々を解脱へ導いている
肉体の年齢じゃ時間が足りないから何度も繰り返し転生してくる いくら崇高な教えを絶やさず代々伝承し続けても種子が植えられていないとその人にとって何も始まらないのかもしれない
それだから十牛図のように悟った者は人の世に降りるのかもしれないです 文明は五段階欲求の枠組みにはなるだろうね。
文明が高度になると欲求はヒエラルキーを作らずに円になるような気がする。
その進化へ向かおうとするのが6番目の超越欲求では。
インターネット情報は人間の暗黙知の領域を刺激する。
たんなる通信手段ではなくたぶん人類の意識構造を変えるモノだと思う。
暗黙知というのは文章の行間のようなもので、異口同音というが
それぞれが違うことを表現していても同じ理解や方向性を示す、そういうことが
インターネットの世界では起こりやすい。
暗黙知というのは知恵だから進化する、単に無意識レベルの感性のカオスではない
インターネットでやり取りの情報量がとんでもなく増えることで
コミュニケーションレベルでの試行錯誤が加速する。
表面上は代り映えのない形式知のやり取りでも
その繰り返しで暗黙知が進化していく。
やがてその積み重ねは生理的レベルで快感原理を転換させる。
これが最近言われている、ドーパミン的価値観からセロトニン的価値観への転換。
同時に生体場認知も球状からトーラスへ意識が移行する。
これがいわゆる次元上昇、人間の意識と生理的基盤がまず閉鎖系から解放系へ
進化する端緒 かもしれない。 https://twitter.com/usohontodayo/status/1458381421035229189
慣れると本当によく寝れる
瞑想はあまり得意じゃないのだが、結跏趺坐で姿勢正して弛緩法やったら
意識落ちてそのまま瞑想にならないだろうかと考えた
オッ意識落ちた!という瞬間が何故か分かるがそこを維持が出来ない
七田式か何かの本に意識が落ちる瞬間に姿勢くずれそうになるので鈴付けて行うとかあったな
鈴の音で意識戻されるという
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 弛緩するときは弛緩を細かくコントロールすることで意識を維持できる。
感覚としては1から0.1→0.01→0.001というふうにゼロに近づけるが
ゼロにしない。
実際には意識で常に緊張しているところを探して意識的に弛緩する。
弛緩が深くなっても必ず緊張部分はある、そこを探しながら意識的に弛緩する
これがゼロに近づけるがゼロにしない感覚、これだと意識が落ちない。
それから筋緊張は雑念と連動する。
特定部位を弛緩させる度にそこと連動する想念が崩壊する。
意識がゲシュタルト崩壊した後、波動化するからそれに意識を乗せると
変性意識に入る。 変性意識=定に入った時の判断は時間感覚。
意識ははっきりしていても想念の流れがないから
何時間経っても5分から15分くらいにしか感じられない。
意識明瞭で30分が3分から5分に感じたら「定」に入っている。
それ以上は座るための筋肉を鍛える必要がある。
最初に30分が5分に感じられたら、いつでも定に入れるようになる。 ついでに>6の呼吸法からの流れを書いておこうか。
鼠径部を意識して息を吐くとき、体の正中線の部分は徹底して力を抜く。
よく座法の時に臍下丹田に力を入れる、というが、この力は筋肉的な力を
脱力した後に鳩尾から降りてくる気の力。
丹田というのは器のようなモノで筋肉の緊張を徹底して抜くと気が流れ込む。
ただその時に降りてくる気感は緊張(求心性)と弛緩(遠心性)の融合した太極の気。
熱感などの求心系の気感に意識を合わせると筋緊張の感覚と
区別が付かなくなってしまう、だから中心部は徹底して緩める。
すると下腹が緩んだ後、心地よい快感と温感が流れ込んでくる。
太極の気感は陽気単体と違って常に快感を伴う。
意識的呼吸の後、この温感と快感をベースにして上の全身弛緩法をやれば
変性意識に入れる。 お話できそうな方がいらっしゃった!
はじめまして。
面倒くさがりなのでこのスレだけを流し読みしましたが似た境地にいると思われます。
もしよろしければ交流してくださいませ!!
その境地の力を使って世界を変えようと奮闘しております。
私が今書き込んでいるスレです。
ほとんど独り言ですが。お暇でしたら是非><
帰ってきた勇太
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1664336123/
世界一の会社をつくりたいんだけど
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/venture/1663918246/
超能力は有ると確信したからパワーをくださいな!
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/esp/1672320235/ 面白いね、では理想社会の話をしようか。
快感原理が社会的レベルでドーパミン型(個の幸福を求める)からセロトニン型(共感型)
に転換、同時にトーラスへ移行したらどういう世界になるか。
坊さんのお説教の定番なんだが
極楽と地獄はどう違うのか、というと。
実は地獄も極楽も見た目は全く変わらない、ただどちらも食事の時は長いお箸
しかありません、地獄の住人はそれで食べ物を自分の口に入れようとするが
入らない、それでいつも皆お腹を空かしていて人間関係もギスギスしている。
極楽の住人は長いお箸を使って互いの口に入れ合っているから逆に信頼関係が
密でいつも皆ニコニコしている。
もう一つ、これは商いの世界にある教え。
円いお風呂に入って自分の所に水を集めようとすると多くの水は逃げてしまう。
ところが外側に向かって押し出すと水が均等に押し返されて多くの水か
自分の所に集まるようになる。
インターネットが加速させているのは、表層的なコミュニケーションだけでなく
暗黙知の進化と統合、これは必然的に自己組織化やホロンと言った方向へ行く。
お題目でなく人類が本当に生理的レベルでそれを求め始めた時
快感原理の転換から欲求そのものが変わっていく。
宗教や道徳のように声高にスローガンを叫ぶことはないが
自然に長い箸を用意したらなぜか売れるようになる。
それから余った財を他人に使ってもらって世の中を良くしてそれがまた
自分に戻ってくる仕組みを求めるようなる。
これからは、今のビジネススピリチュアルではなく
本当にスピリチュアルな感覚を持った人間がパラダイムシフトに順応
あるいは加速させる形でビジネスと社会変革に関わっていく、そういう時代。 私と世界を変えましょう!
ご協力頂きたい。
あなた様主導で構わない。
私は最強の自負がありますので本名・顔出しです。
私が動きます。 理想社会の話もしましょう。
本当にすごい。私が考えていたものよりも高尚に思える!
私が考える理想社会は、私の今の精神状態、、
欲・怒り・愚かな行い・執着を完全にコントロールした精神状態、
それらを世界中の人に持ってもらうことで実現しようとしている。
その方法を提示した。
5ch・SNSで説いている。リアルで手取り足取り教える。
全然うまくいかーん!どうしたものか。って状態です。 >>45
ありがとう。
でも、あなたは独りで行動した方が良いと思う。
あなたは行動することで時代の先端に乗り
そこからの唯一の景色で誰にも無い知恵を掴むタイプだと思う。
そのためには一人で駆け上がる身軽さが必要。
機が来れば協力するのにやぶさかではないですよ。 >>47
了解しました!
あなたに出会えたこと
2022年の最後の日にこんな幸福に出会えたことに感動の極み! 小林 勇太(24画/最大吉)
1982/10/12 4:24
株式会社ヨゾラ 代表取締役
デザイナー/コンサルタント
O/天秤/戌/九紫火星/両手離/黒豹/大陸
勇気∞/信仰∞/混沌/仏陀/博愛 明けましておめでとうございます
本年は厳しい3次元下での現状ですが
なりたい未来次元を創造し育成下さい
ディスコードは現在24名で稼働してます あけましておめでとうございます!
>>50
心得ました!
>>51
参加したいです!
私も会社運営をDiscordでやっておりまする。 おめでとうございます
五蘊について少しwikiを読んだけど、マズローの欲求5段階にもしかしたら対応しているかもね
五蘊の順番にも意味があるそうだし興味深かったです マズローの5段階欲求の三角構造は人間が肉体を備えた自我を持つことによる
外環境への関心度の違い、そして各階層に分かれているのは
一度関わった関心への停滞のため。
これは球状生体場の自我の在り方の業の展開そのままを表している。
まず肉体自我があってそれを中心に五感による情報収集で
肉体的自我を中心とした自己維持のために必要な場を作る。
この場の理解に五蘊の概念を使うと面白いかもしれない。
その基本的機能を自己維持、外環境適応の重要度の順に振り分けると
マズローの五段階欲求になり、イラストにするなら
一番内側を第一欲求が円形の場として囲い込み、その外側を第2〜5層が包み込む
色分けするなら第1層が濃く〜第5層が薄くなり、求心的な力も第1層が一番強い
その強さを底辺の長さとして切り取れば、マズローの五段階図になる。
少し大雑把だがこれはマズローの五段階欲求説と生体場の結びつきをイメージ
するための方便と思ってほしい。
さぁこれでやっと6番目の超越欲求について説明する準備ができた。
6番目の欲求は上レスで説明した生体場モデルだと球状体場とトーラス場の
接点になる。
何から「超越」するのかというと、一番上で説明した
肉体的自我を自己とすることから生じる欲求の△構造と
一度欲求と関わることで関心が固定されその階層に留まる傾向。
仏教でいうところの五蘊と解釈しても良いと思う。
それから超越することで自由に欲求構造を行き来することが出来る。
自己実現までは欲求のヒエラルキーが押し上げてくれるが
自己実現まで行くと逆にそれが足かせになる。
だから超越欲求が出て欲求進化の枠組みそのものから抜け出そうとする。
超越欲求は欲求構造から抜け出そうとする境界線で自由度が一番高い。
ここの自由度の源泉をスピリチュアルでは波動、と理解する。
そしてマズローの△に重なるように超越欲求を底辺とした逆三角形▽を作る。
つまり自己実現欲求と波動原理の超越思考で4段階以下欲求を自在に充足する。
それが現在主流のスピリチュアルの基本思考。
これをさらに進めると欲求構造は円になり
トーラス構造と空の自在性に達する。 長文さん
いつもありがとうございます
本年もよろしくお願いいたしますm(__)m >これは球状生体場の自我の在り方の業の展開そのままを表している。
まず肉体自我があってそれを中心に五感による情報収集で
肉体的自我を中心とした自己維持のために必要な場を作る。
12縁起みたいですね
>何から「超越」するのかというと、一番上で説明した
肉体的自我を自己とすることから生じる欲求の△構造と
一度欲求と関わることで関心が固定されその階層に留まる傾向。
解脱みたいですね
とてもタイムリーでした
ありがとうございますm(__)m
自我が積んだカルマの清算活動はもう卒業したいです みんな一時的でしかない欲求の充足による気の上昇で満足されてるのかもしれない
六道に閉じ込められて...
魂が解放されますように 今世で積んだ悪業浄化を早く進めたい
肉体の損失で清算されるなら一刻も早く奪ってください
縁が生じないと果にならないんでしたっけ
しかし人工的に業を動かせる技法はあります
神に願います >>56
独白しているつもりでも聞いてくれる人がいるとやはり違うので
こちらこそよろしくお願いします。
>>59
ポイントは呼吸だと思う。
聞くところによると大涅槃経には釈尊の呼吸は丹田呼吸=
呼気の際にも吸気の際にも下丹田に力の入る呼吸だった、とあるらしい。
丹田にいつも力が入っているということはそれ以外は弛緩している。
普通の緊張弛緩交互の呼吸から緊張弛緩同時に代わると何が起こるのかというと
内分泌系が進化し始める。
人間の生理的な潜在力が十分が発揮できないのは意識の枠組みのせい。
そしてこの意識の枠組みと連動してそれを維持しているのが
呼吸の緊張と弛緩のリズム。
呼吸の緊張弛緩交互のリズムが意識=欲求の停滞を引き起こし固定する。
呼吸を緊張弛緩同時にするとそれがニュートラルになり、それだけでなく
生理的方向性が本来の進化へ向いていく。
仏陀の悟りへの転換点というのはこの呼吸の転換点のような気がする。
中道=丹田呼吸=横隔膜完全稼働呼吸=緊張弛緩同時だったのではないかな。
そして蛹から蝶のような劇的なメタモルフォーゼは内分泌から始まる。
内分泌が進化に向かうとまず快感原理が閉鎖系(自己中心)から
開放系(共感型)に転換する。
その快感原理の方向転換に従うと自然に原始仏教で説く八正道などの
正しい真理を実践できるようになる。
八正道には何が正しいとは書かれていない、快感原理の転換による
感性をあらゆることに波及させるのが八正道の教え。
内分泌系が進化して快感原理が転換すると波動がトーラス場に共鳴していく。
ここで「業」の転換が始まる。
この変化とは、生理的変化=快感原理の転換=パラダイムシフト=
認知論的転換、で最初からだまし絵を暴くように新しい感性が開けてくる。
そしてこれはこれから先、全人類に起きる可能性がある。
なにか特別な行の結果でなく自然な進化として。
今の人類は四足歩行から二足歩行に進化してそれでも完全に重心線が
頭頂まで抜けていない、これが完全に抜けると横隔膜が解放され完全稼働して
丹田呼吸に進化する。
そうなれば自然に快感原理の転換、トーラス場への移行で縁が変わり
因果(豪)の転換へと進む。
これにはいろんな要素が総合的に関わってそちらへ進むと思う。
全人類進化の端緒は呼吸の進化から始まる たぶん。
そして日本には、丹田呼吸という言葉があるように
身体的に親和性があるように思う。
2023年、日本人から進化は始まる かも。 長文さんの独白は貴重だと思います
素晴らしい法話だといつも思ってます
>緊張弛緩同時
このことをおっしゃってる瞑想指導家の方がいらっしゃいますね
サマタとヴィパッサナーの掛け合わせみたいな感じでしたかね
転載したいけど...
その方も蝶形骨に言及されてる
なので長文さんととても似ている方法論なのですよ
学ばせていただいてます エックハルト・トールのお言葉
「なによりも肝に銘ずべきことは、「痛みを『ほんとうの自分』だと思いこんでいるかぎり、痛みから解放されない」ということです。」
これに似たことでね、
悪口を言われて嫌悪するなど、自分に同じ地獄や餓鬼のカルマがあるからそれに反応を示す、という理論があるでしょう
ただ気を上昇させてると悪口のような低い波動に反応しなくなるのね
全然気にならない
逆に気が落ちると悪口を言われれば精神的に堪えるのね
じゃあ気を常時上げて清浄な状態でいればいいとなるでしょう
これも一種の次元上昇でしょう
でもその方法はカルマ浄化はされてないの
己のカルマが切り離されただけ
エックハルト・トールはそれをおっしゃってると思う
で、己の積んだカルマは浄化されてないからそこにあるわけだけど、
これがよく言う先祖の悪行は子孫に祟るというカルマの循環だと思う 痛みを自分のものじゃないと思ってもいいけど、カルマは身をもって清算しないとと思うわけです
いかがでしょう 気を上昇させてる時は己のカルマは何も気にならなかったけど、気が落ちた途端にそれは堪えた
気を上昇させ、清浄にし気道を浄化させても全然カルマが清算されてないじゃん!と愕然とした エックハルト・トールは漏神通のkと言ってるのかな
悟りについてだから 痛みそのものより痛みを不快に思う自分が本当の自分でない
ということてはないかな。
たしかエルクハットトールがよく使う「痛み」は肉体的な痛みでなく
自我の執着から派生する心理的な痛みだったと思う。
エルクハットトールの教えは想念=イメージの想起と言葉の羅列による思考
で構成される自己は本当の自分ではない、その背後にある無意識的領域の自我
こそ本当の自分である、それをインナーボディと呼んでいる。
そして意識で構成された自分の幻影から離れてインナーボディの直観に従えと
ようは「考えるな、感じるんだ」を日常的に行って自我を刷新しろ
そういうことを言っているんだと思うが違っていたらごめん。
人間の意識を〇とすると内側が自分で外側が外界、本当の自我は〇の中心に来る。
外界からの情報を内側で処理して外に押し返す、この仕組みで人間は〇中心で
自我のバランスを保っている。
まぁバランスよく外界情報を処理して〇を維持できれば良いのだが
処理不良になると〇が歪になって自我がバランスを崩す。
この外界からの情報処理をしているのが意識、と皆思っていて
意識的自我=自我と疑わない、痛みとはこの意識的自我の歪み
エルクハットトールはそれは本当の痛みではないから離れなさい、と言っている。
最近の研究に「無意識が意思を決定していて意識は
それを追認しているに過ぎない」というのがある。
よく重大な決定をする時の迷いに対して無心で対処しろ
とかいうのはその辺の機微かもしれない。
大事な決定の時意識の小手先より無意識の決定に委ねる
これは人間の経験的な知恵かも知れない。
エルクハットトールはそれを日常化しろ、と言っている。
そして日常化すると自我構造自体が変わってくる
固定された〇とその中心に自我が位置する構造から
俯瞰的で流動的な自我構造へと変化していく、その先にあるのがトーラス。
確かエックハルトトールは「今に在る」という言葉を使っていたと思うが
その辺の自覚からトーラスに意識が移っていく。
生体場を整えるタイプの瞑想やワークは無意識の働きを強化するから
その分円の歪みは減るのだが、固定された意識の〇構造を解体しないと
真の自由=業からの離脱は出来ない。
だからまず現意識から離れ無意識的な自己=インナーボディに身を委ねる
そうすると意識により歪んでいた〇が解消して正しい〇にリセットされる。
当然自我も正しい位置に戻る。
これをリセットだけでなく日常的にナビとして使うと自我構造が変容していく。
〇や〇の中心が絶対的なモノでないのが判ってくる。
〇の外と内、それから〇の中心、これらはすべて相依的関係にある。
絶対的な自我はどこにもないことが分かってくる、体感する。
特に〇を抽象的レベルまで拡げるとそこにはフラクタルの揺らぎがある。
つまり〇が固定せずに揺らいでいる、そこから中心点である自我をみると
自我は一つでなく常に複数点存在する。
この辺からこの世界がホログラフィ的パラレルワールドであることが実感できる。 >真の自由=業からの離脱
業に対して離脱するアプローチと浄化・解消するアプローチの2つの方法があるのかな? 少し脱線しますが、
>本当の痛みではないから離れなさい
テレパシーやエンパスなんかで他者の感情、エネルギーを感知するとそれは自身の心と体に宿ったとしても客観視できるのだよね
そこから少し発展させて、
苦楽を平等に扱う瞑想をする
お釈迦様は苦楽を越えろとおっしゃる
そこからまた少し発展して、苦も楽と同じく享受し、自他の苦しみを昇華させ菩薩道となる 菩薩道は特殊
普通は邪気に当てられたら邪気払いする
悪意を受けたらその悪意に染まらないように遮断する
菩薩道は自他のないただの媒体の役目をしてると思う 仏教の慈悲は智慧と一体、空の世界観から来るすべて平等という存在論。
現象はあるがどこにも自我や自我を投影する対象がない。
すると現象はすべて平等になる
その平等をすべて受け入れるのが慈悲、どこにも無理がない。
だから特別な存在が慈悲を持つのではなく、智慧を獲得した分
同じように他に対する態度も変わっていく。 >>66
カルマに囚われない知恵をつけることで、カルマがあろうともないも同然っていうアプローチなのかな
殺生のカルマはどうなんでしょう 殺生のカルマは過去世まで遡ればいいのかな
そして宇宙の成り立ち、生物の誕生まで遡るのかな そこまで辿れば全体のカルマとなって?
また良い悪いといった観念もなく?
例によって無いも同然になるのかな? 別に辿らなくとも、因、縁、果と区切ることを止めれば
因は別の果であり他の縁となる。
縁は何かの果であり別の因となる。
果は新たな因になり別の縁にもなり得る。
その中から類似性のある因、縁、果を取り出してそれを業と名付けるにしても
分岐点は無数にある。
さて業の源泉はどこにあるのだろうね、それはある特定の事象を関連付けて
起承転結のラベリングをして一連の流れ(業)を作り出す人間の意識にある。
この辺の選択の余地をフラクタルの揺らぎとして「自分が思い込んでいる
記述」を変更させて別の因縁果の道筋を作るという方法がある。
既存の因縁果という流れはあるがそこから別の流れはいくらでも作ることが出来る。
業という働きはあるがそれを継続させ加速させているのは人間の意識の慣性力。 他のスレにも書いてしまったんですが、寝るときに目を閉じて1分たたないぐらいで白い光の丸っぽいフラッシュがパパッと何度か現れるようになりました
で、病気の前兆なのかと調べたら丹光というらしく、チャクラだか松果体がどーとか色々書いてたのでこのスレで質問させてください。
丹光ってのが見えるようになって同時に風景(街の一部や機械?の一部)も部分的に見えてきたりするのですが、誰か同じようなの見える人はいますか?
あと、この原因が分かる人はいませんか? >>75
ありがとうございますm(__)m
>業という働きはあるがそれを継続させ加速させているのは人間の意識の慣性力。
やはり我を落としたほうがいいですね
でも業を切り離すのでなく消したいので、おっしゃるように別の流れを作るか?例えば回向のように?
または身をもって消すか、ですかね
あまりに進んだご見解を私がいるような所にまで降りて届けてくださってると、見に余る思いですm(__)m >別に辿らなくとも、因、縁、果と区切ることを止めれば
因は別の果であり他の縁となる。
縁は何かの果であり別の因となる。
果は新たな因になり別の縁にもなり得る。
その中から類似性のある因、縁、果を取り出してそれを業と名付けるにしても
分岐点は無数にある。
赦しに繋がりますかね >>77
修行が進むと現れる現象ですね
それ以上は私はわからずお役に立てないですが、他の方のご見解を頂けるといいですね
私の調べて何かわかることがあればお知らせ致します >>77
瞑想などの経験がないのなら、サマタ力(集中力)が生まれつき強いといえるかもしれません
私はサマタ瞑想系の行をしてそういうのは見えるようになりました
一種のビジョン、エネルギー体験です
普通は生まれつきサマタ力が強くないので瞑想といった特殊な訓練を人工的にしてその力を強めます
77さんはそれが生まれつき強い、訓練を受けずとも心身がそのような構造、と考えられますでしょうか あと、サマタ力が強くそのような体験をしたとしても、ヴィパッサナー(気づき力)があるとそれらの体験に巻き込まれることなく、ただ観察出来るようになるそうです >>80
修行とか瞑想などは何もしてないです
小さい子供の頃に寝る前にグニャグニャした模様がふわふわ見える程度はあったなぁって記憶がある程度です。
>>81
サマタ力ですか?調べてみます。
生まれつきですか…昔からそういうの自分になんかあるなぁと感じたけど、あんまりスピリチュアルには近寄りたくないと感じて、スピは全て否定して生きてきたんですが…
ここ最近急に何か電気的なものを身体に突然感じるようになって、これは病気か何かだと自分を誤魔化してました。
エネルギー体験ですか、何もしてないでベッドに横になってるときに地震を感じたときのように身体がグラグラと揺れるのも何かそういうのが関係してるのでしょうか?
この手のことに全く疎いので色々と調べてみます。
みなさん返信ありがとうございました。 >何もしてないでベッドに横になってるときに地震を感じたときのように身体がグラグラと揺れる
こちらも修行中に経験する現象の一種ですね。
77さんは何もしないでそれが起こるわけですが。 仏教と言えば因果論と思われがちだが
般若心経では個別の因果を否定している。
因果の出現は相依的だと言っている。
つまりある事象を因だとするとそれに連なって縁、果、応報が現れる。
それらの関係は絶対的なものではなく、相依的、可変的であると言っている。
では因果の法則はないのかというとそうではなく常に全体性として存在する。
般若心経で説く「空」とは、存在は常に全体としてしか存在し得ず
個がそれを認知するときは相依的関係性でしか認知できない、ということ。
群盲象を撫でる、という諺があるが、あれを目が見えないとせずに
一つ上の次元を認知する知覚がないから全体を認識出来ない、とすると
般若心経はそういう人たちに世界とは何か、を説いた教え。
あの中には、ホログラフィでパラレルなパラダイムが展開されている。
般若心経と同じくらい読誦されている観音経は、有限な自己認知と全体の関係性を
フラクタル(自己相似)として捉える、すると個が認知する具象性と
因果の法則=原理性、全体性、抽象性の間にフラクタルの揺らぎが生じる。
これは具象←→抽象に転換する際の情報変容の容量のこと。
先ほどの群盲象の喩えだと、自分の撫でている(認知)している世界が
それだけではないと気づいたとき、スピリチュアル的に言うと、五感を超えた
体験をしたときに別の選択肢(感性)が生まれる、あくまで自己相似での
範囲内だけどね。
この選択の部分が観音経の「念彼観音力」になる。
自己相似の範囲でネガティブをポジティブに転換する様子が以下etc。
自己相似の範囲内で複数の選択肢が生じることを縁生という。
何か具体的な事象だけを言うのでなく、現在の自分の視野を離れて
新しい視点(感性)が開けることを指している。
人間が進化して意識がトーラス場に移ると、常に新しい視野(感性)が
開けるようになる、人類がトーラス場を共有するようになると
そこから業の解消が始まっていく といいな。 >>84
揺れるときは身体全体だったり上半身だけだったりが震度3ぐらいのときな感じです。
特に体調や精神面で変化は感じないので、とりあえず気にしないで普段通りに生活していこうと考えてますが
こういう現象は気にせずにほっておいても大丈夫なものですか?
ほっておくことでおかしくなったりしますでしょうか?そこだけが少し不安に思ってます。 今は急速に人類が次元上昇している。
何が起きているのかというと、別にいきなり肉体を捨てて別の次元に行く
わけではない。
人間を包み込む生体場(オーラ場)が閉鎖系(球状)から開放系(トーラス)
に進化していく、それで肉体や五感にも感性の拡がり現象が起きるが
現象自体にはあまり捕らわれずに開放系に同調するように心がけると良い。
具体的には、緩める、拡げる、整える、これを心身、行為にわたって心がける。
これをやっていくと世界線が切り替わったと自覚できる体験があるのだが
よく言われるように、宝くじ当たったりとかいきなり出世したりとかしない。
いつの間にかネガティブ事象が減っていく。
人間関係、健康関係、事故関係の定期的なトラブルが起こらなくなる。
考えてみると、運命転換するときはポジティブな現象が一つくらい起きても
また元の木阿弥になりそうだが、ネガティブ事象が1つ消えると
その空いたところにポジティブな選択の機会がいくつも入ってくるわけだから
こちらの方が合理的なのだろうね、だからそちらに力を入れてくるのだろうね。
日常がそれとなく平穏になってくるのだが、平穏な一日の中でふと、
あっ、今、世界線が変わったな、と感じる時がある。
たぶん、本来は起きる大きなトラブルを回避してその可能性が無くなった時だと
思うのだがとにかく地味。
転換してから起きる好転現象も自然に転換して地味なのでいつの間にか良くなった
という感じ、ただシンクロやエンジェルナンバー出現みたいなのはしょっちゅう
起きるから業の転換というか因果律が変わっているのは判る、こちらも地味だが。
派手に色々起きるのは業の偏差だと思う、そのあと反動があったりするしね。 >>85
>それらの関係は絶対的なものではなく、相依的、可変的であると言っている
考えてみましたら思いもよらない色々な形で現象化しますね
業を小さくする方法もありますしね >>86
震度3は結構大きいですね
詳しくないですが、恐らくほおっておいても大丈夫だと思いますが、もしかしたら覚醒の前兆かもですね
>>87さんのおっしゃる通り、コピペ・引用させて頂きますが、
「現象自体にはあまり捕らわれずに開放系に同調するように心がけると良い。
具体的には、緩める、拡げる、整える、これを心身、行為にわたって心がける。」
されればよろしいかと思います >>86
>>87さんがおっしゃることを心掛けて、様子見られてください(^^)
不安に思われるような爆発的なことはおきず、緩やかな覚醒が促されるのではないでしょうか(^^) >>89
>>90
分かりました、とりあえず普段通りに過ごしていきたいと思います。
丁寧な返信ありがとうございました!感謝です。 >>61
緊張弛緩同時、という方法があるのではなく、それしか勝たない。
スピリチュアルのほとんどのやり方は、緊張弛緩交互に
意識や生理的仕組みを乗せて、生じた変化や幅の拡がりを成果としている。
その中で偶々、緊張弛緩同時を行って「質」の違う世界に入ったりするが
それを「悟り」等の、特異的な成果としているから本当の超越体験が少ない。
緊張弛緩同時、というのは、体感する「超越的弁証法」
このプロセスをきちんと行うと1つ上の次元の感性が開く。
そして感性がきちんと開くと、それとつながる中継点である蝶形骨が
高い波動で振動し頭蓋骨が柔らかくなり松果体が高次で活動始める。
緊張弛緩同時を方法論として意識しているのとしていないのでは
航海するのには羅針盤が必要だが、その羅針盤の存在さえ知らないのと同じ。 説明したがり屋なので超越的弁証法について。
超越的弁証法というのはある命題をテーゼとしてそれと反対の立場を
アンチテーゼとする、テーゼとアンチテーゼを止揚した視点がジンテーゼ。
よく誤解されるのは、ジンテーゼは折衷案ではないということ。
真ん中ではなく、テーゼとアンチテーゼをまるまる包括した位置にいる。
この辺を分かりやすくした喩えが、ある物の特質を説明するのに
ある者はそれを△だと言い、これをテーゼとする。
だが別の者はそれは〇だという、これをアンチテーゼ。
するとジンテーゼは〇と△を合わせた図形になるのかというと
それでは真ん中=折衷案になってしまう。
本当のジンテーゼは円錐、これだったらどちらの性質も損ねずに統合できる。
ただ、〇、△、は平面だが円錐は立体。
本当のジンテーゼは視点を次元上昇させる傾向を持つ。
これは臨済禅の公案の仕組みなどと同じだね。
そしてそれと同じ事は生理的レベルでも行われている。
武道や芸事で修練の繰り返しで到達する既存とは「質の違う動き」
と認識されるのがそれ。
対立する動きを繰り返し修練するだけでも上手くなるのだが
対立する動作を一つ上の次元で止揚すると、対立する動作を結ぶ回路が
新しく作れ直されて「質の違う動き」が表出する。
これはスピリチュアルでも同じで、呼吸や身体操作の対立動作の
繰り返しが上手くなる人と、その繰り返しの中から繰り返しの対立軸を超えて
ジンテーゼの方向に向かう人とに分かれる。
特にスピリチュアルは対外的なパフォーマンスを目的にしているのではなく
自分の中の内なる進化を目指すモノだから、この超越弁証法的仕組みに
気づいているのとそうでないのでは大きな違いが出る。 前立腺って性エネルギーの貯蔵庫なのでは?って
考えてアナニー して生じた快楽を背骨に流すイメージ続けたら結節破壊してクンダリーニできたよ
ちなみにクンダリーニ成功してからアナニー で快感が得られなくなった >>92
>松果体が高次で活動始める。
それが悟りですか?
セロトニン系の欲求ですかね
ある周波数だかを脳のある部分に当てると?悟り体験が得やすくなる実験がありましたね
ダライ・ラマ14世も興味を示されてた
そんなに簡単に深い瞑想に入れるならとかなんとか >>93
なるほどですねー!
太極図に通じてきますね
相対するものの融合とはまた別ですね >>94
>クンダリーニ成功してからアナニー で快感が得られなくなった
正しいクンダリーニ上昇方法の一つといえそうですね >>85
>それらの関係は絶対的なものではなく、相依的、可変的であると言っている。
自我をなくせばカルマは誰のカルマではなく、そのカルマを積んだ本人でなくとも誰が昇華させても自由なわけですからね 誰かに必要な浄化であっても
例えば悲しみを持って浄化とするカルマがあっても、全体にとっては誰が昇華させてもいいわけです
だから能力者がいわゆる悪霊を鎮魂できるわけです 例えば悲しみで浄化するカルマがあるとして、それは様々な形で現象化されると思います
大切な人を失う悲しみ、肉体の一部を損失する悲しみなど...
何がどう現象かするかその仕組みをヴィパサアナー瞑想で鍛える
ヴィパッサナー瞑想は意識より深い無意識領域の動きすら気付けると思います
つまり自由意思のないとされる意識が積んだカルマが見切れると思われます ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています