【三国志】姜維 伯約 [転載禁止]©2ch.net
姜維について語りましょう
姜維(202-264) 天水郡出身。字は伯約。最終官位は大将軍。
三国志演義での登場シーンでは諸葛亮の計略を見抜き、趙雲と互角の一騎打ち。
果たして彼は蜀漢を滅ぼした戦犯だったのか?
姜維wiki
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/姜維 江陽太守は激しい気性の人で、明君に忠節を捧げた。
合戦となって敵と遭遇し、屈服する事なく、ただ一人で戦い抜き、陣中で一命を落とした。
程季然を賛え >>178
そうなんだ
ありがとうございます
八務七戒六恐五懼 内容で検索してもよくわからないな
どんな内容だったんだろう?
姜恪の子孫が今も続いてるといいなぁ 新年明けましておめでとうございます
今年も宜しくお願いします ちょっと真面目に姜維の小説書いてみようかなと思う今日この頃 ここにいる何人かで共作で書いたら面白いのが書けそう
史実に沿って書くかif物にするか混ざったのにするか難しいな 演義の話題になるけど、興勢の役が省略されてるのが不思議
孔明死後の数少ない蜀の勝利だし、ヒイや王平だけでなくショウエンも存命中だし、
今後の姜維に読者の期待を抱かせる意味でもここで大活躍させる手もあったと思うんだけど 所詮防衛戦だしなぁ
内容も相手も地味で姜維の出番も捏造しないとないし >>192
演義だから少々の捏造というか創作はありだと思う
姜維自身、諸葛亮を破るという鮮烈デビューを飾ってるし 考えられる原因としては姜維VS夏候覇を避けたかったからかな 姜維と夏侯覇っていいライバルであり良き理解者でもありそう >>178
家系図の偽造はよくあるから
>>194
まあ夏侯覇は姜維の副将みたいなイメージだからね
官職的には車騎将軍の夏侯覇の方が上みたいになってるけど 炎興元年、季漢の皇帝劉禅は、成都に迫った魏将ケ艾に対して降伏した。
後主伝注に引く王隠蜀記によると、その降伏の際、尚書郎の李虎が士民簿を提出しており、そこには以下のように書かれている。
項目 内容
戸数 28万戸
人口 94万人
兵数 10万2千人
吏数 4万人
米 40余万斛(約850万リットル)
金銀 各2千斤(各440kg)
錦綺綵絹 各20万匹(各44万平方メートル)
その他の物資 上記と同程度 呉との国境の守備が兵2000だったそうだから
その10万2000も概算10万と呉守備兵2000のような 批判が的を得てないんだよな。
まず業務で高校数学が応用として使える時点で、世の中の上側1%以上なのよ。
アク界隈はお受験からのエリート教育で育ってるから、世の平均以下がちゃんと認識できていない。
残念ながら需要が存在してしまうわけですわ。高校数学の範囲だろうが何だろうが知らんがな。
あと、純粋な高等な数学になればなるほど、応用が狭まっていく。平たく言うと役に立たない。
なんでそんなものと比較するのか意味が分からない。好きなら勝手に博士課程でも行ってろ。
そして、哀れにもアク候補生として入社して、想像以上に日本社会の企業文化に揉まれ疲弊し、
自分は東京一工のエリートなのにこんな試験にも受からないクヤシイ!!みたいな人が、
5chで見えない敵をたたいて必死にもがいているんだな。憎むべきはその選択の損切りができない自分自身なのに。
だから、嫌ならやめろよと。クソ試験と思うなら今すぐやめて転職なりしろ。何事も中途半端が一番良くない。 龐萌は、光武と同格か、それ以上だな。更始の方面軍としては、かなり優秀。光武が龐萌に「私の幼子をたくせる」と言ったのは、ご機嫌とりだったのだ。ほんとうに、腹心だったのでない。光武は、ウソばっかりだ。 孔明死後の体制は
尚書令
中軍師
後軍師
右監軍・輔漢將軍←姜維はここだからナンバー4か?
前軍師・領兗州刺史
前領軍 魏滅蜀漢之戰 季漢防衛線
漢城 兵力五千
護軍 綏武將軍 蔣斌
樂城 兵力五千
監軍 王含
陽安関 兵力五千?
關中都督 傅僉
(前)武興督 蔣舒
黄金囲 兵力五千?
黄金囲督 柳隠
剣閣 兵力四万?
(左?)大將軍 録尚書事(領益州刺史?)平襄侯 姜維
仮節 右車騎將軍 并州刺史 中郷侯 廖化
左車騎將軍 冀州刺史 都亭侯 張翼
輔國大將軍 平尚書事 南郷侯 董厥
成都召還 兵力三千?
巴東都督 右(大?)將軍 閻宇
巴東 兵力二千
巴東太守 羅憲
南中六郡 兵力五千?
監軍 安南将軍 建寧太守 霍弋
江由関 兵力五千?
守将 馬邈
涪城 綿竹関 兵力一万?
行都護 衛将軍 平尚書事 武郷侯 諸葛瞻
武郷侯世子 諸葛尚
尚書 張遵
尚書郎 黄崇
羽林右部督 李球 止浥婁異種。原稱羊鄂羅墜。本浥且之地也。~祖伐懲元兇。化育久之。 項目 内容
戸数 28万戸
人口 94万人
兵数 10万2千人
吏数 4万人
米 40余万斛(約850万リットル)
金銀 各2千斤(各440kg)
錦綺綵絹 各20万匹(各44万平方メートル)
その他の物資 上記と同程度 匈奴はトルコ系
匈奴はトルコ人
匈奴はテュルク
匈奴はツルク
匈奴は北方民族
匈奴は北方遊牧民
犬戎は周と同族に近い
越は呉と同族に近い
呉は異民族
呉の姫姓は偽り
秦は異民族
楚は異民族
晋は異民族
晋の姫姓は偽り
北魏は異民族
隋は異民族
唐は異民族
宋も異民族
今の中国人は北方民族の子孫
タイは夏人
倭人は庶殷 226年の5月に魏文帝曹丕は崩御した。
40歳であった。
後継者は曹叡である。魏明帝となる。
曹叡は皇太子ではなかった。
曹丕は本当は曹礼という曹叡の異母弟を後継者にしたかった。(「魏略」) 曹爽・司馬懿が任命された「侍中・仮節鉞・都督中外諸軍事・録尚書事」とは 曹爽・司馬懿が任命された「侍中・仮節鉞・都督中外諸軍事・録尚書事」とは 軍権裁判権と講和開戦の特権も持って宮中出入りに事前の許可申請不要のお方
全部の役職合わせるとそういう立場になる 魏は官職が序列ぐらいの意味しかなくて
そういう権限を持っていないと意味がないんだよなあ 新年明けましておめでとうございます、今年もよろしくお願い申し上げます
2022年も変わらず姜維伯約を愛す事を誕生日に誓います!!
姜維!愛してるぞ!!大好きだ!! 統一王朝としての漢家の定義を、中央官と地方官の往復を担保する体制と定義したらどうなるか。つまり、中央から地方官を送り込めて、また地方官を中央の命令にて、呼び戻せる状態。董卓のとき、この往復が分断された。つまり董卓のとき、後漢は滅びた。 いわゆる始皇帝っていうとでっぷり太った髭ボーボーで悪人面の巨漢だけど
こんなの単なる後世の想像だし
劉邦の鼻が高かったかもほくろがびっしりだったかも正しいかはわからない
竹皮冠は被ってたんだろうけどね 俺が三国志で一番好きな武将のスレがあるの知らなかったw
俺の中では姜維が一番の武将だわ >>218
ワシのようなとか記録されているから全くの創造ではないんじゃね 秦王の容貌は、鼻は高く、眼は切れ長で、胸は鷹のように突き出て、声は豺(やまいぬ)のようである。 史記の中で、司馬遷が始皇帝の外見について言及している。
蜂準長目(賢く抜け目のない人の描写。冷たい印象を人に与える。蜂のように高く鋭い鼻筋を持った人物で、細く切長な目をしていた)
伨鳥膺 (胸骨が盛り上がっていた。)
豺聲(その声はまるでよく深いヤマイヌのようだ)
少恩而虎狼心 (とても残酷で貪欲な心を持っていた)
意思是他說話聲如洪鐘(彼の話し声はまるで鳴り響く大鐘のようだ)
心胸惡毒像虎狼一樣 (心の中は悪い毒で満ちていて、虎や狼のようだ)
長目刻薄(人に対してとても冷酷で無情だった) いつかは中国へ行って
姜維の墓や戦場だった跡地に観光として旅行に行きたい
と思う 剣閣観光地だけど位置は三国時代とかなり違うんでしょ
戦場だった跡地残ってるの? 人気あると聞かないから
観光地あったら胡散臭い、造ったの最近でしょう
墓や像をググったら、胡散臭えー
でも好きな人にはいいのかもね、日本の城も新しいし。
自分はトイレが怖い、内陸すごそう 興味あるのはお土産かな ぶっちゃけ
劉備が進んだ跡地を巡るのはかなりの予算や根気が必要だよな
中国の北から南までのルートだしな
これを考えると姜維のルートはまだマシな方だと思う >>228
今の観光地はだいたい当時と違うからねえ
せんきゃくばんらいみたいな最近作られた者見ても虚しいだけかも